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真柴組に戻ったハルオは、自室に閉じこもってしまっていた。御子が呼んでも返事すらしない。
気の弱いハルオが、何かをしくじって落ち込むのは今に始まった事ではない。しかし今回はちょっと様子が違う。
いつもならしくじった内容を御子や良平に聞かせて、励ましの一つもされればけっこう立ち直っていくのだが、今日は香に抱えられるように帰って来てから、一言の口もきかずに部屋に閉じこもったのだ。
だいたいの事情は香から聞いたが、ハルオが大の苦手のナイフを握ったのは驚いたが、他に特別落ち込むほどの事があったとは正直思えない。御子は困り、香も罪悪感を感じているようだ。
「ハルオがおかしい?」帰って来た良平と、送ってきた土間がその話を聞いて顔を見合わせた。
「ひょっとして、ハルオが刃物を持って相手に挑んだのは今日が初めてだったの?」
土間が御子に確認する。
「多分そうね。トコトン刃物が苦手だったから」
これは土間にも覚えがある感覚だ。初めて刃物で喧嘩に挑んだ時は、我に返ると腰が抜けたようになっていた。
そのくせ異常なまでの興奮にも襲われて、やたらと不安になったものだ。
「やはり身を守る技術は必要ですね。才能がある以上やはり仕込んでみましょう」良平にはチャンスだ。
「ハルオは刃物嫌いだから、この手の心配はいらないと思っていたのに。ふた親が裏の世界の人間じゃ、結局こうなってしまうのね」
逆に土間は真底残念そうに言った。ところがこの会話に意外な方向から反応があった。
「ハルオさんは両親とも裏稼業だったんですか?」香が聞いてきた。
「ハルオは両親がこっちの人間で、事情があって赤ん坊の時からうちで育ったの。気が弱いから気の毒な所もあるけど、一生こっちの世界で生きる事になるんでしょうね」御子が説明する。
「両親が裏の人間なら、人を斬らなきゃならないんですか?」香は不満げな様子を見せた。
「あくまでも身を守るすべを教えるだけさ。身を守る道具としてハルオには刃物が向いているんだ」
良平が答える。
「私がナイフなんか持たせたせいなのね」
香はそう言うと、ハルオの部屋の前に行き、ドアを激しく叩いた。
「ハルオさん! あんたは刃物なんか持たなくていいわ。私の両親も裏稼業よ。父は刀使いだったけど、ロクな人間じゃなかった。表で刃物なんか振り回さなくっても普通生きていけるじゃない。私達だって武器なんか無くても生きていけるわよ。わざわざ怖い思いする必要ないわ!」扉に向かって話しかけた。
するとドアが細く開いて、ハルオが顔をのぞかせた。
「ち、違うんだ。刃物が怖かったんじゃないんだ」香に向かってぼそぼそと言う。
「ナ、ナイフを持った瞬間、む、無性に関口に、き、斬りかかりたくなったんだ。こ、興奮したんだ。だ、誰かを傷つけるかもしれない。お、俺、自分が怖いんだよ」
半べそ顔でそう言うと、ハルオはまた、ドアを閉める。
意外なセリフに香はあっけにとられてしまい、ドアに向かって立ちつくしてしまった。
香は正直、腰の抜けたハルオを見た時は軽侮の念が強かったが、今は自分の軽率な行動を悔んでいた。
父の姿から、刀使いの歯止めが効かなくなると、どんな人間性になってしまうか知っていた。ハルオは自分を守ろうとしたがために、父のようになってしまうかもしれない。人生が狂ってしまうかもしれない。
なんで実力もない癖に、素直にハルオの言う事を聞かなかったんだろう? いっぺんに後悔の念が襲って来た。
「どうしよう」思わず声を出してつぶやいていた。
ふっと、人の気配がする。気がつくと横に土間が立っていた。
「香、あなたが気にすることないわ。これはハルオがいつかは乗り越えなくてはいけない事だったの」
あえて言うなら、こんな血を受け継がせた自分のせいだ。土間は心の中でそう思っていた。