乙女の心は戻らない
侯爵令嬢、リリトーシャは疲れ果てていた。こぼれ落ちた恋心は2度ともどらない。そんな恋に疲れたリリが一歩踏み出す物語
乙女の心は戻らない
覆水盆に返らず
「ほらリリトーシャ、公爵令嬢クルエラ様がいらっしゃった。今日の装いも美しいね。シャンデリアの光を受けて輝いているようではないか。君と比べるのも烏滸がましいが手本にすべきお方だね。君も次期侯爵夫人としてあのような花であらねばならないよ」
ばきり。
婚約者が優しげな貌で己が慕う社交界の花、美しい公爵令嬢クルエラ・レインドリッヒ様に熱のこもった視線と、いつも通りのリリを下げる言葉を吐き出したその時侯爵令嬢リリトーシャ・ラングハイムは確かに己の恋心に修復されないヒビが入った幻聴を聞いた。
リリトーシャは、淑女教育で鍛え上げた仮面を被り、
「かしこまりましたわ。」
と一言だけ絞り出した。
そこからはリリの記憶はあまりない。
鉄壁の仮面の裏でのリリの心は乙女とはかけ離れ、ややぐれていた。
「けっ!やってらんねーですわ」
いつものように家のための社交をし、自分の異変を気づかれないよう夜会を終えた。
帰りの馬車の中、いつものようにいかにクルエラ様が素晴らしいのか、婚約者が熱く語っていたのだと思うが、もう頑張れないと思っていた。
リリと婚約者トーニ・ノイマンが婚約したのは両家の政略目的であった。
ノイマン伯爵家は多くの工房と商会を抱え、財を築いてきたいわゆる新興貴族だった。
リリの侯爵家は連綿と続く由緒正しい貴族であり外交の要であり、伯爵家が欲していた高位貴族との取引を円滑にするため、王家によって取り仕切られた婚約だった。
戦争で亡くなった貴族嫡流が多く、国力を強めるために分家・庶流を陞爵し整えたが、旧貴族からはあまりいい顔をされない施策であった。だがこのままの貴族家だけでは国力は先ぼそるだけだと考えた国王と貴族院は新興貴族と旧貴族の婚姻政策を敷いた。
リリに白羽の矢が立ったのは幼い頃から温厚で、ともすればぼんやりとした優しい娘であり、他の子供と喧嘩をしない子供だったので高位貴族が嫌がった新興貴族ノイマン家とうまくやれるのではないか?という目論見があった。
リリの祖母は当時の国王の妹殿下であった。王家の血筋に混ぜることは反発があっても、侯爵家であればまだ反発も薄かろうという大人たちの薄汚い思惑でリリは婚約した。
温厚なリリと上昇志向の強いトーニ
リリは初めて会った時からトーニを好きになった。努力家でわんぱくで上昇志向の強い彼の隣で恥ずかしくないよう精一杯頑張った。淑女教育、領地経営、魔法、一般教養、
「いつか結婚したら海を渡って商会を大きくしていこう」
キラキラと夢を語る幼い二人の道は明るいと誰もが思っていた。
その目論見はうまく行っていた。
トーニがクルエラ様に恋心を抱くまでは。
魔力持ちの貴族が通う貴族のための魔法学園は貴族子息・令嬢が成人前に己の交友関係を広げられる小さな社交場。
そこで成績順で割り振られた学園の教室でトーニは普通では会うことができない美しい令嬢を見つけてしまった。
幼い頃から上昇志向が強く勉強熱心だったトーニは他の貴族からバカにされないようとにかく勉強した。剣術、魔法、学力。伝統に守られてきた貴族に切り込むためには力が必要だと幼いながらに考えていたからだ。彼はその努力に裏打ちされた自信を過分に持つタイプであった。そう「こんなに努力する俺だから侯爵家と婚約できた。自分が目をかけられているからで、もっと努力すれば公爵家とも婚姻できるのではないか」と。
莫迦なトーニ。勉強ができたのに王家が成立させた婚約の意味を知らないトーニ。
学園に入ってからのトーニは酷かった。
リリよりもクルエラ様を優先した。彼女がお茶会を開くとなれば、いの一番に参加し、彼女の覚えがめでたくなるよう美しい言葉は全て彼女に捧げた。
初めは困惑し苦言を呈していたクルエラ様も天上の女神のごとく自分を扱うトーニの言葉に段々と絆されてしまった。
(それでいいのでしょうか公爵令嬢!)
リリはきっとクルエラ様ならトーニを諌めてくれるのではないかと淡い期待を持っていた。
そんな期待は学期末のパーティでトーニがクルエラ様と3回踊ったことで壊れてしまった。
1回目はご挨拶
2回目は親しくなりましょう
3回目は恋慕っています
婚約者の目の前で踊る2人を見て
ガセボで近い二人を見て
赤い薔薇が咲き誇る庭園でお互いを見る二人を見て
リリの恋心は静かに輝きを失っていった。
政略結婚だもの。ビジネスパートナーとしてうまくやっていければいい。
そう自分を慰めた2年間。
リリが持っていた恋心に裏打ちされた愛想と愛嬌は先ほど完売した。
いくら厳しく教育された淑女であろうと使えるリソースは有限なのである。
夜会から戻ったリリは、父の書斎の扉を割と大きめに叩いた。
領地からの報告書を静かな書斎で読んでいたロイド・ラングハイム侯爵はかつてない強さで叩かれる扉を自ら開け、大きな紫色の瞳に並々と涙を湛えた愛娘を迎え、最近耳と目から上がってきた娘の婚約者の惨状を思い浮かべ、ちょっとよろしくない笑みを浮かべた。
侯爵は娘を正しく愛していた。政略でも相性がいいことを大事にしたし、この施策の意味を賢い嫡男が理解してないなんてこと思ってもいなかったのだ。
淡い初恋は淡い初恋として、己の心の中に隠し終えるまでが辛抱だとリリには言い聞かせていた。
学力があっても、魔力があっても、剣術ができても、娘の心を大事にしない男に嫁がせる気は一ミクロンもなかった。
その日リリは淑女教育が始まってから流したことのない涙を父の腕で流した。
父のお気にのジュストコールがびしょびしょになるまで泣いてちょっと水っぽい鼻水も拭いた。
「もう頑張れない。もう笑えない。侯爵家の娘として、今後の国力を強化するための婚姻だと理解しているのです。私の力不足で申し訳ございません、でも自分を蔑ろにする男性に仕えるのはもう無理なのです。お父様、疲れてしまいました。お父様お父様助けて」
頑張る姿を見て誇らしく、そのえがおを眩く思っていた娘。瞼が腫れて熱を持つまで泣く娘を腕にだき、侯爵はちょっと表に出せない顔で今後の策を練った。
それからリリは温かい乳母と侍女にマッサージされふかふかの天蓋付きのベッドで眠った。
疲れ切った心が少しでも戻るように。
だが一度壊れた心はちょっとやそっとでは戻らない。
それからリリは起き上がれるようになるまでベッドの上で過ごした。
侯爵家から通知があったろうに、そこから1週間トーニはリリの見舞いにはこなかった。
手紙も花も贈られなかった。
普段はにっこり温厚に微笑むリリを愛する屋敷の一派はトーニを憎んだ。
「うちのお嬢様を無碍に扱う男なんか爆散しろや」
過激である。
2週間経ってもリリは起き上がれなかった。日に日によわる娘を心配した侯爵は娘に一つ聞いてみた。
「私のリリ、これはナイショの話なんだけど乙女のその恋心は魔術師団では貴重なマテリアルになる。心を取り除けるとしたら君は取り除きたいかな?」
一部の貴族家だけに伝わる、秘密をぺろっと侯爵は娘に伝えた。親バカである。
「恋心を取り除けるのですか?
この、心臓がすりおろされるような、引き裂かれるような痛みがなくなるのなら、きっと良いことのように思います」
あの夜会から2週間、少しやつれたリリに笑顔が戻った。
侯爵と赤い目の黒い梟がリリの部屋にやってきたのはそれからすぐの新月の夜だった。
リリの部屋に入ると真っ黒な梟は男性の姿に変わった。
魔法を勉強していても、一般魔法以外のものを目にする機会は少ない。
その中で動物に姿を変える姿写しは貴重な魔法の一つであった。
梟の姿で現れたのは、魔術師団長のアシル・ノワール。27歳の若き天才魔術師だった。
「ラングハイム嬢、この度は貴重な機会をいただきありがとうございます。魔術師団長アシル・ノワールと申します」
まさか己のために魔術師団長が屋敷にやってくると思っていなかったリリは、とてもびっくりした。
「ノワール団長、私のためにお時間をいただき恐縮でございます。秘術と父から聞き及んでおりますが、恋心をこの身から引き剥がす術があるとのこと、社交界ではすでに噂になっていると思うのですが、私が持つのにはもう無理なこの心が何かのお役に立つのであれば、ぜひお使いください」
リリはベッドの住人のため、うまく礼はできないが力を貸して欲しいと自分にできる最大限でアシルに希った。
「この術を知っていても、心を差し出す令嬢は少ないし、これは王家の血筋が強いほど成功する術なんです。どのような心かにもよりますが、愛する心は王国の守護にもってこいなのです。この術を侯爵にお伝えしたのは、社交界でのあなたを見ていたから、あなたの心ならば、成功すれば王国の守りは強固になると小生は考えたのです。術式はすでにこちらの魔道具に転写しているのでラングハイム嬢はこれを握り、宣誓してください。それが発動の合図です。」
「守り、、、宣誓、、、。恐縮ですわ。ノワール団長。学園で勉強している身なれど、どのように宣誓文を作ればいいかがわからないので、ご教授願いますわ」
「失礼しました。つい、私の方こそ説明不足で申し訳ございません。心には12段階の階級があることはご存知ですか?」
「はい。下から、不安、嫉妬、怒り、嫌悪、執念、プライド、中立、勇気、献身、慈悲、愛、平和
上の心ほど神に近く力が強いのでしたわね。」
「正解、よく勉強されています。もしあなたのこころを見れるのであれば、勇気、献身、慈悲、愛があるのではないかなと、夜会でお見かけするたび考えておりました」
「見られて、、、いたんですね、、、」
誰かが自分を見ていてくれた。嫉妬しそうになる自分を律し、家に父に泥を塗らないよう、自分できることをしていた私をみて評価してくれた人が目の前にいる。
そう考えただけでリリの心のひび割れが少し修復された気がした。
「はい。見ておりました。あの令息はなんて勿体無いことをするんだとね」
ノワールがイタズラっぽく片目を瞑って見せるとリリの心が少し温かくなるようだった。
「心を取り除く術式は、あなたを健康にするために役立ってくれるでしょう。私が編んだ術ですので安全は保証いたします。もし、私があなたの立場で、宣誓するならばこのように編みますね・
『私は、私を大事にしない婚約者トーニ・ノイマンへの恋心をこの術式を以て全て王国の防御に捧げると宣誓します。神よ恋心が成就しなかった私を思うなら、私を大切に尊重してくれる方を伴侶と呼べるようお導きください』とね。」
(『私は、私を大事にしない婚約者トーニ・ノイマンへの恋心をこの術式を以て全て王国の防御に捧げると宣誓します。神よ恋心が成就しなかった私を思うなら、私を大切に尊重してくれる方を伴侶と呼べるようお導きください』)
心の中で繰り返すととてもしっくりくるような気がした。
ノワールがとても優しい目で見てくれるのでリリはにっこり笑い返して、小さな声で、はっきりと「『私は、私を大事にしない婚約者トーニ・ノイマンへの恋心をこの術式を持以て全て王国の防御に捧げると宣誓します。神よ恋心が成就しなかった私を思うなら、私を大切に尊重してくれる方を伴侶と呼べるようお導きください』」と宣誓文を読み上げた。
両手で魔道具を握ると、中央に付いている、大きな水晶の中が輝き、リリの胸から眩い輝きが飛び出した。
水晶の中で黄色、ピンク、水色、青と色をかえ形を変えるオーロラのような物体。その中心にインクのような紺色もある。
「綺麗…これが私の恋心?」
「はい。極上の心ですね。この心は大切に使わせていただきます。ラングハイム嬢、体調の方はどうでしょう?」
「不思議、心臓をすりおろされるような痛みがないわ。なぜかしら?でもとても眠たいの」
「それはよろしゅうございました。体が健康に戻ろうしているのだと推察します。ぜひ医師の診断を受け、ゆっくりお休みくださいませ」
「師団長様、ご足労いただき感謝の念に堪えません。でも申し訳ございませんわ。礼を尽くすべきでございますのに、とても ねむた く て」
エネルギー源が切れたようにベッドに沈むリリをノワールが優しい目で見ていた。
くるりと横を向き侯爵に向き合うと、すっかり無表情な魔術師団長の顔になり侯爵に向け魔道具をかかげてみせた。
「愛、献身、勇気、プライド、嫉妬、悲しみ。極上の恋心です。特に嫉妬ではなくプライドが嫉妬を覆い隠しているのがいい。強くあろうとした優しい彼女らしい心です。宣誓も術式も普段使い慣れていないでしょうから1-2日は寝て回復を図っていると思います。その後は、記憶はあるが絵物語のように思えるでしょう。私はこのまま王宮に戻って、魔力防壁に変換します。何もないとは思いますが侯爵は御令嬢に付いていてあげてください」
長文を侯爵に投げつけたと思ったらノワールは、黒い梟に姿を変えて窓から飛び立っていた。貴族会議で会うことはあれどてっきり寡黙な男だと思っていた侯爵は、初めて聞いたノワールの長文にちょっとびっくりしていた。
王宮に戻ったノワールは物理的に浮き足だつ足を理性で地につけながら廊下を闊歩していた。もうできるならフクロウのまま飛んで執務室に戻りたかったが王宮は不要不急な魔法は禁止である。
執務室の扉を壊す勢いで開け、閉め、懐からリリの恋心の入った魔道具を取り出した。
「ここまで綺麗だと思っていなかった」
恋心を差し出す令嬢は少ないがいる。いるが取り出すタイミングを失せば、嫉妬、不安、悲しみ、憎悪が大半を占めとてもではないが魔力防壁になぞ使えないことがほとんどだ。
ところがリリの心はどうだろう、嫉妬も悲しみもあるのだが全体的に綺麗なのだ。
嫉妬や悲しみの周りにはプライド、愛、献身が覆い隠すように浮かんでいて輝いている。
ずっと見ていたいような不思議な色合いだ。
夜会や王城の集まりで、背筋を伸ばし前を見て穏やかに微笑んでいた美しい令嬢。
仮令婚約者が他の女を崇拝していようとその横にそっと立っていたすみれのような可憐な彼女。警備のため招集されることが多かったノワールは見ていた。
リリがずっとたえていた姿を見ていた。
ノワールは少し残念に思いながら、リリの恋心を魔力防壁の回路へと流し込んだ。
美しい閃光が王城から放たれ、防壁はきらりと光の幕が覆い隠す強化された。
これがあれば当分国防に不安はない。
リリの心が欲しくなったノワールが釣り書き片手に侯爵と一騎打ちしたり
ずっとそばにいると思っていたリリを失ったことに気づいたトーニが慌てふためいて侯爵に返り討ちにされてたりするのはまた別の話。




