揚羽蝶
蝶を『拾う』という言い方は少し違和感があるかもしれない。
優雅にひらひらと舞うはずの蝶は、虫取り網やらを使って『捕まえる』というのが普通の表現だろう。
だが、現実に私はそれを拾った。黒い羽に、青い筋が美しいアゲハ蝶である。ただし、片方の羽は無残にも折れ曲がっていた。
そう、その蝶は飛べない蝶だったのである。
はじめに見たのは夜だった。
その日、家に帰ってみると、入り口のドア辺りがやたらと暗い。見れば、そこをを照らすはずの蛍光灯が切れていた。そんな暗がりの中だったので、ドアの片隅に何かしらのシルエットは見えていたのだが、枯葉が落ちているのだろう、くらいにしか思わなかった。
そのシルエットが枯葉でないと分かったのは翌朝である。
アゲハ蝶はそれこそ枯葉のようにぴくりとも動かず、じっとうずくまっているかのようだった。
生きているのかどうか。試しに指でつついてみたら、慌てて羽をバタつかせた。突如襲い掛かってきた恐怖から逃れようともがいたのだ。だが、飛ばない。羽の挙動がおかしい。見れば、左の羽が縦に折れており、その姿は痛々しいほどだった。
本来、蝶は舞い、花の蜜を吸うものである。このまま硬いコンクリートの上に落ちていては、どうなるのかは目に見えている。暑い盛りのことだから、恐らく、数日のうちに大群のアリたちが押し寄せ、彼らの冬の食料として大切に貯蔵されるだろう。その光景が目に浮かんだとき、気付けば私は嫌がる蝶を手のひらに包み、今出たばかりの家へ戻っていた。
大きめなアイスクリームの容器に砂糖水を含ませた脱脂綿を置いて、即席の蝶の住居を用意した。羽の折れた蝶は飛べないので、ふたは不必要だ。私は小さく、よし、と言って再び家を出た。
夜になって戻ると、蝶は少し場所を移動しただけで、朝とほとんど変わらず、ぽつんと容器の中にいた。様子が違うところと言えば、濃い茶色の液体が少しだけ容器の底に付着していたくらいである。おそらく蝶の排泄物なのだろう。
まさか死んでいるのでは、と思い指先でつつくと、蝶はまた驚いたように折れた羽を暴れさせた。私は小さな安堵感をおぼえた。用意した砂糖水も吸ってくれたに違いない。排泄物はきっとその証拠なのだ。そうでなくても、そう信じたかった。しばらくの間、私は大した動きのない蝶をじっと眺めていた。
飛べない蝶、というのは何とも悲劇的である。
昼間ともなれば、窓の外を別のアゲハ蝶がひらひらと舞っている。何の制約もなく、ごく当たり前に、鮮やかな色の花にとまっては、その甘い密を吸うのだろう。一方で、私の足元の蝶は、真っ白なアイスクリームの箱の中、相変わらず折れたままの羽でじっと動かないでいる。
蝶の羽というのは再生しないらしい。つまりは、この蝶は死ぬまで飛ぶことができず、このままだという事である。
私はこの蝶を助けたのだろうか。飛ぶこともかなわず、ただ白い脱脂綿に含まれた砂糖水を吸っては、茶色い液を排泄するだけの蝶。四方は色鮮やかな花々とは無縁の、無味乾燥とした白い壁があるだけなのだ。私が飽きて外に放り出しでもしない限り、死ぬまでそれが続く。そうして生きるものを蝶と呼べるのだろうか。
そこまで考えると、つい命の意味などという事まで考えてしまう。つまらない生か、自然なままの死か。それを人に置きかえるとどうなるのか。
だが、どんなに考えてみたところで、結局のところ、私には何をどうすることも出来ない。このいたいけな蝶を捨てるようなことも出来ないし、また羽を再生させてやることも出来ない。
とりあえず私は、この蝶のために透明なプラスチックの虫かごを用意してやることにした。ちょっとは見晴らしも良くなるはずだ。蝶が何を考えているのかは分からないから、私の自己満足なのかも知れない。だが、それでもいい。
虫かごを買いに行こうと玄関を出たとき、ふと家の壁に蝶のさなぎの抜け殻があることに気付いた。
あの蝶のものだ、と即座に思った。蝶は私の家で羽化したのだ。きっとそうに違いない。だから、私が拾うのも運命であったのだ。
妙に得心した気分になった私は、オンボロの自転車を引っ張り出すと、元気な蝶がひらひらと舞うのを横目に、ゆっくりとペダルをこぎ出した。