追想は自転車のうえで……
「死神界隈も人手不足で忙しいので、走馬灯はセルフサービスでご覧下さい」
要約すると、そういう事なんだ。
人は死ぬ間際に時間が止まったように感じ、今までの人生をフラッシュバックする体験をするそうだ。これは死ぬことへの恐怖を誤魔化す為に脳が見せる幻覚だと言われている……
眉唾物の話だが、俺は今まさにそれを体験しようとしている……俺の目の前に現れた死神の手によって。
──もしも『時間が止まる』能力を身につけたら
その力を何に使おうかと想像した事は、誰しもが一度や二度は考えたことがあるのではないか?
大抵はロクな事に使わない奴が多いはずだ。
エロいことしたり、銀行からお金を盗んだり、欲しい物を奪ったり、嫌いな奴にイタズラしたり….…
俺は今、死神の力で止まった時間の中にいる。
空を流れる雲が、羽ばたく鳥が、朝の街を行き交う人々が、俺の目には切り取られた写真のように映って見えている。だが、その中で死神は動いているのだ。
ところで、皆が想像する“死神”というはどんな見た目をしている?
大きな鎌を手に持ち、黒いボロボロのフードで全身を覆った恐ろしげな髑髏……といったところではないだろうか?
俺もだいたいそんなもんだと思っていたが、実物は古来からの伝承とは随分かけ離れていいた。現代に合わせて容姿を変えているのだ。
今の俺たちが、ちょんまげ頭をしていないのと同じで、いつまでも古臭い格好はしてられないのだろう。
さて、俺の目の前にいるこの自称“死神”のオッサンなんだが……低身長で小太り。頭は少ない髪の毛を7対3に分けている。
そしてヨレヨレの黒のスーツをだらしなく着ている姿は、冴えないサラリーマンといったところか。
顔もなんだか申し訳なさそうにしていて覇気が感じられない。スーツの肩に落ちてるフケが目立つ。清潔感もない。
俺は自転車にまたがった姿勢で時間を止められている。
それは何故か?
俺が乗っているこの自転車、実はブレーキが壊れてしまっている。
そんなこととはつゆ知らず、俺は止まれない自転車に乗って学校へ向かったんだ。そして途中の下り坂を降りている時、ブレーキが効かずに激突して死んだ。
はずだったのだが……
どこからか突然このオッサンが現れて時間を止めた。
オッサンは俺の脳内に、俺の18年間の人生を圧縮した走馬灯を見せるくれるらしい。
では、ここから先はオッサンに聞いてみよう。
─────「…で、すまないがもう1回説明して貰えるかな?」
今際の際にも関わらず、俺はわりと淡白な態度で死神のオッサンに説明を求めた。
「……えっとですね、青崎いたる様。まことに気の毒なお話ではありますが、アナタは今日、この瞬間に死にます。それでですね、わたくしども冥府役所はですね……
あ! 忘れてました、コレ名刺です……
え〜と、亡くなられる方のために、これまでの人生を振り返る走馬灯というサービスを無償で提供しているのです。ちなみに走馬灯とはどの様な物かご存じでしょうか?」
オッサンは俺の顔色を伺い、ぺこぺこしながら名刺を差し出す。俺はそれを両手で丁寧に受け取った。
「高いところからすいません」と自転車に乗ったまま……
『冥府役所 死神課 係長』
役所の人間だったら市民に舐められるんじゃないかとコッチが心配になるほどオッサンの態度は低姿勢だ。
『あんたは今から死ぬから走馬灯を見せてやる』
なんて言われたら、俺以外の人なら怒るだろうな……
で、走馬灯なんだが……
「もちろん知っている。人は死ぬ直前、過去の思い出がフラッシュバックするんだろ? それを走馬灯と呼ぶんじゃなかったか?」
「そうですそうです、さすが青崎様! その若さで随分と博識でいらっしゃる」
俺を怒らせないためなんだろうが少し大袈裟に持ち上げすぎじゃないか?
必要以上にヨイショされたら、キレる人はキレるぞ。
そもそも走馬灯って単語は、日本人なら誰でも知っていそうだが。
「で、オッサンが俺の周りの時間を止めてる間に、俺に走馬灯を見せてくれるのか?」
「そうです! まさにその通りなのです……が」
オッサンの語尾が尻つぼむ。
「が?」
「あのですね……申し上げにくいのですが、本来ならばわたくしが青崎様の脳内に直接、青崎様の過去の思い出を投影させていただくのですが、我々死神課はですね、少子高齢化と、配属された新人がすぐに辞めてしまう等で人手不足に陥っていまして、それで……まことに恐縮なのですが、青崎様ご自身で、自分の人生の思い出でを振り返って頂けないかと思いまして……」
「と言うことは、見せてくれるのではなくて、走馬灯は自分で思い出せ……と?」
オッサンはハンカチを取り出し、額の汗を拭きながら申し訳なさそうに小さく頷いた。
なんという職務怠慢! 走馬灯を見せてやると嘯いて、己で勝手に思い出せだと!?
こんなの行政失格ではなかろうか? こんな事、許されるべきでは無い!
この怒りは400字綴りの原稿用紙30枚程度にしたため、その冥府役所とやらに直接赴き、窓口に設置してあるご意見ボックスへ叩き込んでやる!
……などと、俺は言うつもりは無い。だって今から死んでしまうのだから。しかし……
「すまないが、過去を振り返る行為はあまり気が進まないんだ。今までろくな人生じゃなかったから」
「まぁ、そうおっしゃらずに、何もかもがお辛い経験ではなかったでしょうに。それなりに楽しい事もあったのでは? それに走馬灯は見たい場面だけを見る。それだけでも結構なので」
意外と食い下がるなコイツ……まぁ、いいか。
「わかった、好きな場面だけ見ればいいんだな? だったら俺はそれで構わない」
そう返事してやるとオッサンはありがとうございます、ありがとうございますと、頭皮が透けて見える頭頂部を何度も俺に向けた。
「そう、俺『は』構わないが…コッチはどうする?」
俺は俺の右側を親指でクイッと指してオッサンに訊ねた。
俺のすぐ隣には、俺と同じく自転車に跨っている女がいる。
彼女のことは良く知っている。
俺より年齢はひとつ下の幼馴染、野中瑠奈だ。瑠奈は下唇を噛み、顔を紅潮させ、目に涙を溜めたまま黙って俺とオッサンの会話を聞いている。
どうやら俺と瑠奈は、自転車に乗ったまま互いにぶつかり合って死ぬ運命のようだ。
「い〜や〜だぁ〜! 死にたくないよぉぉ〜!」
オッサンと俺の会話をやっと理解したのか、瑠奈は自転車に跨ったまま突然声を上げて泣き始めた。瞳に溜まっていた涙がついに決壊して流れ出る。鼻水も出てきた。
俺はブレーキの壊れた自転車に乗って坂を下り、十字路に侵入して、死角となる角から瑠奈が飛び出してぶつかる直前で時間を止められた。
かたや瑠奈は、右手にスマホ、耳にイヤホン、左手にコンビニのメロンパンを持ったまま自転車で十字路に侵入。そして俺に気づかずに曲がり角で……といったところか。
自転車の整備を怠った俺に落ち度はある。だがしかしだ。瑠奈は両手が塞がったまま自転車に乗っている。コレはかなり愚かな行為だと思う。
俺達はお互いの自転車の前輪がぶつかる寸前で距離を保っている。サドルに腰掛けたまま瑠奈に触れることも可能な近さだ。
わんわんと泣きじゃくる瑠奈を、オッサンは謝りながら宥めている。
「申し訳ございません野中様! どうか、どうか御理解ください!」
そうは言っても瑠奈は泣き喚く。死にたくないって泣き喚く。それにひきかえ俺はまったく泣く気など無い。別に死んでもいいと思っているからだ。
「申し訳ございません野中様、どうか走馬灯はご自身でご覧になってください!」
瑠奈が泣いているのは走馬灯の事ではないだろう、とわざわざオッサンに言う気にもなれない。はぁ…
「おい、瑠奈。ちょっと落ち着けよ。泣いても死ぬ運命は変わらんみたいだぞ」
そう声を掛けたのは逆効果だった。瑠奈の泣き声と涙は嵩むばかりだ。うるさすぎて俺の耳が痛む。
あれ、そう言えばコイツに話しかけるのって、4年ぶりくらいだったかな?
小さい頃から中学に入る手前くらいまではよく一緒に遊んでいた気がする。それがいつからか全く喋らなくなり、その後同じ高校に通う様になっても挨拶すらしなくなった。
それにしてもコイツ、ここ数年で随分と見た目が派手になったな。
髪型はショートボブにシルバーのインナーメッシュでカラーリング、耳に無数のピアス、ブラウスの1番上のボタンを開けて細いネックレスが見える。たしか、部活は美術部だったか?
これは俺の偏見だが、アーティスティックな人間ていう奴は、どうも見た目から変わり者になる傾向があるらしい。
それにしてもスカートが短い。これで自転車に乗るとかなり高い確率でパンツが見えると思うんだが気にならないのか? 痴女か? 目も性格も男っぽかったコイツが、なんだかギャルっぽくなっちまってる。
俺は腕組みをして、瑠奈が泣き止むのを待つ事にした。
オッサンはオロオロと狼狽えるだけで声を掛けるのを辞め、慟哭いう名の嵐が過ぎるのをただ待っている。
何を言ってもただ泣かれるだけならば、当然余計な体力は使わない方が賢明だ。
しばらくすると泣き疲れたのか瑠奈は静かに項垂れた。
途中、ぐしゅぐしゅと鼻を啜っているが、少しは落ち着いてくれたのだろう。
あ、両手が塞がってるからって服のそでで鼻水を……ハンカチ持ってないのか、けしからん。
ガサツな所は変わってないな……
オッサンは泣き止んだ瑠奈を見て、ほっと胸を撫で下ろし、ハンカチで顔中の汗を拭いている。俺は瑠奈が口を開くのをじっと待つ。
すると「……つく」
瑠奈が小声でようやく発した言葉を、うっかり聞き逃してしまった。
オッサンも同じように困惑している。聞き返すとまた泣かれそうで嫌なんだが一応聞くか……
「ん? なんだって?」
「ムカつくって言ったのよ!」
その怒声は、明らかに俺に向けられたモノだ。その迫力に気圧されて思わず俺はオッサンの方を見てしまった。
オッサンは「違う違う、私に向かって言ってないです!」といった感じで首を横にぶんぶん振る
「アンタに言ったのよ!」
やっぱり俺か……
「まぁ、落ち着けよ。この事故は俺の自転車の整備不良と、ながら運転をしていたお前との事故。過失割合は俺の知見では……5:5といった所なんだがどうだろう?」
俺は両手をパーの形にして瑠奈にその掌を向けた。
瑠奈はプルプルと小刻みに震えながらまた俺に向けて怒鳴った。
「違う! そんなことじゃない! そりゃあ、こんな状態で自転車乗ってるあたしも悪いけど! あたしが言いたいのは、なんでアンタはそんなにアッサリ死ぬ事を受け入れてんのかって事よ!」
あーそっちか……
「その態度がムカつくって言ってんのよバカ! ちょっと前までアンタそんなスカした奴じゃなかったでしょ! ホント腹立つ! だいたいアンタは……」
「ところでオッサン、あんたはなんでこれから死ぬ人間にわざわざ走馬灯なんて見せようとするんだ?」
これ以上罵声を浴びせられたら落ち着いて死ねやしやいと思った俺はオッサンに水を向けた。
「あぁ、それはですね、」
「聞けよゴルァ!」
「お二人が輪廻転生して生まれ変わった時に、有利な条件で再びこの世に生まれるためなんですよ。」
「走馬灯を見るだけで来世がハッピーになるのか? だとしたら世の中ハッピーで満たされて戦争なんて起こってないぜ?」
俺とオッサンの会話に興味を持ったのか瑠奈は口を噤む。よし。
「もちろんただ走馬灯を見ればいいって訳ではごさいません。お二人はお亡くなりになった時、まず最初に彼岸を渡り、その先に駐在している私の同僚に『前世の行い』を自己申告して頂きます。生前どんな善行をしたのか、後悔している事はあるか、それと反省すべき過ち等。それを精査して、お二人の魂の優良価が高ければ、来世は望みの生き物に転生する事が可能になるのです。架空の生物でも無い限り、どの生き物だろうと、どんな環境だろうとご用意致しますよ」
「それは人間だろうが犬猫だろうがカメムシだろうがハシビロコウだろうがなんでもか? じゃあ俺は猫がいい」
「お望みが通れば。ですが……まずは審査の結果次第でございます」
死んで三途の川を渡った先にも、オッサンのような役割を担う係がいるのか……ご苦労なことだ。
「……それじゃあ悪い事して死んじゃった人はどーなるのよ? カメムシ以下の生き物に転生すんの? てゆーか、それじゃまるで生き物に優劣があるみたいじゃない。そんなの人間のエゴが勝ちすぎてるわ。」
オッサンが説明する輪廻転生のシステムに納得がいかないのか、目元を真っ赤にした瑠奈が口を挟んできた。
「生前、自分以外の生物に良い影響を与えた者は有利に、その逆の行為をした者は不利になります。徳を積んでいた人ほど有利……と考えて頂ければイメージしやすいかと….」
「人間以外の動物はどーなるのよ? 例えばライオンとか鰐とかの、弱肉強食の世界のトップは? 徳とか物事の善悪なんて一切考えずに他の生物を平らげているわよ。そもそも人間以外の動物も、死んだらあの世で生前の行いを審査されるの?」
お、それは俺も気になる。
「実は私、人間のみを担当しているので他の生物の事はあまりよく知りません。でも、同僚から聞いた話では、人間以外の生物はそもそも神や天国などを信じる考えを持っておりません。彼らは種を存続させるためだけに他者を食らって生きています。それ故、あの世での審査はとても簡易的であり、その基準は『種を残した者』だそうです。それもできるだけ多く」
「それはおかしい!」
瑠奈の語気が強くなる。気が立っているなコイツ。
「生まれた時から生殖機能に問題があったり、トランスジェンダーだった場合はどうなるの? これらは動物にだって起きることなのよ? てゆーか、マンボウは? マンボウって一度に2億から3億の卵を産むのよ! 種を多く残したら次は上等な生き物に生まれ変われるの? オジサンが言う上等な生き物って人間なんでしょ? だったらあたしら人類の前世ってみんなマンボウなの?」
随分食ってかかるじゃないか……自分が今から死ぬ事が理不尽だと思ってオッサンに当たってるのかな? 瑠奈に言い詰められて死神のオッサンは、だからとか、その、とか言ってたじろいでいる。
「おい、その辺にしとけよ。このオッサンは人間担当らしいぞ。他の生き物の事は知らんと言ってるだろう」
これ以上うるさくされては敵わんと思い、俺は口を出したが、すぐに瑠奈に睨まれて口撃の対象は再び俺に移行した。
「アンタ今、あたしがこのオジサンに八つ当たりしてると思ったでしょ? 自分が理不尽に死にそうだから怒ってるって思ってんでしょ?」
コイツ、何故分かった? じつはエスパーなのか!?
「まぁ、今は他の動物の転生話は置いとくわ。全ッ然納得いってないけど。」
オッサンが何を言ってもお前は納得しなさそうだが……
「あたしが気に食わないのはねぇ、いたるのその態度よ。……アンタがそんな性格になっちゃった原因は分かるよ。辛い毎日を送ってたのも知ってる。でもね……」
「で、オッサン。俺たちはどうやって走馬灯を見ればいいんだ?」
「だから聞けっつーのッ!」
俺はさっさと俺の人生を終わらせたい。
もうこれ以上瑠奈に付き合うつもりはない。綺麗な部分だけの走馬灯を見て、それで終幕にしたいんだ。
「それではコレを……」
オッサンは俺たちに、A4サイズのノートを開いた時くらいの大きさのホワイトボードと、マジックとクリーナーを渡してきた。
思わずキョトンとしてしまった。瑠奈も同じだ。
「何よコレ? あたしらに大喜利でもしろってーの?」
たしかにコレは、テレビでお笑い芸人がよく使っているホワイトボードだ。
「これに検索したい時期と、思い出に関係するワードを書き込めば、脳内で自動的にその日の思い出が再生される仕組みになっております。
なるべく多くのワードを書き込まれたほうが、より詳しく鮮明に再生されますよ」
なんの変哲も無いただのホワイトボードに、そんな機能があるとは驚いた。いや、時間が止められて死神が現れてるこの状況では、何が起ころうがいちいち驚いてたら体がもたん。
「では、私は次があるので、ここいらで失礼させて頂きます。今日は後502件処理しなければならないので……」
オッサンは一礼してから踵を返し、早々に立ち去ろうとする。それを瑠奈が呼び止めた。
「ちょっと待ちなさいよ! 走馬灯を見ても生き残れるパターンってないの?」
オッサンは振り返るとこう言った。
「中にはこの状況から生存する方もおられますが、それはそうとう稀なことでございます。希望は持たない方がよろしいかと……それと、言い忘れていましたが、その場から絶対離れてはいけませんよ。もしも離れたら、アナタの魂は地獄で徹底的に蹂躙されて、永遠の苦しみを味わう事になりますから……」
最後の言葉にたじろいだ瑠奈は口を閉じた。
死神と目が合った者は、必ず死ぬ運命だということか。
「それでは走馬灯を見終わった頃にまた伺います。時間は死ぬほどございますので、どうぞごゆっくり」
そう言い残すとオッサンの姿は陽炎のように揺らいだあと、すーっと消えた。
今から死ぬ人間に、死ぬほど時間を与えてくれたのか。だが、ここから動いてはならない。
そんな事を言われたら自転車から降りるのも憚れるな……これはもう走馬灯を見る以外の選択は無いか。
そう考えていると、ペンを走らせる音がきこえた。
瑠奈がホワイトボードに何か書いている。やっとやる気になったのか? あ、いや、死ぬ気か? いや、この場合はどっちだ?
ホワイトボードにキュッキュッと文字を書きながら瑠奈は呟いている
「私は死なない、こんなことさっさと終わらせて、いたるとぶつかった瞬間に受け身をとってやる!」
書き終えた瑠奈がボードを俺の方に向けた。
「あたしはとりあえずここからはじめるわ」
ボードに書いてあるワードは……
『幼稚園 どろだんご 友達』
それを見た瞬間、おれの視界に強烈な光が見えた後、五人の小さな子どもが、エアコンの室外機の前にしゃがみ込んで楽しげにしている景色が見えた。俺はその子ども達を後ろから見ている。
それは、まるで自分がそこに瞬間移動したのではないかと思うほどに鮮明で、手を伸ばせば、彼らに触れる事ができそうな程だ。
……これは、俺の知っている光景だった。
「俺と、瑠奈……」
「ヒロトとタケぽん、ユキも一緒だね」
後ろを振り向くと瑠奈が立っていた。
そうか、俺たちは同じ思い出を共有しているんだ。
幼稚園からの幼馴染で、いつも一緒に遊んでいたから当然か……
「あたしら五人はいつも一緒に遊んでたよね。この日は幼稚園の自由時間の時に、みんなでピカピカのどろ団子を作ったのよ。季節は冬だった。いたるがさ、室外機から出る風でどろ団子を乾かそうぜって言ったもんだから、みんなしてあそこに座ってるの……冷たい風が出る室外機の前にね。それで次の日……」
瑠奈の言葉を俺がつなぐ。
「見事に全員が風邪をひいたんだよな……思い出した」
……ヒロト、タケぽん、ユキ、そして瑠奈。
この中で瑠奈だけが年下だけど、俺たちとよくつるんでいた。
そう、俺はこの時風邪を引いた……
お袋は俺を病院へ連れて行き……
親父はその日の晩、仕事帰りにプリンを買ってきてくれた……
そしてサチ姉ぇは、あんただけズルいって怒ってたっけ……
「よく覚えてるじゃん。てゆーか、検索された思い出って、あたしらが同じ思い出を共有してたらふたり同時に見れるんだね」
視界が再び光に覆われると、俺たちは自転車に跨っていた。
ふーっと瑠奈が息を吐いた。
「……あたし決めたわ。」
瑠奈はするどい視線を俺に向けてこう言った。
「あんたに走馬灯をみせて、思い出であんたを昔の青崎いたるに戻してやる!」
その力強い眼差しからは、揺るぎない決意が見て取れる。俺は思わず瑠奈から目を逸らして、視線を手元のボードに落とした。
やると決めたらトコトンやる。瑠奈はちっとも変わっていない。俺とは違う。
「そして必ず生きる! あたしらは死なない! 絶対に!」
「せっかくだからあんたも何か書きなよ、自分だけの思い出でもいいからさ」
瑠奈に促されてもボードを持つ俺の手は動かない。
正直俺は、もう嫌な気分でいっぱいだった。
思い出してしまったんだ。
仲が良かった頃の両親と、死んでしまった2つ上の姉の事を……俺はその思い出に蓋をして、今の今までただなんとなく生きてきたんだ。
あの頃は、幸せだったな……
「アンタ、さっきので家族のことを思い出したんでしょ? しんどいなら、それとは違う思い出を探してみなよ」
それ以外の思い出か……
楽しかった頃を思い出すと、どうしても家族が壊れた記憶も同時に引っ張り出してしまう。一向に動かない俺を見かねて瑠奈がペンを走らせた。
「いたるが何もしないなら、あたしの思い出に付き合ってもらうわ」
瑠奈が俺に見せたボードの文字は……
『5、6年生合同遠足 三学期 ヒロトといたるの喧嘩』
「でもね、これはただの思い出じゃないの。これから見せるのは、あたしの後悔よ……」
瑠奈がそう言った瞬間、俺の視界は光で満たされた。
──────
俺が今いる場所は、河川敷横の公園だ。
あと数日で卒業する6年生と在校生の5年が合同で行ったおわかれ遠足。生徒たちは自分の敷物を地面に敷いて、友達と寄せ合い、弁当を開けようとしている。
「あっちだよ……」
隣にいる瑠奈が指差す方に体を向けると、そこにはあの頃の瑠奈とヒロトとタケぽんとユキが居る。
いつものメンバーで集まり、それぞれが持ってきたシートをひっつけて座っていた。だが、そこに俺は居ない。
小学生の俺は、みんなから離れた場所でコンビニの袋から菓子パンを取り出し、それを表情なく齧っていた。
俺は過去の自分の姿を見て胸がズキンと痛くなり、胸元に手を当てた。仲間はずれをされたんじゃない、俺は、自分からアイツらの輪から離れたんだ。
瑠奈達が、ひとりぼっちの小さな俺の様子を遠くから心配そうな顔で伺っている事に気づいた。
俺の横にいる今の瑠奈が、自分の顔を一度両手で覆ったあと、ため息を吐いてからこう言った。
「あたしらはさ、知ってたんだよ。いたるのお父さんが出て行った事も、それが原因でおばさんが引きこもってしまった事も……それと……いや……」
瑠奈が一旦、口籠る。
「子どもだったからかな? あたしらから離れて、一人で食べてるアンタに、なんて声を掛けたらいいのか分かんなかったんだ」
お袋は、俺が遠足で弁当が要るのを知っていたはずなのに、お弁当を作ってくれなかった。代わりにお金だけを渡してくれた。
あの菓子パンは当日の朝、登校前に早朝のコンビニで自分で買ってきた物だったな。
あのレジ袋には、菓子パン2個と200円分のオヤツをまとめて入れてある。たしかこの後……
「あたし、馬鹿だからさ、アンタの気持ちを考えずに、いつもみたいな態度で話かけたんだ。あたしのお弁当半分あげるからそのパン1個と交換してよって……覚えてる?」
「……………」
覚えてる。
目の前の小さい瑠奈が、ヒロト達が止めるのを聞かずにパンを齧ってる小さな俺の所へ、弁当を持って駆けて行った。
瑠奈から交換の話を持ちかけられた俺は、恥ずかしさから瑠奈が持っていた弁当を払い落としてしまった。
それを見て怒ったヒロトが小さい俺に向かって駆けて行き、喧嘩になった。
俺とヒロトは組み合って、タケぽんは俺たちを止めながら、ユキと瑠奈は落ちた弁当の中身を拾いながら泣いている。
「……ごめん」
俺の口からは無意識に謝罪の言葉が漏れていた。
「違う、これはあたしが悪いの……遠足の日より少し前からあたしら、全然喋ってなかったじゃない?でもね……この時、ひさしぶりにいたると話せるチャンスだと思ったんだ。いたるがパンを見られるのは嫌がるってわかってたのに……」
いつのまにか俺たちは自転車に戻っていた。
「さっきのが、あたしの後悔してることの1つなんだ……」
俺たちの間にしばし沈黙が流れる。
瑠奈達は、こんなにも俺のことを気に掛けてくれていたのか……それなのに俺は。
沈黙を破ったのは俺だ。
「俺にも、後悔してる事がある……あれは6年生の夏休み中の出来事だった。あの日は朝から夕方まで、みんなで市民プールで遊んだ。日もすっかり暮れて、みんなと別れて家に帰ったら……玄関に親父の靴があったんだ。銀行で働いていた親父はその時、単身赴任で隣の県に居るはずだった。俺達を驚かせるためにこっそり帰ってきたものだと思い、俺は喜んでリビングに駆けて行ったんだ。でもそこには……ソファーに座って俯いて泣いているサチ姉ぇとお袋。テーブルを挟んで親父と、お腹の大きな知らない女性がいた……この時、誰が何を喋ったのか覚えちゃいないけど『俺たちは親父に捨てられた』それだけは理解したんだ」
眉を寄せる瑠奈は、何も言わずにただ俺をじっと見つめている。
「それからお袋は、ショックで部屋に引き篭もるようになった。ウチには毎月親父から養育費が振り込まれ、それとは別に服と食材とおもちゃと本が一緒に送られてきた。俺にはそれらが何の意味を持たないとても冷たくて無機質な物に見えた。親父はもうこの家には帰ってこない。引き篭もったお袋は家事すらまともに出来なくなった。それでも、サチ姉ぇは落ち込んでばかりではダメだと、俺とお袋の前では無理して明るく振る舞っていた。家の事は俺たちで分担してたんだ。いつかきっとお袋が元気を取り戻す事を願って。
でも、でも、サチ姉ぇが……」
「……もういいよ。そこからは……」
瑠奈はまた泣き出しそうな表情になっていた。
「11月13日……サチ姉ぇは死んだ。信号無視の車に轢き逃げされて……」
いままで封じていた記憶を全て呼び戻してしまった俺の声は細く、弱々しく震えはじめた。
「俺の、俺のせいなんだ……俺が家の鍵を落としたから、日が暮れるまで一緒にサチ姉ぇに探してもらっていたからなんだ……結局鍵は見つからず、二人で青信号を渡っている時……サチ姉ぇは!」
「いたるッ!!」
瑠奈の大きな声で俺は言葉を止めた。
知らない内に俺の目からは涙が流れていた。そいつを服の袖で拭う。
俺は気持ちを落ち着かせるようにひとつ大きく呼吸をした。
「俺は俺が嫌いだ……俺の周りでは不幸が起きる。そう思っている」
「サッちゃんが死んだのはアンタのせいじゃない! それ、絶対違うからッ!」
瑠奈が声を荒げる。
「……轢き逃げ犯は無免許の独居老人。サチ姉ぇを跳ね飛ばしたあと、橋の欄干に激突して死んでいるのが見つかった。これは当時ニュースでも流れたな。葬儀の間、俺とお袋はずっと泣いていた。親父は来なかった……自分の娘が死んだのに。もう俺たちに会いたくなかったからなのかな? 俺は誰からも見放された存在なんだと思うようになったよ」
「それが理由で、アンタはあたしらを避けるようになったの?」
瑠奈は俺を、涙を流しながら睨みつけている。
「……中学に入ってから、親父からの養育費の支払いが滞るようになり、収入を絶たれた俺たちの生活は困窮しはじめた。そして……ある日から、お袋が知らない男を家に招き入れるようになったんだ。昼夜問わず週に3、4回程度……家に来る男は毎回違う人だった。
家の中を、耳を塞ぎたくなるようなお袋の声で充満し始めた頃から、俺の居場所は無くなった……」
瑠奈が涙を流しながら無言でホワイトボードにワードを綴りだした。
そしてそれを俺に向けて見せる。
『中1 夜の公園 いたる』
眩しいと思った瞬間、突然視界を闇が襲った。
家の近くの公園の茂みの中で、中2の俺は膝を抱えて息を潜めている。
街灯が道を照らしている場所に人影があった。
中1の瑠奈だった。その顔は、茂みの中でじっとしている俺に気づいているようだ。そして彼女は小声で呟いていた。
「わかんないよ、どうしてあげたらいいのよ……」
困り顔の中1の瑠奈の後ろへ今の瑠奈が回り込み、そっと抱きしめる仕草をした。
当然触れる事はできない。そして中1の瑠奈はその場から逃げるように夜の闇に消えて行った。
「瑠奈……俺に気づいてたのか?」
瑠奈はこくんと頷いた。
……場面が再び自転車に戻ると瑠奈が口を開いた。
「アンタが苦しかった事は知っていた。おばさんのコト、近所では噂だったから……でもね……あたしは、あたしらはアンタに頼ってほしかった……あたしらが声をかけても、また喧嘩になっちゃうから…」
瑠奈はまたぐしゅぐしゅと泣き始める。
俺もまた、泣けてきた……今度は唇から全身まで小刻みに震えるほどに。
「ふ、不幸を起こす俺は、お前らに、迷惑かけたくなかったんだ……」
「本当にバカッ! 頼ってよ! 友達なんだからもっと頼ってよ!」
「ごめん! 俺、バカだから、ごめん! 瑠奈! 俺のこと、ちゃんと見ててくれたのにごめん!」
止まってしまっている時間の中で、俺たちは自転車に跨ったまま、おいおいと泣いた。
瑠奈は俺を泣きながら責めて、俺はずっと泣きながら謝った。俺たちの間にあった4年間のわだかまりが解けた気がする。
泣き疲れて涙が底をついた頃、瑠奈が手に持ってるメロンパンを差し出してきた。
「……半分あげる」
「食べかけじゃん、いらねーよ」
そんなやり取りが、なんだか懐かしく感じて俺たちは吹き出し、そして自然と笑い声が出てきた。
「ん」
瑠奈が俺に手を伸ばし、少し躊躇してから俺はその手をにぎった。
「おかえり、いたる。これにてあたしらは元通りって事ね」
赤い目を細めてニヤリと笑う瑠奈が続けてこう言った。
「タケぽんがね、僕らが成人になったら思い切っていたるの事を誘おう、て計画を立ててたんだよ。アイツがどんなに嫌がっても無理矢理引き摺ってでも飲みに連れて行くんだって息巻いてたよ。ヒロトもユキも賛成だって、てゆーか、知ってた? ヒロトとユキが付き合ってんの?」
「え? マジか!? 知らんかったわ、つーか俺は交流なかったら当然か……」
今日イチ驚いたと言いたいが、1番の驚きはこの時間停止か……
「おや、なんだか楽しそうですね? その様子だと、よほど良い走馬灯が見れたようで」
死神のオッサンが帰ってきてしまった。
「さて、青崎いたる様、野中瑠奈様。死ぬ準備はできましたか?」
オッサンは最初出会った時とは違う不気味な薄い笑みを見せている。その瞳の奥は吸い込まれる程にドス黒い。
「死ぬ覚悟なんてできてないわよ! だって死ぬ気なんてないから!」
瑠奈は腕組みをして答える。
「オジサンのお陰でいたると仲直りできた事は感謝するわ。だからってあたしは簡単に死ぬつもりはないから」
そうだった。俺たちは死ぬ運命だったんだ。久しぶりに感情を爆発させてせいですっかり忘れていた。
「なぁ、オッサン。相談なんだが……俺はもう思い残す事はない。でも、どうにかして瑠奈だけは助けてやってくれないか?」
「はぁ!? バカ、何言ってんのよアンタ!」
瑠奈はまた怒り出した。
「残念ですが、その望みは叶えてあげられません」
当然といった感じの返事が返ってきた。
「なんであたしだけなのよ! アンタも生きるのよ! さっき話したでしょ! ヒロトもタケぽんもユキも待ってるだから! 何があっても生きるのよ!」
瑠奈は俺に生きるよう説得してくれている。その気持ちだけで、もう俺の心は充分に満たされてしまっているのだ。
「オッサン、この事故でも死なない場合もあるんだよな?」
死神は小さく頷いてから、
「強運の持ち主であれば、の話ですが」と答えた。
「なぁ、瑠奈、お前の夢って絵で食ってく事だったよな?それは今でも変わってないか?」
突然の俺の問いかけに瑠奈は目を丸くしている。
「あたしの夢、覚えてたんだね……変わってないよ。
あたしはここを生き抜いて藝大を目指すんだ。だからまだ死ねない」
瑠奈の力強い返事に俺の覚悟は固まった。
「そろそろよろしいでしょうか?」
もう時間か……
俺はハンドルを力強く握り、左に傾けた。
「いたる!」
瑠奈に呼びかけられ、彼女の方に首を向ける。
「あたしの顔を見ろ! あたしを忘れるな! あたしもアンタの顔を忘れない! 生き残るよ! 絶対絶対絶対に!」
凛々しくて優しい瑠奈の顔を、俺は見つめる。
絶対に忘れないよ。
「ありがとう、瑠奈。また会えて良かった」
ガシャーーーーーン!!
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日本の美術界に、今年でデビュー30周年を迎えた女性画家がいる。
彼女は17歳の時に交通事故により重症を負い、後遺症で半身麻痺を患った。
その後の懸命なリハビリによって機能は回復し、4年後に東京藝術大学に合格。
在学中に発表した油彩画『ある少年の自画像』で鮮烈なデビューを果たす。
以降、数々の作品を発表し、多くの賞を受賞した。
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あたしのアトリエには、あたしの作品だけではなく、息子と娘の絵も飾ってある。彼らは暇があればここへ来て絵を描いたりする。
いろんな物が散乱しているこのアトリエに、さっき
珍しい客がきたわ。
それは一匹の黒猫。
その猫は、あたしが描いた『ある少年の自画像』の前に座りこみ、ずっと尻尾を振っていたのよ。
あたしは、その子に声を掛けたの。
「友達に会いにくるのに、どれだけ時間が掛かるのよ。アンタってば、どーせ寄り道でもしてたんでしょ?」って、
そしたら彼がこっちを振り向いて、悪びれもせずに大きな欠伸をして、にゃあと鳴いたのよ。
ほんとバカなんだから。
おわり
お疲れでした。
こんにちは、ねずただひまです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
今回の短編は一部自分の体験談を織り交ぜて書きました。
少し暗いお話になってしまいましたが…この作品が誰かの心に残れば幸いです。
それではさようなら




