表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界ゲームバー転生おじさん(42)、世界のバグになる。 〜看板は酒場、ノルマは命。AI神権に管理された世界で、名前のないマスターは今日も死に戻る〜  作者: 勇者ヨシ君
リスタート01

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

64/207

第48話 おっさん、平和な朝のあとで店ごと消すって言われる ――腰は痛いが、飯もうまいし酒もうまい。だからこそ、失いたくなかった――

 修行を終えても、世界は待ってくれない。

 それでも、《るすと》には、少しだけ平和な朝が戻っていた。

 だからこそ、その朝が削除対象だと言われた瞬間、俺は本気で腹が立った。

 修行を終えても、世界は待ってくれない。

 それでも、《るすと》には、少しだけ平和な朝が戻っていた。

 だからこそ、その朝が削除対象だと言われた瞬間、俺は本気で腹が立った。


 朝の《るすと》は、妙に平和だった。


 いや、正確には、平和()()に見えた、と言うべきかもしれない。


 木のはりに吊るされたランタンが、蜂蜜みたいな色の光を落としている。磨かれたカウンターは朝の光を鈍く返し、昨夜の酒の気配をまだ少しだけ残していた。厨房の奥からは、焼いた肉の匂いと、煮込まれたスープの湯気と、焦げた香草の香りが流れてくる。

 酒場としては、あまりにも正しい朝だ。


 その空気に混じって、今日も乾いた電子音が、ぴこ、ぴぴ、ぴろり、と鳴っていた。


 ドット剣士の給仕AIが、木製のトレイを頭の上まで掲げたまま、短い足でちょこちょことテーブルの間を走っていく。角を曲がるたびに一歩だけ滑るのに、皿は一枚も落とさない。

 カウンターの上では、受付補助の小型ドットAIが、依頼札の端をぴし、と揃えようとしていた。たった一枚だけ角度が気に入らないらしく、何度も飛び跳ねては直している。

 厨房の前ではドット僧侶AIが、回復ポーションと朝のスープを同じ盆に載せて運んでいた。たぶん、あいつの中ではどっちも「人を助けるもの」で一括りなんだろう。


「本日ノ依頼、更新アリ。採集班、帰還確認。軽負荷案件、推奨順デ表示シマス」


 ドット魔法使いAIが、ふわふわと浮かぶ小さなログ表示を読み上げる。


「……よう働くなぁ」


 そう呟いて、俺はカウンター席に手をついた。


 ついた瞬間、腰の奥に鈍い痛みが走った。


「っつ……」


 止まる。


 そのまま、一拍だけ動けない。


 後ろから、イツキの笑い混じりの声が飛んできた。


「なに、朝イチで固まってんの。フリーズした?」


「違う。腰だ」


「うわ、リアル寄りの不具合」


「修行終わった翌日のほうが痛ぇのおかしいだろ……。昨日より今日のほうが負けてる気がする」


 肩を回す。ばき、と乾いた音が鳴った。


 ナツがすぐに振り向いて、いかにも朝から元気そのものな声で笑う。


「先輩、朝から年齢出てるっす」


「うるせぇ。お前らは寝りゃ治る歳だろうけどな、こっちは寝ると固まるんだよ」


「それ、まだわかりたくない側の知識っす……」


「わかるな。そっちの世界にはまだ来るな」


 言いながら、今度は首を傾げる。肩、腰、背中。ついでにたぶん膝も少し怪しい。

 修行中はどうにかなった。気が張っていたからだ。

 問題は、終わったあとの請求書がまとめて届くことだ。


「ご主人様、肩も重そうでござるな」


 コハクが大きな耳をぴんと立てながら覗き込んでくる。今日も朝から無駄に元気だ。


「重い。肩、腰、ついでに人生も重い」


「朝イチで湿度高すぎ」


 イツキが即切りする。


「でも、前より全体の回りはよくなってるよ。修行の成果はちゃんと出てる。あんたも前ほど無駄に突っ込まなくなったし」


「褒めてんのかそれ」


「半分は」


 ミツキが帳簿を抱えたまま、小さく頷く。


「ナツさんの前衛移動も安定しましたし、コハクさんの制御も前より精度が上がってます。タニシさんも……その……前ほど取り乱さなくなりました」


「最後、めちゃくちゃ気ぃ遣われたんですが!?」


 タニシが全力で抗議した。


「いやほんと、簡易案件って言葉、ここだと信用値ゼロなんすよね……」


「それはそう」


 俺は即答した。


「この世界で“簡易”とか“軽負荷”とか書いてある依頼、だいたい話盛ってるからな」


「ゲームでも現実でも、そういう文言は信用しないほうがいいっすよね」


 ナツが、妙に社会人じみた顔で頷く。


「変なとこだけ会社員みたいだな、お前」


「先輩がたまにおっさんくさいこと言うからっす」


「たまにじゃねぇよ。常時だよ」


 そう言ったところで、カウンターの端から低い声が落ちてきた。


「……いてぇか」


 ガロだった。


 いつの間に座っていたのか、朝だというのにもう木杯を手にしている。中身が酒かどうかは、見なくてもわかる顔をしていた。


「腰か、肩か」


「両方だ。ついでに背中もだ」


「若いのう」


「どこがだよ」


 睨むと、ガロは鼻で笑った。


「痛い場所を三つ言えるうちは、まだ若い。ほんとに来ると、もう“全体的に調子が悪い”になる」


「嫌すぎる未来予告やめろ」


「で、酒は抜けたか」


「微妙だな……。二日酔いってほどじゃねぇ。でも修行疲れと混ざって、何が原因で重いのかわからん」


「それはもう全部じゃ」


「全部か……」


「全部じゃ」


 妙に納得してしまうのが悔しい。


 ホールの中央では、若い連中が朝から元気に動き回っていた。ナツは依頼札を見て「午前で二件はいけるっす!」と拳を握り、コハクは「泥船に乗ったつもりで安心めされよ!」と胸を張り、タニシは「その言い回し、まったく安心できないんですが!?」と叫んでいる。


 その様子を見ながら、俺は肩を回した。


「元気だなぁ……」


 思わず漏れた。


 ガロが木杯を傾ける。


「若いからの」


「若いってすげぇな。朝から声が出る」


「酒が残っとらんだけで、ああも違う」


「二日酔い抜けるの遅くなったよな……」


「遅い。昔は寝りゃ抜けた。今は翌日に“残っとるな”が来て、その次の日に“まだおるな”が来る」


「それ酒じゃなくて呪いだろ」


「歳とは、だいたい呪いじゃ」


「名言みたいに言うな」


 けれど、なんとなく笑った。


 こういう、どうでもいい話ができる朝は悪くない。

 悪くないどころか、たぶん、かなり貴重だ。


 その間にも、《るすと》はいつも通りに動いていた。


 ドット僧侶AIが、回復ポーションと朝スープを同じ盆に並べて運んでいく。

 ドット厨房補助AIは、パンを温めるたびに胸を張っている。

 受付補助AIは相変わらず依頼札の角を揃えていて、たまに満足したみたいにぴこ、と光った。


 ホールの中央では、軽い遠隔ノルマの割り振りが始まっていた。


「採集二件、護送補助一件、遠隔討伐の簡易案件が三つ」


 ミツキが帳簿を見ながら読み上げる。


「午前は軽いの潰すよー。重いのは後。はい、おっさんは指示役」


 イツキがそう言って、俺の方を親指で指した。


「今日は現場で飛び回る気分じゃねぇな……。朝から膝が“本日は会議室でどうですか”って訴えてる」


「膝がビジネスマンみたいな主張してくるのやめて」


「いやほんとに。階段見た瞬間に“できれば避けたい”ってなる」


「先輩、まだそんなに上り下りしてないっすよね?」


「してなくても痛い時は痛いんだよ。おっさんの身体はな、未来予測で先に痛くなることがある」


「それはもう予知スキルでは?」


 タニシが真顔で言った。


 その横で、ルステラの投影が静かに現れた。


 前より輪郭が安定している。声も澄んでいた。前回の実戦を抜けて、むしろ芯が通ったように見える。


「本日ノ消化推奨順、表示シマス。低負荷案件から順次処理。成功率、前週比プラス一二パーセント」


「前週比って言うな。急に会社っぽい」


組織運営マネジメントには有効表現デス」


「やだ、ちょっとギルマスみたい」


 イツキが嫌そうに言うと、ルステラは一拍置いてから、


「不本意デス」


 と答えた。


 そこで、ホールのあちこちから笑いがこぼれた。


 空気は軽い。


 軽いまま、午前のノルマは進んでいく。


 採集ログの簡易表示が浮かび、ドット弓兵AIが討伐数を数え、三の次から指が増えたり減ったりしている。

 戻ってきた端末キャラの上に、小さく《CLEAR》の文字が浮いては消える。

 ナツが一件目を終えて拳を上げ、コハクが「本日の拙者、安定感が違うでござる!」と胸を張り、その直後に背後で小さな爆ぜる音がした。


 ぼふっ。


 全員がそっちを見る。


 コハクがそっと視線を逸らした。


「……低め、でござる」


「低めでそれかよ」


 俺は呆れながらも、どこか安堵していた。


 これだ。

 こういう、しょうもないやり取りの積み重ねだ。

 世界がどうだの、神権AIがどうだの、削除だの選別だの、そういう言葉の外側にある、普通っぽい時間。


 カウンターの奥から、ミーナが朝飯を運んできた。


 湯気の立つスープ。焼いた肉。温かいパン。

 それを見た瞬間、俺の腹が正直に鳴った。


「……ああ、こういうのがうまい」


 思わず漏れる。


 隣でガロが頷いた。


「染みるか」


「染みる。昔は朝から肉だけでよかったんだけどな」


「歳を食うと、まず汁が来る」


「やめろ。その言い方されると、認めたみたいになる」


「もう認めとる顔しとるぞ」


「認めたくはねぇよ」


 椅子に腰を下ろす。

 座っただけで、ちょっと幸せだった。


「……はぁ。座るだけで助かるな」


「先輩、それ言う歳まだ早くないっすか」


「早くねぇよ。座って“助かった”って思う日は、もう始まってんだよ」


 ナツが笑い、タニシが「妙に説得力あるんですが」と引き、コハクが「なら酒もいるでござる!」と拳を上げる。


「わかる。わかるが、昼から入れると夕方に腰じゃなくて判断が死ぬ」


「そこはちゃんと大人の反省があるんすね」


「反省じゃねぇ。経験だ」


 ガロが木杯を揺らした。


「最近は、うまい飯ってのは“テンションが上がる”より“助かる”になってくる」


 俺はスープをひと口すすって、深く息を吐いた。


「……ほんと、それなんだよな」


「助かる飯をうまいと思えるうちは、まだ立てる」


「縁起でもないのか、励ましてんのか、どっちだ」


「両方じゃ」


 そう言って、ガロは少しだけ笑った。


 俺も、苦笑した。


 なんだかんだで、こういう朝は悪くない。

 腰は痛い。肩も重い。酒も少し残ってる。若いやつらは元気すぎる。ドットAIたちは朝からぴこぴこ働いてる。

 でも――だからこそ、たぶん、悪くない。


 ノエルが、厨房の端で小さな皿を受け取っていた。


「ネムリちゃん、起きたら食べられるように、柔らかいの取っとくっす」


 ミーナが無言で、少しだけ小さめのパンを追加する。


 その様子を見て、俺はスープ皿を持ったまま、店の中をゆっくり見回した。


 カウンター。

 湯気。

 笑い声。

 酒の匂い。

 クエストボード。

 忙しなく動くドットAIたち。

 地下で眠っている子供。

 朝の《るすと》は、ちゃんと“店”になっていた。


挿絵(By みてみん)

 そのときだった。


 クエストボードの前で、イツキがふと動きを止めたのは。


「……ミツキ」


 呼び方が、少し低い。


 いつもの軽い調子じゃない。

 その一音だけで、何かあったのがわかった。


 ミツキがすぐ隣へ寄る。


「お姉ちゃん?」


「今、()()?」


 イツキは、ボードの一枚を指先で示した。


 俺はスープ皿を置いて、椅子から立ち上がる。


「どうした」


「……いま、一瞬だけ文字が変わった」


「依頼札の?」


「うん。普通の依頼文じゃない。もっと、こう……管理側の表示っぽかった」


 その言葉で、店の空気が少しだけ冷えた。


 ナツがすぐ立ち上がり、コハクも耳をぴんと立てる。

 タニシは「いやそういうの、朝飯のあとに聞きたくないんですが」と言いながらも、しっかりクエストボードから距離を取った。


 俺はカウンターを離れ、肩を回しながら前へ出る。


「見間違いじゃねぇのか?」


「見間違いならいいんだけどね」


 イツキがそう返した、次の瞬間だった。


 依頼札の一枚が、紙じゃありえない揺れ方をした。


 ふ、と表面がにじむ。


 木板に貼られた紙のはずなのに、まるで液晶の画面にノイズが走るみたいに、文字列が一瞬だけ崩れた。


《NODE:RUST》

《PRIORITY REVIEW》


 ほんの一瞬。


 瞬きをしたら見逃す程度の短さで、それでも確かに表示された。


「……おい」


 思わず声が出た。


 ミツキが小さく息を呑む。


「今の……」


「見たっす」


 ナツが言った。


「今の、依頼じゃないっすよね」


「全然依頼じゃないでござる……」


 コハクが耳を伏せる。


 その横で、受付補助の小型ドットAIが、いつもの癖で依頼札の端を揃えようと跳ねた。

 ぴこん、と軽く飛んで、問題の札に触れる。


 次の瞬間、


 ぱち、と小さな火花みたいな光が散って、ドットAIが後ろへひっくり返った。


 ぺたん、と仰向けになったまま、数秒硬直する。


「おい、店のAIまで弾かれてるぞ」


 俺が眉をひそめると、ドット魔法使いAIがすぐ横で音声ログを上げた。


未定義表示アンノウン・ビューヲ検知。未定義表示アンノウン・ビューヲ――」


「うるさい、二回言うな。怖さが増す」


 そう言ったものの、笑うやつはいなかった。


 さっきまで湯気の向こうで笑っていた空気が、そこで初めて止まる。

 ドット剣士の給仕AIも、皿を持ったまま足を止めていた。

 厨房補助AIの動きまで、一拍遅れる。


 酒場全体が、耳を澄ませているみたいだった。


 俺は低く呼んだ。


「……ルステラ」


 ほとんど間を置かず、店の中央に光が集まった。


 淡い青白い投影が立ち上がる。

 ルステラだ。


 前よりも輪郭が安定している。

 前話までの戦闘を抜けたせいか、姿の芯がしっかりして見えた。


「確認シマシタ。管理側走査スキャン、増加中」


 声も、ぶれない。


「対象、クエストボードおよび酒場中枢領域。通常依頼表示(ノーマルクエスト)に対する外部侵食を検知」


「侵食って、どのレベルだ」


「軽微ではアリマセン」


 ルステラは、いつもより少しだけ低い声で続けた。


護衛戦闘形態バトルガーディアン、再展開可能。防衛行動ディフェンス・アクション、即時開始可能デス」


 ナツがごくりと唾を飲み込む。


「……マジで来るんすね」


「来るなら迎え撃つまででござる」


 コハクは一歩前に出る。


 その横で、タニシが一歩下がった。


「いやいやいや、迎え撃つのはいいとして、まず“何が来るか”ぐらい教えてほしいんですが!?」


「それは同感だ」


 俺がそう言ったとき、


「――とうとう来たか」


 低い声が、カウンター奥から落ちてきた。


 ギルマスだった。


 いつもの軽い顔じゃない。

 酒場の主みたいな余裕も、どこかへ引っ込んでいる。

 ただ、知っていたやつの顔だった。


「何が来た」


 俺がまっすぐ聞くと、ギルマスは一度だけボードを見上げた。


「《るすと》の再評価だ」


「再評価?」


「酒場としてじゃない。例外ノードとしての、だ」


 タニシが、半歩さらに下がる。


「例外ノードって言い方、急にラスボス用語すぎるんですが」


「ラスボス用語で済めばまだいい」


 ギルマスは、ほとんど笑わずに言った。


「この店は最初から普通じゃない。水が安全で、味があって、ログが残らない通信があって、現代側とも断続的に繋がってる。世界の管理層から見れば、ずっと“()()()”だった」


 俺は黙って聞く。


 わかっていたこともある。

 最初からおかしいことだらけだった。

 でも、それをこうして“向こう側の言葉”で言われると、妙に現実味が出た。


「今までは」


 煙の向こうから、別の声がした。


 フー子だった。


 いつの間にか壁際に立っている。細い煙を吐きながら、最初からそこにいたみたいな顔をしていた。


「今までは、“変だけど放っとける店”だったんだよ」


 一拍。


「でもネムリを帰した。ルステラが立った。あれで向こうは変えたんだ。“放っとける異常”から、“処理すべき例外”に」


 誰もすぐには口を開かなかった。


 厨房の火が小さく鳴る。

 皿の上のスープから、まだ湯気が立っている。

 さっきまで“普通の店”だった場所が、そのまま別のものに言い換えられていく感覚が気持ち悪かった。


「……最初から知ってたのか」


 俺は低く聞いた。


 ギルマスはすぐには答えなかった。


「全部じゃねぇ。でも、いつかこうなるとは思ってた」


「言えよ」


 思ったより低い声が出た。


「そういうのは、先に言え」


「言ってどうする」


 ギルマスの返しも、低かった。


「“お前の店はそのうち消されるかもしれねぇ”って最初から言われて、ここまでやれたか?」


 言葉に、少しだけ詰まる。


 できたか、と聞かれれば、自信はない。

 最初から全部知っていたら、たぶん、もっと疑っていた。

 もっと距離を取っていた。

 ここを“帰る場所”だなんて、思いきれなかったかもしれない。


「せっかく、少しは店らしくなってきたと思ったのによ」


 気づけば、そう漏れていた。


 ギルマスが小さく目を細める。


「店だろ。最初から」


「そう思えるようになるまでが長ぇんだよ。毎日ノルマだの、回収だの、削除だの言われてると、“ここが帰る場所だ”って腹に落ちるまで時間がかかる」


 フー子が、煙の向こうで少しだけ笑った。


「落ちたんだ?」


「うるせぇ」


「いいことじゃん」


 その返しが妙に腹立たしくて、でも否定はできなかった。


 そのとき、地下の方から小さな物音がした。


 ミツキが振り向く。


「……医療区画」


 すぐにミツキとノエルが駆けていく。

 俺も続こうとしたが、腰が遅れた。


「っ……」


「無理すんな、おっさん」


 ガロの声が横から飛ぶ。


「無理しないと間に合わねぇ時もあるだろ」


「じゃから、全部は走るな。ここぞで走れ」


 その一言だけで、妙に体が止まった。


 ガロは立ち上がっていた。

 木杯を置き、重い身体を当たり前みたいに起こしている。


「若いのは先に行かせろ。おっさんは遅れても、遅れた先で間に合わせりゃええ」


「偉そうに言いやがって」


「年寄りの特権じゃ」


 鼻で笑い合う。


 その短いやり取りのあとで、俺たちも地下へ降りた。


 医療区画は静かだった。

 白い壁、白い床、白い照明。

 その中央で、ネムリが眠っている。


 でも、今はその寝顔が少しだけ苦しそうだった。


 ノエルがすぐそばで手を握っている。

 シズクが記録板を見つめ、ジン老は片目のスカウターをいじっていた。


「どうした」


「外のログ変動に反応してる」


 シズクが短く答える。


「覚醒まではしていません。ですが、夢層側に引っ張られています」


「……まだ来るのかよ」


 俺が舌打ちすると、ネムリの唇が小さく動いた。


「……まだ……おこさないで……」


 全員が止まる。


 ノエルが、すぐにその手を握り直した。


「起こさないっす。大丈夫っす」


 ネムリは目を開けないまま、もう一度だけ小さくこぼした。


「……きてる」


 一拍。


「……やさしいほうじゃ、ない……」


 医療区画の空気が、一段冷える。


 ジン老が舌打ちした。


「ったく、寝とるガキに先に察知されるとか、気分が悪いのう」


「やさしいほうじゃない、ってのは……」


 ナツの問いに、誰もすぐ答えない。


 フー子だけが、少し遅れて言った。


「今回は“眠らせる側”じゃないってことだろうねえ」


 それ以上は言わない。

 言わなくても、十分だった。


挿絵(By みてみん)


 俺たちはもう一度ホールへ戻った。


 戻った瞬間、店の空気が変わっているのがわかった。

 さっきまでの“止まった静けさ”じゃない。

 もっとはっきりした、待機の空気だ。


 ドット剣士の給仕AIは、皿を持ったまま入口側を向いて止まっている。

 ドット僧侶AIはパン籠を抱えたまま、その場で小さく震えていた。

 受付補助のドットAIは、クエストボードの下でぺたんと座り込んだまま、ぴこ、ぴこ、と弱く点滅している。


「……みんな、戻ったっすね」


 ナツが声を落とす。


 その直後だった。


 店の灯りが、一斉に落ちた。


 暖色のランタン光が消える。

 肉の照りも、木の色も、酒の琥珀も、全部が一瞬で色を失う。


 代わりに走ったのは、白い管理光だった。


 ぎ、と嫌な音を立てて、クエストボードの表面が変質する。

 紙札の端がめくれ、木板の下から冷たい表示面が覗く。

 まるで最初からそういう構造だったみたいに、依頼掲示板が“画面”へ変わっていく。


 視界の端に、HUDが割り込んだ。


 俺だけじゃない。

 イツキも、ミツキも、ルステラも、たぶん観測可能な全員が見ている。


 浮かんだ文字は、短かった。


《IRREGULAR NODE:RUST》

段階的削除処理デリート・シーケンス開始》

《執行猶予:72:00》


 誰かが息を呑む音がした。


「……削除、って」


 ミツキの声が、少し震える。


「店に向かって使う言葉じゃないでしょ、それ」


 イツキが吐き捨てるように言った。


 ノエルは地下の方を振り返っていた。


「ネムリちゃん、まだ寝てるのに……」


「寝とる子の上から、ようやる」


 ガロが低く言う。


 俺は、クエストボードを見たまま、動かなかった。


 朝の《るすと》が頭に残っている。

 湯気。

 笑い声。

 汁が染みるとか、二日酔いが抜けねぇとか、そういうどうでもいい話。

 ドットAIがぴこぴこ働いて、ネムリの分のパンを取っておいて、若いのが朝から元気で、俺とガロだけ空気が遅かった。


 そういう、しょうもない朝が、まださっきまでここにあった。


「……ふざけんなよ」


 気づけば、口から出ていた。


 大声じゃない。

 でも、自分でも驚くくらい、低くてはっきりした声だった。


 ルステラが一歩前へ出る。


 背後に、薄く光のリングが開いた。

 《バトルガーディアン》の完全展開ではない。

 でも、いつでも切れる。そういう構えだった。


「マスター」


「……ああ」


本拠点防衛ホーム・ディフェンス、実行可能デス」


 ナツが拳を握る。

 コハクは耳を立て、タニシは青ざめた顔のまま、それでも逃げなかった。

 ガロは静かに立ち、フー子は煙の向こうで笑わない。


 俺は店の中を、ゆっくり見渡した。


 カウンター。

 酒瓶。

 テーブル。

 クエストボード。

 ドットAIたち。

 地下で眠っている子供。

 帰ってくる場所。


挿絵(By みてみん)


「逃がす準備はする」


 一度、息を吸う。


「でもな――」


 朝のことを思い出す。

 腰が痛ぇ、肩が重ぇ、汁がうまい、若いやつは元気すぎる。

 そういう、どうでもいい時間。


「こういう、“どうでもいい朝”が一番大事なんだよ」


 誰も口を挟まない。


「飯食って、くだらねぇこと言って、酒飲むか迷って、それで終わる日を」


 クエストボードの管理光を睨む。


「勝手に消すな」


 そして、はっきり言った。


「……(るすと)は渡さねぇ」


 ルステラのリングが、一段だけ強く光った。


了解リョウカイ


 ぴこ、と。


 クエストボードの下で、ひっくり返っていた受付補助ドットAIが、小さく一度だけ光った。


 まるで、まだ営業終了じゃないとでも言うみたいに。


 続く――

【今回の登場人物紹介】


マスター

《るすと》のマスター。修行明けで腰と肩が死んでいるのに、最後にはいちばん腹を括る中年。今回は「戦う」よりも、「店を守る」と決める回。


ガロ

朝から酒が抜けきらない古参ドワーフ。おっさん同士のつらさを分かち合いながら、要所ではちゃんと支える。


ルステラ

酒場の補助AIにして守護存在。前回の戦闘を経て安定化し、《バトルガーディアン》の再展開が可能な状態に。


イツキ/ミツキ

双子の受付嬢。今回、クエストボードの異変を最初に察知した、記録と感情の番人。


ナツ

元気な前衛枠。空気が重くなっても、前を向こうとする読みやすさ担当。


コハク

犬獣人の魔法使い見習い。今日も元気で、今日もちょっと危なっかしい。


タニシ

ビビり気味だが、なんだかんだ逃げない男。今回もリアクション担当として空気を支える。


ノエル

白磁の新人。ネムリを気にかけ続ける、まっすぐな優しさの担当。


ネムリ

医療区画で眠る少女。眠ったまま、次に来る脅威の気配を察知する。


ギルマス

《るすと》の裏側を知る側の存在。今回はついに、《るすと》が“普通の店ではない”ことを言葉にした。


フー子

煙の向こうで笑う魔女。知っているが全部は語らない、いつものフー子。


シズク/ジン老

地下医療区画の面々。ネムリの状態を見守りつつ、異常の気配を読み取る。


【マスターの現在のステータス】


名前:NO NAME(通称:マスター)

等級:黒曜こくよう

状態:修行明け/腰痛/肩こり/軽い二日酔い疑惑

現在位置:《るすと》ホール〜地下医療区画

戦闘状態:未突入

精神状態:平和な朝を消されそうで、かなり機嫌が悪い

危険度:上昇中

観測度:上昇中


【所持アイテム・装備一覧】


・酒場用エプロン

・冒険者タグ

・クエスト管理用ログ端末

・普段着一式

・朝飯の余韻

・守りたい日常

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでいただきありがとうございます。
少しでも気になっていただけたら、作品ページものぞいていただけると嬉しいです。

小説家になろう 勝手にランキング
ギルド酒場るすと公式サイト

影森ゆらは今日も死ぬ
異世界最強の節約勇者
千回死亡幼女勇者 異世界Any%
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ