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第37話 最初の夜の続きを知っている気がする ――おっさん、知らないはずの記憶が残る――

最初の夜は、もう最初ではない。

だけどマスターは、全部を覚えているわけではない。

ひとつの記憶と、いくつかの残り香だけを持って、もう一度るすとへ。

コハクが「ご主人様っぽい」と言って止まった空気は、まだ酒場の中に残っていた。

「い、今のなしでござる! 忘れてほしいでござる!」


 耳まで真っ赤にして尻尾をぶわぶわ振るコハクに、ナツが肩を()らして笑う。


「いやいや、初対面でそれは濃いっスよ。何それ、前世からの主従とか?」


「ち、違うでござる! たぶん違うでござる! でもなんか……なんか、こう……!」


 言葉にならず、コハクは身もだえながら頭を抱えた。


 イツキは受付の奥から細い目でこちらを見る。

 ミツキも困ったように(まゆ)を下げていた。


「……変だねぇ」


 イツキが言う。


「初対面の新人にしては、空気が出来すぎてる」


「でも、嫌な感じじゃないです」


 ミツキが小さく続ける。


「なんだろう……前からここにいた人が、少し遅れて帰ってきたみたいな」


 その一言が、胸の奥に(みょう)に刺さった。


 前からここにいた。


 ありえない。

 ありえない、はずなのに。


 俺は(のど)を押さえた。


 クエストボード。

 受付。

 扉。

 ランタン。

 酒と木の匂い。

 全部が“初めて見る景色”のはずなのに、変な(おさ)まり方をしている。


 そのとき、酒場の奥から足音がした。


「おいおい、起きたばっかで店の空気止めるなよ」


 聞いた瞬間、心臓がひとつ()ねた。


 黒髪。

 見慣れたようで、見慣れていない顔。

 俺と似ているのに、決定的に違う“目”をした男。


 このギルドの、ギルドマスター。ギルマスだった。


「……」


 口が勝手に動く。


「――()()()


 自分で言って、自分が一番驚いた。


 場が、もう一度止まる。


 ギルマスは一瞬だけ目を細めた。だが、すぐに肩をすくめて笑った。


「へえ。そりゃまた、ずいぶん馴染みが早えな」


「え、もう呼び捨て? てかギルマス初対面ッスよね――」とナツ。


「自己紹介前なのに親密度がおかしいでござる」とコハク。


 俺は何も返せなかった。

 知っていた、気がした。

 名前だけじゃない。こいつがこのあと、どんな順番で何を説明して、どんな雑さで人を紹介するかまで、薄く知っている気がした。


 でも、それは記憶じゃない。


 もっと()なものだ。

 身体だけが先に思い出してるみたいな、気持ちの悪い既視感(デジャヴュ)だった。


「ま、立ち話もなんだ。こっち来い」


 ギルマスはそう言って、カウンター脇へ(あご)をしゃくった。


 俺は無意識にその後を追う。

 驚くほど自然に、迷わず。


 その“迷わなさ”が、逆に怖かった。


挿絵(By みてみん)


 カウンター脇に立つと、ギルマスは腕を組んだ。


「細けえ話は今夜全部やらねえ。どうせ一気に聞いても頭に入らん。だから要点だけだ」


 この言い方も、知っていた気がした。


「ここはギルド酒場るすとだ。飲む場所で、働く場所で、クエストを受ける場所。外はゲームじゃねえが、ここはゲームみてえな見た目で説明してくれる。そいつを勘違いすると死ぬ」


 死ぬ。


 その単語に、胃が(ちぢ)んだ。

 たぶん、それだけじゃない。

 “もう知ってる”側の痛みが、骨の奥に残っている。


「で、お前の名前は今んとこ NO NAME。こっちじゃ名前がないのも珍しくねえ。慣れるまで、みんなそう呼ぶ」


 俺はHUDの隅を見た。


【NAME:NO NAME】


 その表示を見た瞬間、違和感より先に“ああ、やっぱり”という感情が浮かぶ。


 おかしい。


 二回目だから知っている――では、こんな感覚にはならない。

 二回目程度で、こんなに身体に馴染(なじ)むわけがない。


 何十回。

 何百回。何千――

 いや。


 その先は、考えたくなかった。


「次。個人ノルマがある」


 ギルマスの声に、意識が戻る。


「未達だとペナルティ。最初は軽い」


 俺の口が、また勝手に動いた。


「後になるほど()()


 ギルマスの片眉が上がる。


「……お前、それ初日に言う台詞(セリフ)じゃねえぞ」


「……そう、だな」


 自分でも、乾いた笑いしか出なかった。


 そのとき、視界の隅で青いノイズが(またた)いた。


【記憶保持:一点優先】

【副次残留:確認】

【再現保証:なし】


 ルステラの声が、ほんの一瞬だけ耳の奥で鳴る。


『マスター。保持できる主記憶(メインメモリ)は基本ひとつデス』

『ただし、関連する感情痕跡かんじょうこんせき、身体反応、断片ログが副次的に残留(ざんりゅう)スル場合がアリマス』

『保証はアリマセン』


 消える。


「……主記憶(メインメモリ)、ひとつ」


 俺が小さく呟くと、ギルマスが変な顔をした。


「なんだ、何か見えたか?」


「いや……」


 いや、じゃない。

 たぶん今、俺は説明された。


 ひとつだけ。

 本当に大事だった記憶だけが芯として残る。

 その周囲に、顔や声や嫌な予感や、助けたい順番だけがぼんやり引っかかる。


 だからコハクを見た瞬間、守らなきゃと思った。

 だからギルマスを見た瞬間、名前が出た。

 だからこの酒場の配置が、初見のはずなのに手に馴染(なじ)む。


「要するに」


 ギルマスが頭をかきながら言う。


「ひとつ大事なもんを持ち帰って、あとは手癖とか悪夢が()()()()()ってことか?」


 俺は思わず顔を上げた。


「……なんでそう思う」


「お前の顔が、そういう顔してる」


 ギルマスはそれ以上追及しなかった。

 だが“知っている側”の顔を一瞬だけした。


 その沈黙を破るように、向こうのテーブルから声が飛ぶ。


「おーい、ギルマス。新人に湿(しめ)っぽい顔させすぎじゃないか?」


 ジョッキを片手に笑っていたのは、筋肉質の男だった。

 俺はその顔を見た瞬間、なぜか安心しかけて――その安心の理由が分からず、逆に寒気がした。


「ガロだ。古株」


 ギルマスが雑に紹介する。


 ガロは立ち上がり、俺を見る。


「ガロだ。……腰は無事か?」


 その台詞に、胸の奥が妙に落ち着いた。

 おかしい。初めて聞くはずの軽口だ。

 なのに、俺の中のどこかが“ああ、この人はそう言う”と知っていた。


「……たぶん」


「たぶん、か。初見の目じゃないな」


 ガロは少し笑う。


「だが、知っとる目とも違う。面倒そうだ」


「古株が即診断するな」とギルマス。


 別の席から、少し緊張した声が飛ぶ。


「お、おっす。ノエルっす」


 若い男が立ち上がって会釈(えしゃく)した。

 その仕草を見た瞬間、俺の口から危うく言葉が出かける。


 ――おまえ、緊張すると肩が上がるよな。


 言いかけて、止まる。


「なんか……」


 ノエルが苦笑する。


「俺のこと見て、今すげえ言い当てられそうな顔しました?」


「……いや」


「したっスよね?」


 ナツが笑う。


「したした。もうベテラン先輩みたいな目してたっス」


 ベテラン。

 その言葉に、喉の奥が(にが)くなる。


 ベテランかもしれない。

 だが、その記憶が自分のものなのかすら分からない。


 カウンター端では、グラスを指で弾いていた女が、ちらりとこちらを見た。


「ミーナ。冒険しない。給仕したり、飲んでるだけで生きてるやつ」


 ギルマスの紹介が雑すぎる。


「……冒険、やめればぁ」


 その一言だけで、空気が少し冷える。


 だが俺は、その冷たさより先に、説明不能の後悔(こうかい)を感じた。

 この台詞を、どこかでもっと取り返しのつかない場面で思い出した気がする。


「向いてない顔してる」とミーナ。

「でも、死に急ぐ顔でもない。……余計に面倒」


「相変わらず辛辣(しんらつ)でござるな……」とコハクが小声で漏らす。


 最後に、いちばん奥の影から男が手を振った。


「シン。たまに、変なこと言う」

「ギルマス、俺の紹介ひどくない?」


 軽く笑いながら近づいてくるその男を見た瞬間、背中に薄い汗が流れた。


 こいつは危ない。

 理由は分からない。敵意じゃない。

 ただ、“ただの初対面”で済ませてはいけない感じがした。


「まあまあ。初手から馴染(なじ)みすぎる新人ってのも、たまにはいるさ」


 シンは俺を見て、少しだけ笑う。


「ただ、そういうやつってたいてい、“最初”を信用してない顔してる」


 言葉が、胸の奥に落ちる。


 図星だった。


 初めての夜。

 初めての酒場。

 初めての仲間。

 そのはずなのに、俺はもう“最初”を信じていない。


「……何者だ、お前」


「通りすがりの旅人、かな」


「信用できねえ答えだな」


「お互いさま。()()()()


 シンは笑ったまま、そこで引いた。

 見抜いたわけじゃない。

 だが、気づいていないわけでもない。そんな距離感だった。


挿絵(By みてみん)


 そのとき、ふわりと甘い煙が流れてきた。


 酒場奥。

 シーシャの影の向こうに、小柄な影が座っている。


 フー子だった。


 銀の髪。

 淡い目。

 全部が静かなのに、その存在だけが妙に世界の外側に触れている。


「……また、()()()()()かい」


 場が静まる。


 フー子は首を少し傾げた。


「いや。違うね」


 煙をひとつ吐く。


「今度は、輪っかの(ふち)がズレとる」


「フー子さん、また難しいこと言ってるっス」とナツ。


「難しくはないよ」


 フー子は俺から目をそらさない。


「同じ鍋を火にかけ直したつもりでも、味は同じにならん。それだけじゃ」


 言われた瞬間、背筋が冷えた。


 この人は知っている。

 全部じゃない。けれど“戻った匂い”だけは、確実に嗅ぎ取っている。


「……何の話だ」


 やっと絞り出した俺に、フー子は少しだけ笑った。


「知らんで良いこともある」


「今はな」と、ギルマスが続ける。


 俺はそっちを見る。


「“今は”って言ったな」


「聞こえが良かっただけだ」


 誤魔化した。

 だが、誤魔化し慣れている言い方だった。


 俺はゆっくり息を吐き、クエストボードへ向き直る。


 紙の位置が分かる。

 どれが最初に目に入るべきかも、なんとなく分かる。

 そして、何より。


 初回はこのあと、クエストを受けた瞬間に強制ダイブになった――はずだ。


 それだけは、はっきりした“芯”として残っていた。


 たぶん、俺が持ち越した主記憶(メインメモリ)はこれだ。

 ――最初の強制ダイブが、全部の始まりだった。


 なら。


 俺は、いちばん上のクエスト札に手を伸ばした。

 触れる寸前で、止める。


 指先が震える。


 そのまま受ければ、同じ時間軸へ滑り込む。

 そういう確信があった。


 理由は説明できない。

 でも、分かる。


「……何してるんです?」


 ミツキの声。


「どうしたでござる?」とコハク。


 俺はそのまま、札を取らなかった。


 代わりに手首をひねって、ボード横の受注端末――いや、紙札を固定している小さな留め具を外した。


 カチ、と軽い音がする。


 札が半分だけ傾き、受付側の認識ラインから外れた。


 HUDが一瞬、青く明滅(めいめつ)した。


【QUEST AUTO DIVE:CANCELLED】

【FORCED START:FAILED】

【BRANCH ERROR】

【TIMELINE:REWRITE】


 俺は息を呑む。


 見えた。

 今、確かに見えた。


 そして次の瞬間、酒場の空気がほんのわずかに(きし)んだ。


 ランタンの火が揺れる。

 イツキの帳簿のページが、ひとりでに一枚だけめくれる。

 コハクの耳がぴんと立つ。

 ナツが「うわ、今なんかした?」と叫ぶ。


「……は?」


 ギルマスが目を見開く。


「お前、いま何をキャンセルした?」


「分からん」


 それは本音だった。


 分からない。

 でも、身体が勝手にやった。

 このクエストを“受けない”んじゃない。

 “始まる前に止める”ことだけが、とにかく重要だと知っていた。


 イツキが帳簿を開き直し、低く言う。


「ちょっと待って。ログが飛んだ」


「え?」とミツキ。


「本来ここで発生するはずの受注処理が、一回空振ってる」


 フー子が煙の向こうで笑った。


「ほらね。味が変わった」


 シンが口笛を吹く。


「……初手からやるなあ」


 ノエルはただ青ざめ、ガロは静かに俺を見る。


「ほう。最初の一手を切り替えたか」


 ミーナだけが、グラス越しにぽつりと言った。


「面倒な方を選んだ」


 その通りだと思った。


 前と同じなら、少なくとも知っている地獄へ進める。

 だが今、俺は知らない地獄を選んだ。


 それでも。


 同じ始まりに戻るために巻き戻されたんじゃない。

 変えるために戻されたのだとしたら。


 最初に切るべきなのは、最初の強制だった。


「……ギルマス」


「なんだ」


「クエスト、別の受け方はあるか」


 ギルマスは数秒黙ったあと、口の端だけを上げた。


「ある」


 その目は、少しだけ面白がっていた。


「普通の新人は、最初にそこへ気づかねえ」


「俺は普通じゃないらしい」


「今さらだな」


 ギルマスはクエストボードの横を指で叩いた。


「いいぜ。説明の続きをしてやる。

 ――お前が“前と違う始まり方”を選んだんならな」


 夜風が扉を鳴らす。


 初めてのはずの異世界の夜。

 けれど、さっきまでの“最初”はもう消えた。


 俺はたしかに、無意識のまま時間軸をひとつズラしたのだ。


 たった一枚のクエスト札を、強制ダイブの前にキャンセルしただけで。


 それが救いになるのか。

 もっと深い地獄への入口なのか。

 まだ分からない。


 ただ、ひとつだけ分かる。


 今度はもう、前と同じには始まらない。


挿絵(By みてみん)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、36話ラストから直結する“二度目の最初の夜”でした。

同じように始まるはずだった初回クエストを、マスターが無意識に強制キャンセルしたことで、時間軸そのものにズレが生まれました。


次回は、変わってしまった初手の影響と、“前と同じに進まない世界”の最初の違和感を書いていきます。


■今回の登場人物


・マスター(NO NAME)

最初の強制ダイブだけは止めるべきだ、という主記憶を持ち越していた主人公。

他は断片的だが、身体と感情が先に思い出してしまう。


・ギルマス

《るすと》のギルドマスター。

マスターに似た顔をしているが、目が違う。説明役であり、どこか“知っていた側”の気配もある。


・コハク

犬獣人の見習い。

無意識に「ご主人様っぽ」と口走ってしまい、周回の残り香を最初に表へ出した。


・ナツ

元気な行動派。

重くなりがちな空気を割るが、異変そのものにはしっかり反応する。


・イツキ

双子受付嬢の姉。

帳簿とログのズレに最初に気づく合理主義者。


・ミツキ

双子受付嬢の妹。

数字より空気で異常を感じ取る共感型。


・ガロ

古株の冒険者。

軽口の裏で、“初見ではない目”を見抜く。


・ノエル

白磁の新人。

日常側の軽さを持つが、マスターの不自然な場慣れに戸惑う。


・ミーナ

冷めた言葉で本質を刺す酒場の常連。

今回も短い一言で、未来の不穏さを押し込んできた。


・シン

多世界を渡ってきた可能性のある男。

何かに気づいているが、まだ決定的には踏み込まない。


・フー子

煙の向こうで世界のズレを嗅ぎ取る魔女。

「また回ってきたが、今度は輪の縁が違う」と最初に断じた。


・ルステラ

主記憶と副次残留の仕様を一瞬だけ伝えてきたAI存在。

今回は姿を見せないまま、それでも確かにマスターを導いている。


■主人公の現在のステータス


名前:NO NAME(通称:マスター)

冒険者等級:白磁相当(表示未安定)

LV:1相当

HP:正常

MP:微低下

SAN:ざわつき中

カルマ:未計測

観測度:低〜中(揺らぎあり)

状態:巻き戻り直後/時間軸分岐発生


■所持アイテム・装備


・ギルドタグ(仮登録)

・簡易衣服一式

・未確定ログ残滓

・主記憶断片《強制ダイブを止めろ》

・サブ記憶数個(顔・声・嫌な予感・既視感)

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女子高生×オカルト×ちょっと変な日常。
そんな空気が好きでしたら、たぶん刺さる作品です。
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