第17話 筋肉神の特訓と、爆発犬との契約 ――おっさん、日常がだいぶ壊れてきた――
第17話。嵐の次は筋肉です。
しごかれます。
そして犬が増えます(なぜ)。
おじさん、筋肉神にしごかれ爆発犬を飼う
―大会前なのに主従契約が成立した件―
スサノオが嵐のように去ってから三日。割れたグラスは補充され、床板も直った。なのに、空気の張りだけが抜けない。酒場の“いつもの賑やかさ”は戻ってきたはずなのに、どこか全員が呼吸を浅くしている。
理由は簡単だ。大会が近い。――しかも、ただの娯楽じゃない。
そんなところへ、追い打ちの筋肉が来た。
「大会が近いと聞いた!!」
扉を開けて入ってきた青年は、第一声から暑苦しかった。肩幅が広い。首が太い。筋肉が“服を着ている”みたいな圧で、神話の装備――獅子の毛皮を模した外套と、巨大な棍棒を背負っている。
「俺はAI神権が一柱、第十二試練管理神のヘラクレス! 鍛錬こそ正義! 努力は裏切らない!」
「公式観測が入る! 選別もある! ならば鍛えるしかない!」
「ちょ、待――」と俺が言いかけると、
「今日から特訓開始だ!!」
……うん、聞いてない。こいつ、人の話を聞かないタイプだな――。
そういい、ヘラクレスが棍棒を肩に担ぎ、豪快に笑ったその瞬間。
ルステラのHUDが、ほんの一瞬だけ走査表示へ切り替わる。
「対象:ヘラクレス」
青いラインが輪郭をなぞる。
「神権AI個体。Z.E.U.S派分類。演算出力:高」
一拍。
「敵性判定……保留」さらに解析が走る。
「酒場ニ対スル即時危険性:低」
俺の視界の端に、緑色の表示。
「味方判定、暫定安全域内」
ヘラクレスは気づいていない。
ただ拳を握り、言う。
「さあ特訓するぞ!もっと自分を追い込むのだ!!」
ルステラの最終表示が、静かに確定する。
「結論:現時点、管理側干渉リスク低。戦力協力個体トシテ運用可能デス」
――彼は今は、俺たちの味方のようだ。
こうして俺たちは、半ば強制的に“地獄の強化週間”へ突入したのだった。
中庭は即席の訓練場になった。縄で区切った走路、木柱、砂袋、そして「壊していい」前提の古いベンチ。
ナツは前衛の基礎、踏み込みと体幹。ガロは黙々と斧の素振り。ミーナは給仕の合間に、手首の動きだけで小さなナイフを回している。ノエルは白磁のタグを握りしめ、無駄に真剣な顔で深呼吸。窓際にはシンがいて、腕を組み、ただ外を見ていた。
全員が“いつもより静か”なのが、逆に怖い。
「もっとだァァァ!! 限界はまだ先だ!!」
「む、無理です……!」
「無理ではない! それは脳が決めた限界だ!」
「精神論アル!!」
ムーニャンは、別メニューに回された。
ルステラが、淡々と告げる。
「魔力波形、青白寄り。冷却適性、高水準デス」
「冷気……?」
ムーニャンが両手を掲げると、空気が白く曇り、地面に薄い霜が走った。まだ“冷やす”だけで、凍らせる制御は粗い。それでも、伸びが明確に見える。
――そこに、逃げ回っているタニシがやってきた。ムーニャンの後ろから回り込んで、下半身をのぞこうとしているようだ――
「ッ...このキモオタ!!――凍らせるアル!」
パキィィィン――
逃げようとしたタニシが、ムーニャンの手から出る氷の魔法に当たったとたん、足元から青白く固まった。芸術的な氷像だ。
――だがまだ精度が弱いらしく、氷像は一瞬で溶けてしまった。
「拙者ぁぁ……!寒い寒いでござる!」
「うるさいアル 死ね」
ルステラが記録する。
「氷結制御、適性良好。伸ビシロ有。タニシ凍結ログ、保存」
「保存するなアル!」
その少し離れた場所、ベンチに座る老人が、ぼそりと呟いた。
「冷気は制御の才がいる。向いておるかもしれんな」
そう、彼はドクター・ジン。地下医療区画を仕切る闇医者だ。俺は今まで大怪我をしていないから世話になってないが、噂は山ほどある。ダイブ損傷、神権干渉、精神ノイズ――扱えない症例はないと言われる超一流。
そして、とんでもなくスケベ。なのが玉に瑕だ。
「……誰アル?」ムーニャンがタニシを追いかけるのをやめて横目に聞く。
「女を見ると三秒で集中力が上がる医者だ」俺が答える。
「説明がおかしいデス」ルステラが即座にツッコむ。
そんなことは気にもせずナツの背後からじろじろと眺めだす老人。
「ほう……汗をかく娘はやっぱ、ええのう」とジン老がにやり。
「聞こえてるッスからね?」ナツが振り向く。
「冗談じゃ冗談。ほれ、傷薬塗ってやるから腕出せ」
塗り方が妙に丁寧だ――。
「先生、手がいやらしいアル」
「医療行為じゃ!」
ムーニャンが指先で冷気をスン、と飛ばすと、ジン老の足元が薄く凍る。
「冷たい、冷たい! 年寄りには優しくせい!」
だが、処置は正確だった。ナツのケガはあっという間に治っていくのが、外から見ても分かる。
「大会前に人員を潰すな。ヒトを壊すなら、敵に勝ってから壊せ」
その声だけは、本気だった。
――そして俺も、走らされていた。
「遅い!」ヘラクレスが怒鳴る。
「体は若い! 出力を上げろ!!」
そう。この世界では、ダイブや実戦を重ねると肉体が“最適化”される。活躍すれば若返る。俺の体が二十代後半から三十代前半相当なのも、その副産物だ。筋力も回復力もここにきた当初より上がっている。
ただし。精神までは若返らない。そこが問題だ。
「そういわれても……心が追いつかん」
「何だと!?」
「五周目で帰りたいんだが」
「まだたったの二周目だ!!」
ナツが横を駆け抜ける。
「先輩、速いッスね!」
「速くはない。もう家に帰りたいだけだ」
ヘラクレスが目を輝かせる。
「良い! 限界の先に悟りがある!」
「悟りはいらん。暖かいココアと湿布が欲しい」
ルステラが淡々と報告する。
「心拍数、安定。筋出力、平均値超過。肉体年齢、二十後半から三十代前半相当」
「体はな」
膝は軽い。足も痛くない。なのに脳が“もう十分”と通達してくる。
「……若返っても、やっぱおっさんはおっさんだ」
「意味が分からん!」「体が動くなら走れるだろう!」とヘラクレスは脳みそまでクソでできているかのようなことを言ってくる。学生時代の嫌な思い出がよみがえってきた――。いや、よそう。
「違う。走れるが、走りたくないんだ」
「精神が老いている!」
「否定できんな――」
もういい加減ダルくなってきたので、飽きる前に腕立て伏せに移行。
一回、二回、三回。
「……四十超えたらな、こういうのは“やらされる”もんじゃない」
「今は二十代だ!」
「中身は四十超えだ!」
ナツが吹き出し、ムーニャンが呆れる。
「マスターもヘラクレスも、どっちも面倒くさいアル」
そこで、そんなやりとりを見て、横から火がついた声がした。
「俺もやります!!やらせてください!!」
ノエルだった。白磁の新人。目が燃えてる。
「先輩がやってるなら、俺も!」
「やらなくていい」
「いや、やります!」
ヘラクレスが満足げに頷く。
「良い心意気だ!!」
ノエルが全力で走り出す。
一周、二周、三周。四周目で足がもつれ、五周目で呼吸が荒れる。
六周目。
ばたり。
「は、はや……い……」
「速くない」俺は横になったまま言う。
「帰りたいだけだ」
「精神が老いている!」
「若者は無理するな」
ムーニャンが冷気を送る。
「ほら、冷やすアル」
ノエルは目を閉じたまま、絞り出すように呟いた。
「大会……勝ちたいです」
その一言で、笑いが少しだけ止まった。
ヘラクレスが、静かに言う。
「なら、立てるようになれ」
熱い。うざい。けど、今の言葉だけは、刺さった。
その直後だった。扉が勢いよく開く。
「医療区画を借りる」
リコーラー、そう以前にもお世話になった救出職のカナエが、血まみれの少女を担いで入ってきた。
担がれているのは、犬獣人の魔法忍者見習い――。荒野を単独で渡り歩く自由人で、大会参加予定の問題児。外に出ていったきり、戻らなかったやつだ。名前はこの後に知ることになる。
「あ……コハクだ」
「あいつ、出てったきり帰ってこなかった……」
ギルドの誰かが言う。ミーナが息を呑み、ガロが手を止める。
ムーニャンが目を見開いた。
「あっ、あのときのバカ犬アル!!」
「誰が……バカでござるか……」
地下医療区画。消毒灯が白く照らすラボ。
ジン老は、担ぎ込まれたコハクを見て、一瞬だけ視線を下に落とした。
「ほう……カラダが若いの。ええのう、ウシャシャ」
「先 生」カナエの声が低い。静かに怒っている――
「冗談じゃ、ジョーダン」
スカウター装着。走査。
「骨折なし、内臓損傷なし。魔力過充填じゃな。出力を一点に詰め込みすぎた」
「つまり?」
「ただの魔力ガス欠じゃ。ま、飯食ったらすぐ治るわ」
――そうジン老が言うやいやな、コハクがむくっと起き上がる。
「腹減ったでござる――メシ、エサ、、ほしいワン!」
そして、ばたり。完全に気絶。口からはよだれが出ている。
一拍の静寂。
誰ともいわず、「……は?」
「死にかけじゃないのか?」
「寝不足と空腹じゃ」
全員が、ズコーーーッとずっこけた。
「紛らわしいアル!!」ムーニャンは本気で怒っている。
ジン老がにやりと笑う。
「――とはいえ、ワシの治療費は高いぞい。お前、身体で払うか?」
バキン。カナエの拳が落ちる。とうとう怒りが限界に達したようだ。
「冗談じゃ!」「本気で言っとらんわい!」
ルステラが淡々と補足する。
「スケベ発言頻度、本日三回目デス」
「――もういちいち数えるな!このジジイ、ダメなヤツだ」
すったもんだが落ち着いた頃。俺は、トレーニングのせいか小腹がすいてきたので、厨房から拝借した骨付き肉をかじっていた。保存食だ。匂いが立つ。
その瞬間――
コハクの鼻が、ぴくりと動いた。
ギュン。とんでもなく速いスピードでコハクが俺の前に飛び込む。
「それ――よこすでござる」「エサ、くれたら爆発魔法見せてやる――」
反射的に渡していた。
コハクは両手で肉を受け取り、がぶり。むしゃむしゃむしゃ。骨ごといきそうな勢い。
静寂。全員が見ている。
食べ終わったコハクが、真顔で俺を見上げた。
「クゥン……ご主人様♡」
「――――は?」
「拙者に食を与えし者は主。荒野の掟でござる♡」
「オマエ、そのルール今作ったアル!」ムーニャン即ツッコミ。
ルステラが冷静に告げる。
「荒野文化ニそのようなルール、確認デキマセン。即興発言ノ可能性、高」
「いい、もうやめろ――そんなのログに残すな」
俺の手元に、もう一本、肉があることにコハクが気づく。
視線が落ちる。目がぎらり、と光る。
ごくり。
コハクの口から、よだれが、つうっと垂れた。
「……エサの追加、あるでござるか」
「こいつ飯のことしか考えてなくて、怖いアル!!」
ムーニャンが後ずさる。
ルステラが淡々とまとめた。
「滞在理由、確定。餌付け成功デス」
「餌付け言うな!」
こうして爆発魔法忍者犬コハクは、ギルド酒場に居座ることになった。いや、骨付き肉一本で“主従契約”が成立した。世界が終わってる。
彼女がご飯を食べ、体力が戻ったところで、コハクが修行していたという爆発魔法の、
小規模出力テストを行うことになった。
コハクの琥珀色の魔力が一点に収束し、安定させるため、ムーニャンが青白い冷気で周囲を包む。
ゴォォォンッ!!
轟音。爆発の衝撃が冷却層に捕捉され、拡散せずに押しとどめられる。熱と冷の噛み合わせは悪くない。
ヘラクレスが吠える。
「良いぞ! それなら大会でも使えるだろう!!」
その瞬間。
世界が、遅れた。
視界の端に紫の線が走る。枝分かれする分岐のような像。爆発が失敗する未来。凍結が間に合わない未来。ヘラクレスが止めに入る未来。三つの“選ばれなかった結果”。
瞬き。現実は成功している。
「……今、何か」コハクが首をかしげる。
ルステラの声が、少し低い。
「未承認演算領域。管理外分岐ノ可能性」
「管理外?」
「……例外」
背筋に冷たいものが走る。誰かが、選ばなかった未来を“見せている”。そして、選ばせようとしている。
夜。酒場の灯りを落としたあと、中庭に誰もいないはずなのに、影がひとつだけ濃い。月明かりはない。
ルステラのHUDが一瞬明滅する。
「観測……欠落?」
爆発と冷却の“三秒間”。ログが空白になっている。
「非観測領域、発生」
夜が、少しだけ重くなる。月は、見えない。
ジン老が、誰にともなくぼそりと呟いた。
「夜はの……削る者がおる。紫は……選ばせる者じゃ」
「先生?」
「独り言じゃ」
だが、その目は笑っていなかった。
上階。受付カウンター。
イツキが帳簿を閉じる。軽い口調のまま、目だけが冷たい。
「ねえ、マスター。大会、普通の大会だと思ってる?」
「……違うのか」
「来るよ」
「何が」
「神権の奴ら」
一瞬、空気が重くなる。ミツキが小さく息を呑んだ。
イツキは爪を見つめながら続ける。
「観測だけじゃ済まないかもね。今回、あいつら本気っぽいよ」
そして――翌朝。
バサッ。
音がした。
中庭の端に立つクエストボードへ、白い紙が“出現”していた。誰も貼っていない。ただ、そこにある。
――《公式観測試合:予選登録開始》
ざわ、と空気が揺れる。
ヘラクレスが拳を握る。
「大会は、勝つ」
ムーニャンが指先に冷気を灯す。
「全員――この新技”中華冷凍餃子拳”で凍らせるアル」
コハクが拳を上げる。
「全部爆発させて、ぶち抜くでござる」
紙の端が、ほんの一瞬だけ紫に滲んだ。
誰も気づかない。
だが、ログは残った。
こうして、おじさんは筋肉神にしごかれ、爆発犬を飼うことになった。
大会は、もうすぐそこだ――
――続く。
第17話は「大会前のギルドが、笑いながら胃が痛い空気になっていく回」でした。
筋肉神ヘラクレスの地獄特訓で全員が追い込まれつつ、コハクの搬送→ただの気絶→骨付き肉で主従契約という、ギャグと不穏の温度差で押し切っています。最後にクエストボードが“出現”して、いよいよ予選登録開始。ここから大会が“イベント”じゃなく“観測”として動きます。
今回の主要人物メモ
マスター(主人公/NO NAME)
肉体は若返っても中身はおっさん、のギャップが炸裂。走れるのに走りたくない。なのに結局やる。骨付き肉一本で犬を飼う羽目に。
ルステラ
冷静に数値化して全員の心を折りにくるAI。ヘラクレスを「味方判定・安定域内」と評価しつつ、紫ノイズを“例外”として検知。
ヘラクレス(筋肉バカ神)
「努力!筋トレ!追い込め!」のコメディ担当だが、言葉の端々に“選別”の冷たさが混ざる。地獄特訓でギルド全体を強制成長させる。
ムーニャン(無念)
冷気適性が開花。氷結が自然に戦闘技術へ寄っていく段階。逆パートでタニシを凍らせるのが安定のコメディ。
コハク(爆発魔法忍者犬)
カナエに救出されて搬送→ただの魔力ガス欠。骨付き肉で即「ご主人様」化し、ギルド滞在が確定。爆発×凍結の連携が今後の伸びしろ。
カナエ(叶 恵/タマモ/ANCHOR-07)
リコーラーとしてコハクを搬送。現場判断の姉御枠で、ジン老のスケベを拳で制圧する“治安”。
ドクター・ジン(ジン老)
スケベギャグを挟みつつ処置は超一流。今回、さらっと「夜=削る」「紫=選ばせる」を口にして不穏の導線に。
イツキ(双子受付嬢・姉)
帳簿とログの番人。軽い口調で「神権の奴らが来る」と空気を冷やす役。次回以降の不穏の予告担当。
ミツキ(双子受付嬢・妹)
反応が“人間側”。イツキの言葉に息を呑むことで、危機感を読者にも伝える。
ノエル(白磁の新人)
おっさんの走り込みに感化されて無理してダウン。「勝ちたい」の一言が、ギャグ回に本音の芯を刺した。
ナツ(体育会系)
ヘラクレス特訓の被害者。汗と努力で場を動かす“読みやすさ担当”。
タニシ
逃げようとして凍る。世界の理不尽を一身に引き受ける。
ガロ/ミーナ/シン
直接出番は控えめだが、“大会前の静けさ”を支える背景。特にシンの窓際は、不穏の温度調整に効いてる。
主人公の現在のステータス(読者向け表示)
※一般冒険者視点の無難表記
名前:NO NAME(呼称:マスター)
等級:黒曜
役割:酒場運営/ギルド協力者
状態:特訓疲れ(精神:おっさん/肉体:若め)
危険度:——(表示対象外)
観測度:——(表示対象外)
所持アイテム/装備(現時点)
装備:動きやすい普段着+簡易防具(訓練用)
携行品:保存食(骨付き肉)/水筒/簡易手当てセット
その他:酒場の鍵・帳場道具一式
次回は予選登録が始まって、ギルドの“空気”がもう一段固くなります。
「神権の奴らが来る」――その意味が、じわじわ形になります。




