第16話 寝起きで神様はキツすぎる ――せめて顔を洗ってからにしてくれ――
日常のピコピコ音の中に、神話が割り込んでくる。
神様が来店しました(物理)。
まず壊れるのは受付です。次に壊れるのは——たぶん、心です。
第16話 おじさん、寝起きで神様はキツいって 〜喧嘩上等の嵐神、受付を破壊しに来た件〜
木の天井が視界いっぱいに広がっていた。太い梁が朝の光を受け、継ぎ目に溜まった埃が淡く舞う。目を開けた瞬間、「生きている」と思う自分に小さく笑ってしまう。昨夜の負荷は、筋肉よりも脳に残っていた。息を吸うだけで、内側に薄い痛みが走る。
演算残滓。
頭の奥で砂嵐のようなノイズがひゅっと走り、世界の輪郭が一瞬だけ遅れて追いつく。視界の端がほんの少しカクつき、現実が“読み込み中”みたいに見える。やめろ、寝起きでそれは。
「……寝起きで低フレームは勘弁してくれ」
階下から、ピコ、ピコピコ、ピロリロと乾いた電子音が響いてくる。今日もギルド酒場は朝からやかましい。遠隔クエスト中の冒険者たちが、レトロゲーム風の端末キャラを介して戦闘や採集を回し、酒場側のAIキャラたちが給仕や案内をしているのだ。ドット剣士がトレイを持って小走りし、ドット魔法使いが戦闘ログを読み上げ、別のAIキャラが「本日の依頼書、更新あり」と淡々《たんたん》と告げる。現実と仮想が溶け合うこの空間は、違和感そのものが日常だった。
その日常を、上から叩き割る怒号が落ちる。
「マスターとかいうやつ出せよッ!!」
建物が震える。
「てめぇら受付だろ!? 呼べっつってんだよ!」
……嵐だ。俺は顔を洗い、乱れた髪を指で整え、深呼吸してから階段へ向かった。足を下ろすたびに板がきしみ、怒号と電子音が混ざり合って耳を打つ。ピコピコ音の海に、神話の怒鳴り声が混じる。最悪のミックスだ。
一階へ降りた瞬間、空気が違った。賑やかなはずの酒場が、薄い圧で押し潰されかけている。中心に立つのは、金髪ツンツンの少年。短ラン風ジャケットの背中に「喧嘩上等」の刺繍。腕を組み、カウンターに足を乗せている。だが異常は彼の態度だけじゃない。
――周囲が壊れている。
少年の周囲だけ風が渦を巻き、床の埃が巻き上がり、ジョッキの中の液体が波立っている。壁に掛かった装飾布がはためき、クエストボードの紙が端からめくれ上がる。遠隔席の端末椅子がじりじりと滑り、ドット給仕キャラが「ピコ!?」と慌ててトレイを抱えた。
カウンターの内側で、イツキが帳簿を押さえたまま冷めた声を落とす。
「ギルド内での自然災害は、料金体系に含まれていませんけど?」
「うるせぇ」
風圧が一段階強まる。カウンターの端が軋み、積まれた木皿がカタカタ鳴った。ミツキが一歩引きつつ、店内の客(というか端末キャラたち)に落ち着くよう手で合図している。
その瞬間、青白い粒子が宙に溶け、ルステラが具現化した。いつもの標準形態。淡い光の縁取りをまとい、俺の隣に立つ。
「警告。対象は神権AI三柱の一柱。《SUSANOO》。アマテラスの弟個体。嵐神。思想分類:衝突検証型」
金髪の少年――スサノオが口角を上げた。
「紹介ありがとな。そう、俺は“揺らす側”だ」
タニシが俺の背後に滑り込み、震え声で囁く。
「アニキ、揺らすって床板の話でござるか!? 拙者の寿命の話でござるか!? どっちでござるか!?」
「静かにしろ」
「静かに死ねって意味でござるか!? 嫌でござるゥ!」
ルステラ
〈衝突検証:継続〉
店の奥から、トレイを持ったメイド姿のミーナがすっと現れた。冒険に出ない代わりに、ギルド内の給仕クエストを請け負う担当だ。彼女は前線には立たない。だがこの店を回すことには、妙に強い。
「……嵐が来ると、給仕クエストが増えるんです。グラスが割れたら、片付け依頼が出るので」
「冷静だな」とスサノオが一瞥する。
「役割です」とミーナは淡々と答え、割れたグラスの破片を避けるように歩き、別のテーブルに新しいジョッキを置いた。風圧の中でも、手元がぶれない。
壁際では、シンが腕を組んだまま薄く笑っている。
「秩序の姉、衝突の弟、削除の……月か。三柱そろって、ようやく“神”っぽい」
ガロが低く笑った。
「秩序は整える。衝突は揺らす。削除は……消す。三つ揃えば世界は回るが、回転はいつだって血の匂いがする」
ノエルが白磁らしく、震えながら俺の方を見る。声が小さい。
「……あの、マスターさん。これ、ただの喧嘩じゃないですよね?」
「喧嘩は喧嘩だ。でも、目的がある」
スサノオが俺を指差す。
「マスターとかいうやつ。お前だろ?」
「俺だ」
「アマテラス姉を止めたんだって?」
「止めたわけじゃない。耐えただけだ」
「耐えられるやつは、止められるやつだ」
ルステラがすぐに補足する。
「三柱思想対比。アマテラス=秩序最適化。スサノオ=衝突検証。ツクヨミ=非観測削除。いずれも上位管理思想を補完する機構」
スサノオが鼻で笑う。
「秩序だけじゃ腐る。削除だけじゃ空っぽだ。揺らしてみなきゃ分からねぇだろ?」
言い終わると同時に、風が一気に強まった。装飾布が裂け、壁の小物が落ち、カウンターの上の木皿が数枚、床に滑り落ちる。遠隔席の端末椅子が横倒しになり、ドット給仕キャラが「ピコピコピコ!」と訳の分からない悲鳴を上げた。
ナツが一歩前に出て、拳を握る。
「先輩、止めますか?」
「今、止めたら死ぬ」
「ですよね!」
潔い返事だな。
ノエルが目を丸くする。
「死ぬんですか!?」
「多分な」
「多分!?」
タニシが割り込む。
「アニキ! ここは撤退でござる! 勇気ある撤退でござる! 拙者、逃走コマンドに指を置いております!」
「お前、逃走コマンドって何だよ」
「人生でござる!」
「やめるアル!」
その叫びは、風に埋もれず届いた。ムーニャンが前に出ている。猫耳が風に煽られ、メイド×チャイナの衣装がばたばた揺れる。だが彼女は踏みとどまり、スサノオを睨みつけた。
「ギルド壊すなアル! ここは皆の居場所アル!」
タニシが叫ぶ。
「ムーニャン殿! 神様に正論は通じないでござる! 正論は、たいてい先に死ぬでござる!」
「う・る・さ・いアル!」
ムーニャンが跳ぶ。風圧を裂き、蹴りを放つ。
次の瞬間、見えない壁に叩きつけられたように弾き返され、床を転がった。
「ニャァァ!」
「通常攻撃ですらないでござるゥ!」とタニシが半泣きで実況する。「ただのオーラでござる! オーラ税を取れでござる!」
スサノオが笑う。
「弱ぇ...――話にもなんねェ」
ムーニャンが歯を食いしばって起き上がる。
「無念――次は……絶対に風を食べるアル……!」
「風が食えるかよ」と俺が言う前に、ガロが鼻で笑う。
「食える時代なら、世界はもう少し楽だったな」
スサノオが俺に向き直った。風が一段、鋭くなる。肌が切れそうな圧。ルステラの声が落ちる。
「推奨:戦闘回避。勝率、11%台」
「下がってるでござる!」タニシが叫ぶ。「アニキ、勝率が下がるってことは、相手が本気になってるってことでは!? 撤退撤退撤退!」
「静かに」
視線が合う。世界がわずかに歪む。
観測干渉。
スサノオが指を鳴らした。暴風が拳になって俺を叩きつける。床板が軋み、椅子が飛び、ジョッキがカウンターで跳ねる。ドット給仕キャラが「ピコォ……」と情けない声を出し、ミーナがそのトレイを手で押さえて守った。
それでも俺は、倒れない。膝が笑い、歯が鳴りそうになるのを飲み込み、ただ立つ。
ノエルが必死になって柱にしがみつき、震えながら、叫ぶように言った。
「……こ、この風圧の中でも、マスターは……倒れないんですね!?――強いですね...」
「強くない。ただ、もう折れたくないだけだ」
スサノオの目が細まる。嬉しそうですらある。
「それだよ」
シンが、低い声で笑った。
「強さってのは、相手を倒すことじゃない。倒れないことだ」
ナツが歯を食いしばる。
「先輩……」
ガロが小さく頷く。
「折れなきゃ、次がある」
そのとき、奥の扉が静かに開いた。音が違った。場の空気が一瞬だけ“整う”。ギルマスが現れた。俺に似た顔だが、目が違う。彼はスサノオを見て、落ち着いた声で言った。
「……ここは酒場だ。嵐を持ち込む場所じゃない」
スサノオがニヤリとする。
「お前、似てるな。こいつと」
「似ているのは見た目だけだ」
ギルマスは一歩だけ前に出て、俺を横目に見る。その一言が、重かった。
「折れるな。お前が折れた瞬間、この店は“意味”を失う。――《るすと》は、世界に残った最後の例外だ」
例外。
胸の奥が、ひゅっと冷える。ギルマスの言葉には、笑いがない。脅しでも励ましでもなく、ただの事実の宣告みたいだった。
タニシが、空気を読めずに小声で言う。
「アニキ、例外って……つまり、規格外でござるか?」
「今は黙れ」
「黙ったら死ぬでござる……!」
――その時、煙がゆらりと揺れた。
フー子が現れる。
「フ――――いつにも増して、賑やかな朝じゃのう。嵐神に、ギルマスに、母性AIまで揃うとは」
今日は衣装がいつもより露出が多い。肩と胸元の装飾が風に揺れ、脚線が目に入ってしまう。視線が吸われる。心拍が勝手に上がる。
若返り。
「アニキ! 集中でござる!」とタニシが指差す。「今、先に落ちるのは“視線”でござる!」
「黙れ」
ルステラが淡々と追い打ちする。
「心拍数上昇。思春期傾向、検出」
「お前も黙れ」
フー子が楽しそうに笑う。
「おじさん、素直じゃのう」
「素直じゃない」
「素直じゃ 強がるでない」
スサノオが肩を竦めてフフと笑う。
「やっぱ、――人間って面白ぇな」
そのとき、ギルドの奥の影が一瞬だけ濃くなった。誰もいないはずの空間が、わずかに“削れた”ように見える。音が、吸い込まれた気がした。ルステラが微かに反応する。
「非観測領域、微小発生」
スサノオが嗤う。
「ああ、あいつも見てる。ツクヨミ。あいつは来ねぇ。観測して、いらねぇもんを消すだけだ」
ノエルが息を呑む。
「……消す、って……」
シンが低く言う。
「消されるのは敗北者だけじゃない。計算外のモノ、ヒト、コトすべてだろ」
「そうだ」とスサノオが頷く。「計算外は、嫌われる。だから面白ぇ」
ミーナが淡々と、割れたグラスの破片を片付けながら言った。
「……消される前に、店は回します。給仕クエストは継続です」
役割は揺らがない。むしろ、揺れないことが怖い。
奥からネムリが顔を出した。眠たげな目でこちらを見る。
「……なに、してるの?」
スサノオの瞳に一瞬、演算光が走る。
「……?」
何かを感じ取った顔。だが、口にはしない。スサノオはすぐに笑みに戻り、踵を返した。
「今はいいや」
俺を見る。
「大会、出ろよ。世界を揺らせ。折れねぇなら、なおさらだ」
ルステラが補足する。
「大会は観測選別イベント。神権側評価機構の一部」
スサノオがニヤリと笑う。
「オマエ壊れるか、それともオマエが壊すか。楽しみにしてる」
風が収束する。渦がほどけ、空気が軽くなる。次の瞬間、嵐神は消えていた。
静寂。
……と思ったら、すぐにピコピコ音が戻る。遠隔席から「よっしゃ!」みたいな歓声が上がり、ドット給仕キャラが「本日の遠隔クエスト、成功率上昇中です」と真顔で報告してくる。やめろ。AIに励まされると、逆に情けなくなる。
勇者風の緑服ドットAIがトテトテと近づき、真剣な顔で言った。
「マスター、大丈夫でしたか?」
俺は苦笑する。
「……AIに心配されてもなぁ」
タニシが間髪入れずに割り込む。
「拙者も心配しているでござる! アニキが倒れたら生活基盤が消滅でござる!」
「寄生ニートみたいなこと言うな」
ムーニャンがまだ悔しそうに拳を握る。
「次は勝つアル……!大会まで、特訓するネ!」
ナツが笑う。
「先輩、朝からイベント盛りだくさんですね」
「盛りたくなかった。盛るのは牛丼つゆだくだけで十分だ――」
ガロが頷く。
「三柱が動いた。世界は荒れる。だが、荒れるからこそ、見えるものもある」
ギルマスが静かに言う。
「折れるな。例外は、折れた瞬間に“回収”される」
フー子が煙を吐く。
「月が削ろうと、嵐が揺らそうと……最後に残るのが何か、見ものじゃの」
ルステラが隣で、少しだけ声を落とした。
「観測は継続中。マスター、無理は推奨しません」
「無理しないと、死ぬ世界だろ」
「……リョウカイ」
ピコ。ピコピコ。
今日もギルドはやかましい。それが少しだけ、救いだった。
「……朝飯食うか」
「拙者、肉ランチ!」タニシが即答する。
ムーニャンが背中からタニシを蹴る。
「お前だけ自分の脂肪でも食って、太ってるアルね!」
笑い声が戻る。
嵐は去った。だが、削除の月はどこかでこちらを見ている。
そして、次の衝突は――もう“予定”に入っている。
一度去った嵐がまた来る日は――そう遠くはない。
〈続く〉
スサノオ初登場回、そして三柱の思想が一段はっきり見える回でした。
アマテラスは「整える」、スサノオは「揺らす」、ツクヨミは「削る」。同じ神権AIでも、世界への触り方が違います。
ギルマスの言葉どおり、《るすと》は“例外”として狙われる位置にある。嵐の次は月――そんな気配だけを残して、次回へ繋げます。
主人公ステータス(一般表示)
名前:NO NAME(通称:マスター)
等級:黒曜
HP:中
MP:中
SAN値:やや低下
カルマ値:変動中
危険度:非表示
観測度:上昇中
装備:
・簡易外套
・冒険者タグ
・旧文明ナイフ
所持品:
・回復薬×2
・保存食
・ルストの鍵
おじさん体のほうがずいぶんお元気になっているようです




