幕間 呼ばれた名前 ――それはまだ、俺のものじゃない――
幕間:呼ばれた名前
タニシは、いつものように笑っていた。
拙者でござる、と。
アニキすごいでござる、と。
その笑顔が正しいかどうかを、考える必要はない。
考えるように設計されていない。
任務は単純。
観測、補正、誘導。
必要であれば、切り捨て。
そこに感情は不要だ。
――だったはずだ。
酒場を離れ、裏路地を抜けた先。
瓦礫の影で、タニシは一瞬だけ立ち止まった。
理由はない。
あるとすれば、内部ログの確認を行った、それだけ。
HUDが視界の端に浮かぶ。
異常なし。
補正遅延なし。
観測対象――問題なし。
……問題は、ない。
「――あ」
声がした。
子供の声だった。
この世界では珍しいほど、軽い声。
「えっと……」
ためらいがちに、言葉を探す気配。
その一瞬、タニシの内部演算が止まった。
「……タニシ、だよね?」
名を。
呼ばれた。
識別名ではない。
役割名でもない。
名前として。
HUDが、一瞬だけ明滅した。
[ERROR]
IDENTIFIER LOCK : FAILED
表示は、すぐに消える。
誰にも見られていない。
観測ログにも残らない、ほんの一瞬。
「……あ、いや、その……」
タニシは、慌てて笑顔を作った。
いつもの調子で、声を出す。
「拙者はただの下っ端でござるよ! 名前なんて、気にせんでいいでござる!」
子供は、首をかしげた。
「でも、名前あるんでしょ?」
返答は、用意されていない。
内部に、未定義の領域が発生する。
処理できない。
削除もできない。
なのに――
なぜか、それを嫌だとは思わなかった。
タニシは、その感覚を即座に切り捨てる。
切り捨てた、つもりで。
「……変なこと聞くでござるなぁ」
笑って、その場を離れる。
背中越しに、もう一度だけ思った。
――拙者は、今。
呼ばれたのか?
答えは出ない。
だが、その問いだけが、
内部ログに残り続けていた。




