第4話 弟と秘密
スマホを回収し帰路に着いてからも、ずっと桜井たちの会話が耳に残っている。
特に桜井と藤浪の、あの台詞。
––––ふふっ、負けないよ〜? 絶対に私が一式くんの彼女になって、妻の座も勝ち取って一生を共にするんだから。
––––中学から面識のある私のほうに利はあるかと。 今後とも末永くいる相手というなら私のほうが相応しいという自負があります。
「ああいう台詞言った奴、大抵ヤンデレだったような……」
帰宅し、ベッドに身体を沈めながら呟く。
ラノベから得た知識でしかないのだが、主人公の前でしれっと将来を約束しようとしたり、主人公の隣にずっといることが自分の中でだけ確定事項になっていたりする女子・女性キャラクターは、属性にヤンデレが入っている。
異世界ものとかは特にそれが強いと思う。
例えば、パーティから追放された主人公に手を差し伸べるのが可愛らしい女子や美女で、のちに新パーティという名のハーレムが出来上がっていたり。
主人公が自分に向けられる好意に鈍感なせいもあるからか、彼女らが繰り広げる水面下の争いが日に日に激しさを増していき、各々の想いも重量感がとんでもないことになっていったり……とか。
学園ラブコメにも似たようなものは少なからずある。
ヤンデレ属性持ちが初めからそうであったわけではなく、そうなるに至った理由もまた重かったりする。
主人公に執着するのもまあ……まあ……と頷けるような過去があるのだ。そうでなきゃただの狂人となって終わりだし、中には主人公をストーカーしたり夜這いを仕掛けたりと犯罪者と呼んで差し支えないくらいのキャラもいる。
正直、美少女や美女であり、どんなに歪んでいたとしても一途に想ってくれるヤンデレという属性だから許されている部分はあると思う。
まあ、あくまでこれはラノベ知識と現実の人間に似通ったと思われる部分を繋げて、こうなのかなと勝手に予想しているにすぎない。ヤバい奴だと思われても仕方がないのは重々承知している。
……しかし。しかしだ。
仮に桜井、藤浪がヤンデレ属性だとして、そうなるに至っても仕方がないような過程があったとしても。
まだ高校生という年若い時分で、両思いどころか告白すらしていない段階で将来を見据えた発言をするというのはどうなんだ。普通に怖い。
「なんであんな笑い合いながら、しかも自信ありげに言えんの……? ええ……? 桜井は悠生に助けられるまでほぼ関わりなかったし、藤浪は中学の時から知り合ってるだけでしかないと思うんだけど。 絶対悠生の認識とずれてるって……」
ぞわりとしたものが身体を駆け巡り、腕をさする。
とうてい日常会話として受け入れられるものではない。
僕がヤンデレ属性苦手だというのもあるかもしれないけど。
これまで築いてきた少ない人間関係の中で、悠生は一番長く付き合いのある相手だ。いらないことかもしれないが、心配してしまう。
今は彼の前で全てを曝け出しているわけではないが、いつか桜井と藤浪が暴走しないとは限らない。
ラノベのラブコメ主人公であれば、ヒロインから過激な発言が飛び出そうとも苦笑いでやり過ごすか、恐るべき鈍感力でナチュラルに回避するのだろう。
「さすがに考えすぎかな、これ……。 でもあんなこと普通に言ってるの怖すぎるし……」
僕が呟いていると、自室の扉がノックされた。
どうぞと声をかければドアが開けられ、見慣れた顔が入ってくる。
「お帰り、兄さん。 またひとりごと言ってた?」
「ただいま、伊吹。 ……うるさかった?」
中学校から帰っていた弟の伊吹が、細い銀縁眼鏡を軽く押し上げながら言う。
「別に。 勉強の邪魔にはならなかったから。 そろそろ直さないと、どこかで恥かくんじゃないかと思っただけ」
「それはたぶん、大丈夫。 言ったとしても影薄いからバレてないよ。 今のところは」
「……そう」
小さく息を吐く伊吹。
呆れてるんだろうな……。高校生になってもひとりごとを言ってるんだから。
こればっかりは癖なのでどうにもできない。
伊吹は僕のところへやってくると、片手に持つ本を差し出した。
僕が貸していたラブコメもののラノベで、最近三巻が出たばかりのシリーズ第一巻だ。
「読んだんだ。 面白かった?」
「まあ。 最近こういう……ざまぁ系?よく見かけるよな。 だいたいがNTRから始まってるものだし、飽きないのかなとは思う。 人からの信用失うことを平気でする奴が実はこんなにいるかも、っていう一種の暗示かな」
「感想というかほぼ皮肉では……」
「二巻借りてもいい?」
「面白くはあったんだな。 いいよ」
苦笑をこぼしつつ頷くと、伊吹は僕の本棚に移動した。
冷たさのある知的な美貌の伊吹がラノベを引き抜いている。ちょっとおかしい。
部屋を出るのかと思いきや、伊吹は僕の隣に腰かけ先ほど手にとった二巻を開いた。
流れるような動作で足を組むのが様になっている……じゃなくて。
「部屋で読んだらいいのに」
「兄さんが小説の続き書き終わるまでここにいる。 あとちょっとで一話分できるって言ってただろ」
「言ったけども……。 そんな堂々とスタンバイしなくても」
「静かに本読んで待ってるだけ。 何も問題ない」
眉ひとつ動かさずに言う伊吹に折れて、僕はリビングから家族共同のパソコンを持ってきた。棚に並べているノートから「構成用」とペンで表紙に書かれた一冊を引き抜き、パソコンの横に広げる。
小説投稿サイト「モノカキ」からマイページに移動し、書き途中の下書きに文字を打ち込み始めた。
高校入学の少し前から、僕は小説を書いている。
ラノベに出会ってしばらく経った頃「こういうものなら書けるのでは」とふと思ったことがきっかけだった。
小説の構成用と本文用にノートを作り、拙いながらもちまちまと書いていた。初めて一話を書ききった日の感動は今でも覚えている。
ただ、誰かに読んでもらうという勇気は持てず、悠生にも、家族にすら見せたことはない。好きなことを書き散らしただけの文でしかないから、誰かの目に触れるのが恥ずかしかった。
だがその日は突然やって来た。
僕の部屋で伊吹が小説本文用ノートを手にして「兄さんが書いたやつ?」と聞いてきたのだ。
たまたまノートが勉強机の上に置きっぱなしになっていて、僕に借りた本を返しにきた伊吹がそれを見つけたらしい。
息の根が止まるかと思った。冗談抜きで。
布団にくるまり震える僕に伊吹は小説を面白いと言ってくれ、投稿してみたらとモノカキの存在を教えてくれた。成長するにつれ昔よりもそっけなくなり、中学二年となった今では「あさにい」とすら呼んでもらえなくなったけれど、こういう部分は変わらない。
投稿するのはまだ恥ずかしくて下書きを溜めているばかりだが、伊吹が読んで感想を伝えてくれるだけで十分だと思っている。
「……––––できた」
書き上がった文章に目を通し終わった僕の後ろから、立ち上がる気配がした。
「読ませて」
「どーぞ」
席を譲ると、伊吹が僕の椅子に座り文字を追っていく。
弟の横顔を眺めていたがなんとなく手を伸ばし、光の輪が浮かぶ頭に手を置いた。まっすぐで綺麗な黒髪を梳くように撫でれば、サラサラとした感触が伝わってくる。昔から変わらない、僕とちがってくせ毛ひとつない髪。
伊吹の身体が一瞬ピクリとするも、それ以上のアクションは起こさず小説を読むことに集中している。
弾けるような笑顔を見せることはなくなれど拒絶はしない弟に、こっそりと微笑んだ。




