4-08 狐ノ杜 -特務霊査課 管理File403-
科学が世を支配していても、日常の裏側で怪異は蠢く。
『特務霊査課』は、そんな特異現象の調査や鎮圧をひっそりと担う組織だ。
ここに配属されている春海 彩佳はある日、人気怪談配信者のヒロキが強力な呪詛に引き寄せられている事案を担当する。
上司の指示のもと介入を試みるが、彩佳の術は呪詛に及ばなかった。阻止は失敗に終わり、ヒロキは怪異側へ移行してしまう。
このままだとヒロキは恐怖を配信するたびに、奇妙な事件を起こすだろう。
彩佳は現場の廃村へ急行し、上司と共に直接ヒロキを止めようとするのだが――。
『特務霊査係 備品』と書かれたモニターの中で、四十人ほどの人が背を向けて地面に座っている。不鮮明な画像では何をしているのか分からないが、スピーカーからは小さく無機質な音が聞こえていた。
かち。ぱこん。
かち。ばこん。
紺の制服を着た彩佳は肩を落とす。
「止められなかったかぁ~……はぁ~……」
小さな吐息をかき消すように、陰鬱な調べが室内を満たす。
マウス操作をした彩佳が別ウィンドウを呼び出すと、三十歳ほどの男性が話しだすところだった。
『やあ、ヒロキだよ。今宵も恐怖を求める人がたくさん来てるね――』
彼の目が不意に赤く光る。コメント欄が「来た!」「今日は早いな!」との文字で埋め尽くされるのを見て彩佳は呟いた。
「向こうの呪いが上手でしたね~……」
「いや、まだ間に合う。ぼやいてる暇があったら動け」
「めっちゃ強い呪いですよ~」
「それでも、やれ」
「課長ってば、無茶振りばっかり~!」
唇を尖らせながらも彩佳は机に護符を置き、スマートフォンを乗せる。
髪を後ろで結い、呪言を唱え、ゆっくり文字を打ち始めた。
『こんばんは。何度かDMを差し上げた春海 彩佳です。蔵ノ杜 博癸様にお願いします、どうか山の中の村へ行かないでください。そこは危険な――』
▮▮▮
「ではまた、次の怪異で」
俺はいつものように締めくくって配信を終える。スマートフォンを見るとSNSのメッセージ通知がきていた。確認しようとしたとき視界が歪む。最近たまに起きる眩暈だ。軽く頭を振り、改めて画面を見た俺は舌打ちをする。
「またかよ」
最近よく届く“文字化けの差出人”からだ。一応開いてみると、やっぱり本文も文字化けしている。
「変な悪戯して楽しいか?」
毒づきながらスマートフォンをベッドへ放り投げて視界から消す。
気を取り直して明日のことだけを考えたら、少しずつ晴れやかな気分になってきた。
そう、明日は俺の“原点”へ行くんだ。
俺は子どものころからホラーが好きだった。
本は読み漁ったし、テレビも欠かさず見ていた。
それを知る友人が小学校の林間学校で、「なにか話してくれよ」と言ってきたのだ。
その部屋には二十センチほどの狐の座像が置いてあった。飴色をした古い木彫りで、奇妙なことに目が赤く塗られているものだ。
ちょうど前日に“怖い木彫り像の話”を読んだばかりだった俺は、せっかくなのでその話を聞かせた。夢中で語り終えて気がついたとき、友人たちは震えあがっていた。
どうしたんだろうと思っていたら、中の一人が言ったんだ。
「話は怖かったけど、一番怖かったのはお前だよ! 話し方は怖いし、目はときどき赤く光って見えるしさあ!」
嬉しかった。
まるで俺自身が怪異と一体化できたような、そんな気持ちになれたからだ。
あの気持ちを忘れられなかった俺は二十五歳のとき、怪異を語る動画配信チャンネルを開設した。
ありがたいことに登録者はすぐに増え、俺はすぐ人気配信者になれた。理由はどうやら語りの怖さと、「配信中に目が赤く光ることがあって不気味」という噂のせいだ。
ただし何度見返してもアーカイブでは光らないので、俺は自分の目が赤く光る場面を見たことが無い。
正直に言えば、落胆する。
俺は怪異を語っている。しかし俺自身は今まで怪異に遭遇したことはない。子どもの頃からこんなに怪異が好きなのに、怪異は俺を避けているんだ。
寂しさと悔しさと悲しさが募る日々を送っていたある日、俺はSNSでひとつの話を目にした。「何年も前に放棄された山中の村で、奇妙な行動をする人がいる」というものだ。
興味を引かれた俺はその村へ出かけてみることにした。村の手前が“懐かしい場所”だというのも理由になった。
俺は朝早くに家を出て愛車を駆る。山道はさすがに細くてカーブが多い。錆びた『動物注意』という標識を見ながら慎重に運転していくと、開けた道の先にまずは懐かしい建物が現れ――。
「……なんだ、これは」
落胆をこめて俺は呟く。
ここは小学生だった俺が友人に怪異譚を語った、いわば人生の分岐点ともいえるあの林間学校だ。しかし『立ち入り禁止』の看板の向こうに見える建物は一目で分かるほど荒れている。ガラスは割られて外壁には落書きがされ、当時の面影はまったくない。
大事にしていた思い出が色あせてしまう気がして俺は視線を戻し、ハンドルを強く握った。
これは俺の記憶とは関係ないものだ。
自分に言い聞かせながら進むうち、視界の端から建物が消え去る。
そのとき窓のひとつに赤い灯がともったように思えたが、落書きが反射しただけ。……そのはずだ。
やがて木の合間から小さな集落が見えてきた。あれが噂の廃村、正真正銘の目的地。
ここにも荒廃した家が並ぶのだろうと思っていたが、意外なことにどれもきちんと手が入っている。人が住んでいてもおかしくない。
これは、撮れ高があるかもしれないな。
はやる気持ちで車を進めていると、遠目に村の中心らしき広場が見えてきた。そこには四十人ほどの後ろ姿がある。
「いた!」
最初に抱いたのは興奮だった。しかし近づくにつれてそれは徐々に戸惑いへ変わる。
冬の曇天の下、薄着の村人は全員が同じ方向を向き、地面に直で座っていたのだ。
「寒くないのか?」
道路のカーブに沿って左側にまわりこんだ俺は、村人たちが折り畳み式の古い携帯端末を手にしているのだと気がついた。しかし通話している様子も、文字を打っている様子もない。ただ画面を眺めている。たまに全員が同じタイミングで携帯を閉じ、少し間をおいて全員で開く。やってることはそれだけ。
これは山奥の娯楽の一つなんだろうか?
俺は不思議に思いながら車を停め、撮影許可をもらおうと窓を開けた。村人たちは携帯を閉じる。「ぱこん」という音が辺りに木霊する。
そして、全員が一斉に俺のほうへ首を向けた。
全員が薄笑いを浮かべ、黒い双眸で俺を見ている。誰一人として同じ顔はいないというのに、同じ表情を浮かべた人々は、全て同じ人物のようだ。
俺の体が粟立ち、口から「ひ……」と呼吸とも声ともつかないものが漏れる。
するとそれが合図だったかのように村人は全員が音もなく立ち上がり、携帯を持ったまま俺の車の方へ駆けてきた。
「う、わあああああ!」
俺はみっともなく悲鳴をあげてアクセルを踏みこんだ。人々は走る速度をあげたが、車の動く方が早かった。
来た道を戻ろうとしたがそこにも人がいた。笑い顔で走ってくる連中を目にした俺は反射的に逆側へハンドルを切る。しかし手汗のせいで滑ってしまい、目的の大きな道ではなく細い道へ入ることになった。
突き当りは倒木で塞がれていた。
絶望したが、右手側には獣道が続いていた。車のドアを開けた俺は転びそうになりながら必死に足を動かす。どこへ続いているのかを考える余裕はなかった。
だから古い大きな家に気付くのが遅れたんだと思う。玄関はもう目の前だった。
俺の手が引き戸へ触れる。開けたつもりはなかったが、一気に横へ開いた。走ってきた勢いのまま足を踏み入れた瞬間「かち。ぱこん」という音を聞いた気がして肩が跳ねるが、内部に人の気配はない。安堵しながら後ろ手に鍵をかけると、途端に膝が笑ってどうしようもなくなって、俺はその場にずるずると座り込んだ。
玄関は綺麗だった。三和土はもちろん、沓脱石にも砂一つ見当たらない。古めかしい木造の式台と上がり框、廊下もふくめてすべてがきちんと手入れされている。――来客を歓迎するかのように。
ふと、線香の匂いを嗅いだ気がした。
ここにいても仕方がないが、もう逃げる場所もない。どうしようか迷って視線をさまよわせていると廊下の奥、障子の手前に飴色をした何かが見えた。
入ったときにあんなものを見ただろうか?
そういえば障子はわずかに開いているが、最初は閉じられてなかっただろうか?
――ひろき。
呼ばれた気がして辺りを見回す。
誰もいない。
ただ、視線を外したわずかな間に、飴色の何かは式台へ移動していた。
なんだ、これは?
――ひろき。
後ろの扉からバンと大きな音がした。慌てて振り向くが、すりガラスの向こうには誰もいない。
小さく息を吐いて顔を戻すと、飴色の何かは三和土にいた。手を伸ばせば届く位置だから姿かたちもよく分かる。
座った狐の木彫りだ。大きさは二十センチほどで、目は真っ赤。その、とても印象的な色。
ああ、そうだ。これは林間学校のとき、部屋にあった木彫りだ。
脈が激しく胸を打つ。俺はゆっくり手を伸ばした。
自分が泣いているのだと気がつくまでには少し時間が必要だった。
「……お待たせ」
手の中の狐の目が細められた。口が開かれる。あいだから犬歯が覗く。笑ってる。
そうだな。再会できて嬉しい。俺はもうずっと怪異と共にいた、それが分かって嬉しい。
嬉しい。
嬉しい。嬉しい。嬉しい、嬉しい――!
▮▮▮
破れた護符を見ながら彩佳が眉を寄せる。
「……やられちゃった~」
「まずいな。あの配信者が大規模な神隠しを起こすぞ、急いで阻止するんだ」
「もう~! 課長はそうやって無茶振りばっかり言って~!」
「悪かった。そら、今回は私も行ってやる」
立ち上がった彩佳の肩に、課長席から跳んだキジトラ猫がトンと乗り、二本の尾をゆらりと揺らした。





