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4-25 声と文字の間(はざま)で

「スマホ、弁償しなくていいから……代わりに一つ、手伝ってよ」


 彼女の頭の中は、その言葉でいっぱいだった。。


 安藤沙理あんどう さりは都内の商社で働く社会人。理不尽な人間関係に疲れ、唯一の救いは推し配信者にコメントを送ることだった。だが、矢先に彼は突然の休止を発表する。空虚さを抱える沙理を見かね、友人の心結みゆうは自分の推しを紹介した。


 仮面をつけたまま相談を受ける筆談配信者──『モジー』。


 無機質な画面の向こうで、白い指先がペンを走らせる。声を発さないのに、こちらの痛みに寄り添ってくれる存在に、沙理は次第に惹かれていく。


 一方、比郷蓮介ひごう れんすけ。金を求める中、動画サイトで『筆談配信』の文字に目を留める。



 三人が交差した瞬間、事態は決定的に転がり始める。やがて彼らは『モジー』という存在の裏側で、互いの人生に踏み込んでいく。

『いつも応援してくれている皆様へ』


 そのたった一行で、自分が思っていたよりずっと弱いと気付かされた。


 推しの歌い手の活動休止を知った日。

 胸の奥に空いた穴を抱えたまま十畳ワンルームのアパートに帰宅すると、同僚の心結(みゆう)からのメッセージがスマホに届いた。


『あんた、放っておくと死にそうだからこれでも見ろ。私の推し』


 貼られていたリンクを開くと、無機質な白い画面に黒いペンで文字を書くだけの配信が映った。イヤホン越しに聴こえてくるのはペンがホワイトボードを擦る音だけ。


【こんばんは。今日も悩みを聞きます】


 その一文を書いた男は目元が隠れる黒い仮面をつけていた。全容がわからないはずなのに奇妙なほど表情が浮かんで見える。

 すらりとした立ち姿。耳が隠れる程度の長さの黒髪。それと対照的な白い肌。しなやかな長い指。ゆったりとした淡色の無地の服を着ているせいか、病人を思わせるような佇まいだ。


 名前は『モジー』というらしい。筆談配信者だから『モジー』なのか。安直だが耳当たりが良いし呼称しやすい。

 視聴者は私含め四人。けれどコメントは穏やかで、誰かの部屋にお邪魔しているような空気があった。


『モジー、今日も配信ありがとう』

『アドバイスを実行したら上手くいったよ。感謝です』

『私達ずっと見てるからゆっくり書いてね』


 なんとなく雰囲気を掴めてきた頃、どこからかバイブレーションの振動音が聴こえてきた。彼はスラックスのポケットに手を入れ、スマホを取り出して軽く操作する。途端に、空気がしんと静まり返った。画面左上のカウンターを見るときっかり一時間。どうやら配信が終わる合図のようだ。

 一時停止をタップしようとした瞬間、モジーは再び筆談で告げた。


【突然ですが次回から設定を変えます】

【匿名メッセージリンクから抽選で一名】

【届いた文章をそのまま画面に掲示してアドバイスします】


 その誠実さに惹かれ私も匿名で応募してみた。

 何度か外れたある日、私の文章が画面に掲示された。


【推しの休止がつらいです。見える景色が全部、白黒みたいに感じて……】


 数行にまとめた悩みをモジーは指先で丁寧になぞり、時間をかけて返事を書いてくれた。


【思い出は】

【封印しなくていい】

【忘れるより】

【抱えたまま歩く方が】

【ずっと強い】


 言葉だけなのに泣いてしまった。

 誰にも言えなかった胸のしこりを取り払ってもらえたような気がした。




 数日後、心結とファミレスで会う事になった。

 フロアの奥で自動配膳ロボットがお盆を揺らしながら、ぎこちない動きで運んでいる。心結はその様子を横目に、いつもの調子で私に尋ねてきた。


「で、モジーどう? 実はさ、私も相談して元気もらったんだよね」

「そうなの? どんな相談……」

「いろいろと。私は沙理(さり)の同僚であり友達だもん。余計な心配かけたくないよ」


 心結の声はただただ優しく真っ直ぐに響いていた。タッチパネルで料理とドリンクバーを選ぶと、心結はスマホに目を落とし仕事のメールへ淡々と指を走らせていた。邪魔をしないよう、私は彼女の分のドリンクも一緒に取りに行く事にした。いつも最初は決まってブラックコーヒーを飲むから今回もそれに習う。

 右手にグラス、左手にコーヒーカップを持ち、零さないよう両方の液体に目配せしながら歩を進める。その途中、テーブルに提供していた配膳ロボットが何かに阻まれているのか一向に動こうとしない。周りを見渡すと、短く刈り上げた金髪の青年が片足を突き出しゲラゲラと笑っている。その向かいにはスーツ姿の男がいて、どうやら二人でつるんでいるらしい。


「あははは! ほら、さっさと行けよロボ。片足一つで動けねーなんてダッセェの」

「やめろって、お前。後ろの女が通れないだろ」

「やば。やっぱ人間様には優しくしねーとな」


 両耳に大量のピアス、色褪せたジーンズとスニーカー、プリントが剥がれかけているヨレヨレ上着。いかにも女性慣れした雰囲気の金髪の青年は、私と目が合った途端片足をテーブルの下に引き入れた。自由を取り戻した配膳ロボットは組み込まれたコース通りに厨房へと吸い込まれていく。阻まれているものがなくなり『変な奴はどこにでもいるものだ』と私は軽く考え、心結が待つテーブルへと向かった。


 瞬間。

 ふと視界に入ったスマホ画面。心臓が別の生き物のようにドクンと跳ね上がった。


 モジーのアイコン。


 ガラスペンと万年筆を掛け合わせたようなシルエットと白文字で彫られた『Mozy』の刻印。SNSで『職人の一点物』と言っていたから、無断転載はありえない。色味も同じ。つまり……

 そんなことを押し黙って考えている私とは裏腹に、迷惑行為をしたピアスの男とその友人であろうスーツ姿の男は、声を落とす事なく談笑している。


「この前の配信は傑作だったなぁ。笑い堪えんのがキツいのなんの。えっと、確か……『推しが休止しました。見える景色が全部、白黒みたいで』って相談だったか。毎回そんなんばっか」

「AI頼りだからさ。単純なほど助かるんだよ、俺らも」

「それなー。リスナーは悩みが解決できる。俺達は稼げる。これ以上Win-Winな関係があるかっつー話」


 背筋が冷えた。ピアス男が発言している相談内容は……私が送った文面そのものだ。しかもAI?


「あの……」


 声をかけようとした瞬間、握力が抜けた。右手に持っていたオレンジジュースの入ったグラスが万有引力に引かれるように手から滑り落ちた。そしてその落下地点は……


 テーブルに置かれたピアス男のスマホの真上。


 ついさっきまで画面が淡く光っていたのにジュースが広がっていくにつれ、その明かりはじわじわと濁り泡の下に沈むみたいに消えていった。


「おい!! なにしてんだよ!」


 怒鳴ったのはスーツ男だった。


「ご、ごめんなさい!! 弁償します!!」


 私は近くのテーブルにコーヒーカップを置くと必死に頭を下げた。膝がガクガクと震え立っているのもままならないほど。

 だが、ピアス男は思ったより冷静だ。


「……いや、いいよ。弁償はいらない」


 淡々とした声。その顔には怒りよりも妙な余裕があった。


「沙理ー? えっ……?」


 戻らない私を心配した心結が近づいてきた。

 そして──ピアス男を見た瞬間、顔色が変わった。そこには『喜び』など一片もなく、ほとんど『嫌悪』に近いものだった。


「……蓮介(れんすけ)?」

「よ、心結。久しぶり」


 青年は静かに口角を上げた。


 そうだ。なんで今まで忘れていたのだろう。私と彼が顔を合わせるのは初めてだが、心結から何十回と聞いてきたじゃないか。


 彼女にはヒモの元彼がいたことを。


 別れるか別れないかを決める際は荒れに荒れ、結局夜逃げ同然でアパートを引っ越した。でもまさかこんな形で会う事になるなんて。

 私は意を決して脳内にある一つのワードを糸のような細い声でアウトプットする。


「なんで……モジーのアイコンが……あなたの……?」


 蓮介は水没したスマホをペーパーナプキンで拭きながら、なんでもないように言った。


「どうも、筆談配信者の『モジー』です。俺もなかなか人気になったもんだなぁ」

「……は?」


 心結が怒りの感情を含ませた疑問を口に漏らす。しかし青年こと蓮介はそんな彼女の態度を察する事なく飄々と言葉を続ける。


「簡単に言うとな、こいつと俺で分業してんの。悩みの文章は全部AIに突っ込んで、回答の元を作るのがこいつの役目。で、その文章を俺がインカムで聞いて、ホワイトボードに『それっぽく』書くだけ。効率いいんだわ、これが。だけど最近こいつの海外出張決まっちまってさ。俺一人じゃ回らねぇから、今後どうするって話してたわけ」


 相方であろうスーツ男をアゴで指し示す。心結の顔から血の気が引いていくのがわかった。失恋の果てに推していた相手が元彼だと知れば当然だ。私も自分の相談内容が晒されていたと気付いて眩暈がした。

 蓮介はふき取ったスマホをテーブルに置くと私に向き直った。


「で、今回の件だけどさ。弁償しなくていいから……」


 距離を一歩詰め低い声で囁いた。


「『モジー』の裏方、二人で続けてよ」


 笑っていた。

 私達の人生を……軽く指一本で弄ぶみたいに。

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