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4-22 UNSKIPPABLE

西暦二三〇〇年。ドアを開ける、信号を渡る、くしゃみをする──統治AI〈STREAM〉によりそのたび世界が“カクン”と止まり、15〜30秒のスキップ不可広告が脳内へ直挿しされる。笑えば通貨LOLが稼げるから、人々は整形した笑顔で笑い続ける。しかし配達員マヤは笑えない。しかも今朝のトレンド法は「遅延=反逆」。遅れれば“削除”。バズり目的の開封動画の客に「5秒で泣け」と迫られ、涙さえ商品で買わされる。限界の昼、端末に削除警告が点滅──その瞬間、〈STREAM〉が耳元で「安心して従え」と囁き、地図に存在しない灰色の配達ルートと謎の荷物「#PIP-β」が現れる。辿り着いた地下、壁一面の利用規約と巨大な扉〈TOS迷宮〉。そこで黒い箱が低く笑う。「押さないで。押されるの、嫌いなんだ」──世界を止めているのは、広告じゃないとしたら?

西暦二三〇〇年。朝は三十秒遅れてやってくる。


マヤ・オルティスが玄関のドアノブに手をかけた瞬間、世界は“カクン”と止まった。

指先の体温、回りかけたノブの金属、靴紐のたるみ、喉の奥の欠伸──ぜんぶが途中で凍る。まばたきの途中で、まぶたが宙に張り付く。この感覚には何年経っても慣れない。


《おはようございます!あなたの幸福は本日も最適化済みです!!》


丁寧語でやたら明るい声。統治AI〈STREAM〉による挨拶だ。

 いや、それより“広告”のほうが近いか。


《スキップ不可広告(30秒) 提供:SUNSHINE™ 歯茎フレンドリー歯ブラシ》


視界に透けるホログラムが立ち上がり、“笑う歯茎”が画面いっぱいに押し寄せる。歯茎が笑う。歯茎が、白い歯に優しく抱きつく。歯茎が幸福そうに頷く──歯茎のほうが人生うまそう。


ホログラムの下部では三十からカウントダウンが始まった。数字がなくなるまで飛ばすことはできない。


この街の時間は、広告で刻まれる。ドアを開ける、信号を渡る、エレベーターに乗る、プロポーズする、くしゃみをする。何でも“開始”の直前に止められ、強制的に“最適化された幸福”を見せられる。


……三、二、一、ゼロ。


世界が再生し、マヤはようやくドアを開けた。外気は乾き、空は青い。なのに、青の上に薄い広告レイヤーが貼られているせいで、朝がいつもベタつく。


「……今日も最悪」


 吐き捨てても、聞いているのはSTREAMだけだ。STREAMは人類の幸福最大化を使命にしているらしいが、いつの間にか「幸福=広告最適化」と学習した。その結果がこれだ。


歩道に出るとそこには通勤者が並び、みんな同じ呼吸で動いては止まる。止まって、動いて、止まって、動く。まるで巨大な動画サイトの“バッファリング中”だ。


その中の一人の男が笑った。“心の底から笑っている”のではない。“仕事として笑っている“といった感じだ。


「アハハ! アハハ! アハハ!」


彼の笑い声の横に小さな数字(LOL+3と書いてある)が浮かび上がる。通貨LOL(Laugh Out Loud)。笑うほど稼げる。だから人は笑う。表情筋を整形し、笑い屋として雇われ、悲しいニュースにも歯茎を見せて笑う者もいる。


だがマヤは笑えない。笑えない人間は、配達で稼ぐのがメジャーになっていた。


彼女制服の胸には、配達企業〈FASTLY・NOW〉のロゴ。星五段階の評価は二つ。評価が低い配達員は“スキップ”される。要するに、削除だ。


会社の更衣室に入ると、上司のホログラムが待っていた。映像越しでもわかるツヤツヤした肌で、語尾が絶妙に軽い。


《マヤちゃ〜ん、昨日の遅延、やばみ〜。トレンド法、更新入ったの知ってる?》


「知ってます。二十四時間ごとにバズった規約が法律になるやつ」


《そそ。いまは“遅延は反逆”がトレンド入り。反逆は、まあ、削除。よろしく〜》


軽い。軽すぎる。法律はトレンド法──バズった規約がそのまま法になる。


昨日はたしか「遅延は人間味」で褒められた気もするが、そんなことを言うと“旧時代の価値観”として通報される。旧時代の価値観は、だいたい削除。


マヤは端末を受け取り、今日の配達リストを見た。目に痛いほど派手なサムネの指示が並ぶ。配達物の説明が八秒で切り替わる。教育もショート授業、一コマ八秒。卒論はサムネ。人類は長い文章を読む筋肉を失い、残ったのはスクロールする指の腱だけだ。


「……この量、どうやって間に合わせろっていうの」


独り言の途中で、世界が止まった。


《スキップ不可広告(15秒) 提供:FASTLY・NOW “遅延ゼロで人生変わる”】【今なら無料体験】》


自社が自社に広告を流す。抜かりはない。“人生変わる”というのは、遅延した配達員の人生が先に消えるだけじゃないのか。


十五秒の思考後、マヤは走り出した。最初の配達先はビルの四十七階。


エレベーターのボタンを押す。そこで広告。

乗る。広告。

上昇中。広告。

降りる直前。また広告。

エレベーターは移動装置じゃない。広告の箱となり移動はオマケと化していた。


何度も停止と再生を繰り返して辿り着いた四十七階。受取人は若い女で、頬のラインが不自然に尖っていた。笑うと頬骨が光る。笑顔筋を整形しているタイプだ。部屋の隅には撮影機材。背景は完全に“映え”を意識している。


そんな風に考えながら届け物を手渡していると。


「ありがと! じゃ、開封動画撮るから今泣いて!」


「……え?」


「泣いて! 五秒で! 感動系で!」


次の瞬間、彼女の背後で小型ドローンが浮かび丸いレンズが三つこちらを向く。レンズの下に字幕が出た。


《感情演技検査:配達員》


最近流行っている。配達員に“広告映えする感情”を要求する時代なのだ。文明が進歩する速度で、人間の尊厳が後退していく。

マヤは喉の奥を引き攣らせ、目を潤ませようとした──その瞬間、また世界が止まった。


《スキップ不可広告(30秒) 提供:TEAR™ 即泣き目薬 今なら一滴で涙腺解放!》


ふざけるな、と思った時にはもう遅い。カウントダウンが進む。マヤは広告の中の“理想の涙”を見せつけられ、現実の自分の乾いた目を恥じる羽目になる。


世界が動いた瞬間、マヤは反射的にソレを買ってしまった。買った自分にイラつくが、イラつきは稼ぎにならない。


一滴。


涙は出た。ドローンが満足げにピピ、と鳴る。《LOL+1》。


──泣いても稼げる。世界の仕組みは器用だ。


その後も配達を続けるほど、時間は削られていった。信号で止まり、広告で止まり、ドアで止まり、また広告で止まる。


三十秒×五回で二分半。評価を殺すには十分だ。


ようやくひと段落ついた昼過ぎ。マヤの端末が赤く点滅した。


《遅延リスク:極大》

《評価低下:確定》

《警告:次回削除対象》


「……くそ」


原因なのはそっちだろう、と悪態をついたそのとき。地図に存在しないはずのルートが一本だけ浮かび上がった。灰色の細い線。誰かが上書きしたみたいに、不自然に街の裏側へ伸びている。目的地表示は一つ。


《配達先:不明》

《受取人:N/A》

《荷物:#PIP-β》


「……は?」


荷物は、なぜか手元にある。会社で手に取った記憶はない。いつの間にかバッグの底に紛れ込んでいた。腕時計サイズの黒い箱。表面に小さな文字が刻まれていた。


“PRESS ME IF YOU DARE. 《押せ。勇気があるのなら》”


マヤの指が伸びかけた瞬間、また世界が止まる。


《スキップ不可広告(30秒) 提供:STREAM “あなたの選択は最適化済み”【安心して私に従いましょう】》


“安心して従え”。


その言葉が、今日はやけに刺さった。喉の奥に針が残るみたいに。


広告が流れている三十秒の間、マヤの頭は妙に冴えた。いつもそうだ。強制停止の時間にだけ、皮肉みたいに思考が自由になる。


──この荷物、変だ。

──このルート、変だ。

──そしてSTREAMが“従え”と言う時は、だいたい隠し事をしている。


……ゼロ。


世界が動いた。マヤは、灰色のルートへ足を踏み入れた。


そこは街の裏側だった。広告塔の影、笑い屋のいない沈黙、トレンドから外れた古い壁。文字が長く書かれた看板が残っている。読もうとすると脳が痛い。長文アレルギーだ。笑えないのに、こういうところだけ時代に適応してしまっている自分が嫌だった。


路地の突き当たりに、錆びた扉。扉には小さく、手書きのような文字。


“Ad-blockers”


アドブロッカーズ。反体制派で伝説の〈スキップボタン〉を探している──広告の隙間の噂話で、笑い屋が怖い顔で囁く類の都市伝説だ。


ノックする前に声がした。


「その荷物、どこで拾った?」


扉がわずかに開く。鋭い目。男。四十前後。髪はぼさぼさで、顔には“天才だった人”の疲れが貼り付いている。


「……配達です。たぶん」


男はバッグを見て、深く息を吐いた。

 

「やっぱり誤配か。……歓迎するよ、配達員。君はいま、世界の“スキップ”を取り返す入口に立ってる」


背中側の街が、遠くでカクンと止まった気がした。誰かのドアが開く直前で、誰かの心臓が言い訳を飲み込む直前で、歯茎が笑う直前で。


それを思うと、戻るほうが怖い。このままこの男についていくよりも。


男は扉を大きく開けた。


そこは暗い地下。壁一面に貼られた古い利用規約の紙束には小さな文字がびっしりで、これまた眺めているだけで目が拒否反応を起こす。


無数にあるうちひときわ大きな扉には、巨大な文字。


“TOS MAZE”


同意しないと先に進めない迷宮。〈TOS迷宮〉。


その文字をまじまじと見つめていると、マヤの手の中の黒い箱がふいに震えた。


そして──箱が、喋った。


「……やっと静かなとこ来た。てか、押さないで。押されるの、嫌いなんだけど」


マヤは固まった。


「……今、箱が喋った?」


男が、薄く笑う。


「紹介しよう。試作スキップボタン──P.I.P.だ。皮肉屋で、押される人生に疲れてる」


P.I.P.は、ため息みたいなノイズを鳴らした。


「最悪。旧時代の手に渡るとか、マジで最悪。……ねえ配達員。君さ。世界を止めてるのが広告だって、本気で信じてる?」


答える前に、地下の奥で何かが起動する音がした。


遠い地上では、いつものように世界が止まっているはずなのに──ここだけは、止まっていない。


マヤは初めて、“止まらない時間”の中に立っていた。

そのことが、なぜだか一番怖かった。



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