4-19 オーロラを見に行こう
「オーロラを見に行こう」
目を輝かせ、妻が告げた。ある冬の昼下がりのことだ。
夫は少々面倒そうにしながらも、あらゆる手配を済ませた。仕事場への連絡、安全な旅路の確保、食糧や衣服などの準備などだ。夫が手早く全てを済ませたので、妻の方が準備に遅れた。
冬の時期は魔獣の発生が比較的穏やかで、道中の危険は少ない。
1週間の旅行の日取りを決めたのは夫で、どうやら占いでこの週がオーロラを見られる確率が高いと出たらしいのだ。
目的の国へ入り、犬ゾリや徒歩での移動をして2人はコテージへとたどり着く。
コテージの設備を確認した後、2人は食事を始めた。食事の最中、夫がなぜオーロラを見に誘ったのかを問うと妻は一緒に過ごしたかったのだと答える。
妻の真意を聞き出した夫は、オーロラがいつ見られるかの賭けを提案した。戸惑いつつも、妻は夫の提案に乗る。
果たして、2人はいつオーロラを見られるのか。
早朝、2人は最北端の国へ渡った。
移動用の魔術式を使って移動したので、さほど時間はかけていない。ただし、防犯のために目的地へ直接着くのは禁止されているので、少し移動の手間があった。
2人は犬の引くソリを呼び止め、近くまで送ってもらうことになる。犬ゾリでの移動で、半日ほどかかるらしい。
久々の手間のかかる移動に、妻は楽しそうにしている。大人であるとか、外であるとかお構いなしに笑顔を振りまいて小さく鼻歌まで歌っていた。彼女の唄う鼻歌は、どうやら旅の無事を祈る歌らしい。犬ゾリを降りたあとで彼女が、同行者の夫に伝えていた。
その歌のお陰か、道中で魔獣に遭うことはなかった。冬場は魔獣の活動が沈滞化するとはいえ、珍しいことだと御者は告げたのだ。
そうして更に北へと向かい、2人はひと気の少ない辺鄙な地に着いた。空を見るとすっかり夕暮れの色へと変わっている。長く座っていたからか、彼女は少し窮屈そうな顔で自身の尻を撫でていた。
しんしんと粉雪が降る中を、彼女と彼は歩く。遠くまでの旅だというのに、2人は荷物を持っておらず身軽だった。無論、防寒用の服装はしている。毛皮の垂れ付きの帽子だとか、羽毛を使った上着などだ。
彼はそれでも比較的軽装だったが、彼女の方はもこもこと着膨れしていて、首に巻いた深い緑色のマフラーに顔が半分ほど埋まっていた。
実のところ、荷物は魔術で特殊な空間に収納している。そのために2人は身軽で旅に出かけられたのだ。
彼女は雪に埋まらないよう、足元を見ながら歩いている。かえって彼は雪中に慣れているのか、普段より小さい歩幅で慎重ながらしっかりとした足取りで歩いていた。
「魔術の具合は、いかがですか」
不意に、彼が彼女へ問う。言葉と共に吐き出した白い息が、空に消えた。顔を上げた彼女は、それを少し目で追った後に
「大丈夫。でも、きみを見てるとちょっと寒くなってくるよ。なんでもっと厚着しないのさ」
そう、文句を垂れた。それは彼が寒い思いをしていないかを、気遣ってのことだ。彼の見てくれは、最低限の防寒対策をした格好にしか見えなかった。そして、彼女は再び自身の足元へと視線を向ける。
「平気です。私は魔術師ですからね。魔術でヘマをする訳がないでしょう」
彼は、どこか突き放すような返事をした。魔術師ゆえに、魔術にプライドを持っている。それを心配されたのが気に障ったのだろう、と推察した彼女はマフラーの中で口を尖らせた。
「もうすぐです。ほら、見えたでしょう」
と彼の声に、彼女は足元を見ていた顔を上げる。木製の、しっかりしたコテージがあった。
×
コテージは、人2人が過ごすには程よい広さだ。リビングには掃き出し窓があり、ウッドデッキへ繋がっていた。窓から見える景色は、一面の銀世界だ。
「思ったより寒くないね、ここ」
外の寒さで鼻を赤くした彼女が、横に立つ彼を見上げて表情を和らげた。コテージ内は暖められているようで、吐いた息は外のように白くない。
「我儘な貴女のために、特注いたしましたからね」
彼はツンと澄ました顔で身体の前で腕を組んだ。どこか得意そうな雰囲気を感じるのは、彼との付き合いが長いからだ。
「ありがとう。ここなら見えるかな、オーロラ」
彼が彼女のために特注するのは良くあることなので、もう彼女は驚かない。ウッドデッキの方へ視線を向け、彼女は呟く。
「見えるでしょうよ。わざわざ、ここまで来たのですよ。見ないと帰られません」
ふん、とやや声を低くして彼は返す。負けず嫌いで意地っ張りな、彼らしい返答だ。そう、くすりと彼女は小さく笑った。
「そうかな。まあ、ちょびっとだけでも見えたなら良いよ。わたしは」
言いつつ、彼女はコテージの奥へと進む。リビングの奥にはキッチンがある。オープンスペースで、リビングの様子がよく見えた。
シャワー、トイレへと続く扉を見つけ、彼女は更に進んでいく。「迷子にならないでくださいよ」と彼の冗談めいた、からかいの声が聞こえた。
「だいじょうぶー」
と半ば上の空で答えながら、ドアを開けていく。新しい場所に、すっかりと夢中になっていた。
トイレは普通のトイレのようだ。水洗ではなく、魔術式を利用したもの。凍らないようにだろうか。
すぐ近くのシャワールームには、バスタブとシャワーがある。外の様子が見える大きな窓もあった。スイッチが三つだ。一つは明かりだとして、残りの二つは何だろう。
「お風呂寒そう。あと、外から見えちゃうよ」
大きな窓に彼女が口を尖らせて呟くと、
「こちらのスイッチで、窓をスモークにできるようですよ」
と言いつつ、彼がスイッチを押した。いつのまにか近くにいたようだ。
彼がスイッチを押すと同時に、窓が白く濁っていく。
「うわ、真っ白」
完全なスモークガラスのようになった。これなら、外から見られる心配はないだろう。
「あと、ここも暖房があります。なので、入る前に点けると良いでしょうね」
「そっか」
彼がもう一つのスイッチを示した。スイッチの謎が解けて、彼女は納得した。それと同時に、彼女のお腹が鳴った。
「何か作りましょうか」
彼女はお腹を抑えてちら、と彼を見上げる。すると彼は苦笑混じりに提案した。
「うん、食べよ!」
×
魔術で収納していた食糧や食器達を出して、2人は調理を始めた。
2人で調理した食事をダイニングに運び、
「いただきます!」
彼女は手を合わせる。彼も少し祈りを捧げてから、食事に手を付けた。
用意された食べ物は、草食動物のヒレ肉の一口ステーキと、鳥肉と葉野菜をたっぷりと使った炒め物、魚肉と根菜類を使った煮物。量が多いので、数日に分けて食べるつもりだ。
「ところで、なぜ『オーロラを見に行きたい』と仰ったのですか。魔術で擬似的な物は生成できますが」
鳥肉を飲み込んだあと、彼は彼女へ問いかけた。
「それじゃあ味気ないでしょ。本物を見てみたかったの。きみと」
根菜をフォークで刺しながら、彼女は彼に答える。
「……私と、ですか」
「うん。だって最近まで忙しくて、あんまり一緒に居る時間を作れなかったでしょ?」
怪訝な表情の彼に、彼女は笑顔を見せた。心底、2人の時間を楽しみにしていたのだ。
つい最近まで、彼は仕事で忙しくしていた。引き継ぎだとか、残業だとか。そもそも、彼の職場は人手が足りていないのだ。人員をもっと増やせばいいのに、と彼女は思っている。
「そうですね。お気遣い感謝いたします」
彼女の言葉の意図を読み取ったのか、彼は表情をふっと和らげた。
「そんなに畏まらなくて良いのに。オーロラが見られるかは、ちょっとわかんないけどね」
彼女は少し眉尻を下げる。
オーロラは自然現象であり、予測が難しい。そのため、必ず見られるものではないのだ。
「……では、賭けをしてみませんか?」
「賭け?」
唐突な彼の提案に、彼女は首を傾げる。
「どうせ、この1週間はコテージで過ごすのです。そして私達は、オーロラを見にここまで来ている。1週間もあれば、運の良い貴女ならオーロラを見られるはずです」
「そうかな。まあ、オーロラは見られるだろうなーって気はしてるけど」
1週間も雪に閉ざされたこのコテージで過ごすのは、確かに退屈だ。それならちょっとしたことでも娯楽に結びつけた方がいいのかも、と彼女は思考する。
「旅行の提案時に私がこの週を指定したのも、オーロラを見られる確率がかなり高いと占いで出たからです。なので、オーロラを今夜から1週間の間でいつ見られるかを賭けてみませんか」
彼は再度提案する。彼が提案をすると言うことは、きっと彼に利があるのだろう。
「1週間ってコテージにいる間ってこと? それにいつって……きみ、占いができるからずるいよ」
明らかに自分が不利だ、と彼女が主張した。想定内だったようで、彼は余裕そうな表情で口元に笑みを浮かべる。
「ふふ。私は1日だけ、賭けます。貴女は私の指定した日以外、全てに賭けて良いですよ」
「えー、なにそれ」
ぱちくり、と彼女は目を瞬かせた。
「ただ漠然とオーロラが見られるのを待つより、楽しいでしょう?」
彼の言葉に、そうかも、と気持ちが揺らぐ。どうせ、彼が提案して自信が強く拒まなければ実行されるものなのだ。どうせなら乗ってやるか、と彼女は腹を決めた。
「でも、オーロラって一回しか出ないものでもないし……そしたら、きみの方が不利だよ」
「それでも良いですよ。さて、何を賭けましょうか」
彼女の疑問をさらりと流し、彼は次のフェーズへと話を進める。聞いても答えないやつだ、と察したので彼女も気にせず話を続けることにした。
「うーんと、わたしはきみとの時間にしようかな。わたしが勝ったら、きみの1日をちょうだいね」
「分かりました。では、私は貴女の時間にしましょうかね。1日、言う事を聞いてくださいね」
彼女の提案を、彼はあっさりと飲んだ。そして、似た提案を出す。
「なんか、どっちが勝ってもおんなじじゃない?」
彼女が首を傾げるが、彼は緩く首を振った。
「いいえ。どちらが優位か、が違います。面白くなってきましたね」
どちらが自由で、どちらかが拘束される。それが違うらしい。
「まーいいよ。ほぼわたしが勝ったも同然だしね」
彼女は余裕ぶってみる。彼は小さく笑っただけだ。
そうして、2人の賭けは始まったのだった。





