4-01 騎士隊長と孤独の子
『ある時、禁忌を犯した者が現れた。人族でありながら人さならざる者となったそれは、世界を壊し尽くした。それはやがて神の裁きを受け、この世界は救われた。汝、心せよ。決して禁を犯してはならない。神の姿は見えずとも、神は汝の行いを何時も見ている。故に、汝、心せよ。努々忘るることなかれ』
――大陸歴180年 大神官クローレンス・スカルス書――
『彼は優れた人でした。誰よりも強く、優しさを失わなかった彼は、疲弊した人々の光となりました。常人とは異なること。それが何の障りとなりましょう。生まれ育ちではなく、彼の心と魂の在り方こそ、尊きものだと知るのです。昏き世を照らすのは、彼の人の如く尊き志の人なのですから。』
――新大陸歴506年 聖女デイパラ・ディウィニ書――
よく晴れた一日だった。穏やかな風は丘を越え、鉄錆と生臭い匂いを運んでくる。空には鳥が旋回し、餌にありつくべく目を光らせる。
抵抗する力もなく、大木の根元に脚を投げ出して座る人影がひとつ、日没前の残光に紅く照らされている。
不意に、その視界が翳る。逆光で黒く塗りつぶされた巨大なもの。呻くような声を上げ、鈍く光る眼がその人物を捉えた。
「魔物、か」
声が掠れる。気だるさで動かせなかった身体が、今度は恐怖で固まる。そうしてゆっくり目を閉じた。
「どうせ生きていたっていい事などないんだ」
もういいか、と力を抜く。ぶん、と魔物の太い腕が空気を裂く音がする。風圧で長い前髪が揺れる。
次この音を聴くときはきっと、この命はない。
その時をじっと待つ。
視界を閉ざし、ただ座っている。無抵抗な人間など、魔物には格好の的だろう。きっとすぐ楽になれる。
――そう思うのに、その瞬間は一向にやってくる気配は無い。
不審に思ったその時、ヒュ、と鋭く風を斬る音と耳が潰れそうな声の後、生暖かい液体が降り掛かってきた。
「すまない。大丈夫か」
低く凛々しい声に目を開ける。夕陽と血の赤に染まる鎧に、緩く波打つ金色の髪。
「すみません。……ありがとう、ございました」
死に損ねた、などと、恩人には言えまい。座ったまま頭をさげると、長剣を鞘にしまった美丈夫が手を差し出してきた。
「私はレギウス・ランプレス。騎士をしている」
その手に助け起こされながら、生きることを諦めていた人物は口を開く。
「ヴァローレム・ラルムです。ヴァロと呼んでください。助けていただいてありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、レギウスは緩く首を振る。
「いや、……すまない。私がもう少し早く着いていれば」
レギウスは痛ましげに目を細め、辺りに視線を走らせる。毒々しい赤だけが広がるそこにはもう、他の人間の呼吸音は聞こえなかった。
「騎士隊で保護して話を聞かせて欲しいのだが、どうだろうか」
「ありがたいですが、……僕は、何が起こったかよく分からなくて」
レグルスの馬の背に相乗りをして、人気のなくなった村を行く。家々はどれも倒壊しかかっていて、まるでここだけ災害にでも遭ったようだ。
「それにしても、酷いな。ここまでの被害は初めて見る」
街に近い規模の村が、ヴァロ以外全滅。俯いてしまったヴァロにマントを被せ、過酷な現状を遮る。
「すまない。辛いものを見せた」
深く沈む声にヴァロが首を振る。
「後で必ず弔いに戻ってくるが、今はここから離れよう」
マントごとふわりと支えられ、馬が速度を速める。暫くしてヴァロがマントから顔を出すと、レギウスは気遣わしげに見つめたあと、マントを整えて掛けてくれる。
「夜になれば一気に冷える。急ぐぞ」
こくりと頷けば、レギウスが馬の腹を軽く蹴る。そうしてヴァロは生まれ故郷を失った。
隣町に着いたのは、日が落ちてしばらく経ってからだ。ヴァロは騎士隊の定宿だという場所に下ろされた。宿の係員に馬を頼むと、レギウスはヴァロと連れ立って中に入る。
「あ、隊長。おかえりなさい。どうでした?……っと、その子は……」
「あ、僕、ヴァローレム・ラルムです。ヴァロと呼んでください。すみません、お世話になります」
レグルスからの紹介を待たずにそう告げてお辞儀をすると、男が頷く。
「ヒラルス・テネル。ここの副隊長をしているよ」
明るい声音で告げると、ヒラルスは小間使いを二人頼んだ。
「君はお風呂を借りておいで。食事も取ってくるといい。疲れてるだろうし寝ちゃうといけないから、この子達に手伝ってもらってね」
頭を下げて遠ざかるヴァロを笑顔で見送った後、ヒラルスはレグルスを振り返る。
「集会所で会議出来るよう手配してあります」
先程とは打って変わってきりりとしたヒラルスに、レグルスは一つ頷いた。
「幹部を招集してくれ。着替えたらすぐ向かう」
「村は家屋含めて全滅。唯一の生き残りであると思われるヴァローレム・ラルム氏も魔物に襲われていたため、討伐して彼を保護した」
レグルスは集会所に座る面々を見渡して告げると、深いため息が場を支配する。いつの世も、魔物は容赦なく人間社会を壊していく。
「ヴァローレム氏から話は聞くが、精神的に落ち着くまでもう少し待ってやりたい。先に視察を兼ねて村に行き、犠牲者を弔いたいが、どうだろうか」
レグルスの言葉に一同が頷くと、日程が決められていく。
ヴァロにあてがわれた部屋にノックの音が響く。ヴァロが応えれば、レグルスとヒラルスが入ってきた。
「休んでるとこごめんね?」
「村人達を明日、弔いたいと思う。ヴァローレムさんはどうする?」
「あ、ヴァロでいいですよ。呼び捨てで。あと、……僕もご一緒していいですか?」
勿論だと二人が頷けば、ヴァロはほっとした表情を浮かべた。
そして翌日、荒れ果てた村に着く。レグルスとヒラルスはヴァロの護衛。弔う手伝いと魔物に備えて騎士隊から十数名。
村に入った一行は、その惨状に息を飲む。騎士の礼を取ってから各々家々を回り、瓦礫を取り除き片付けながら犠牲者を一箇所に集めていく。
レグルスもヴァロを気遣いながらヴァロの実家のあった場所へ向かう。
そこは一際被害が大きかったようだ。
屋根は崩れ落ち、窓は吹き飛んでいる。
(どんな魔物が来ればこんな事になるんだ)
レグルスは、取り乱すことなく片付けをするヴァロをちらりと見る。まだ二十歳に届くかどうかに見える。痩身だが身長はそこそこありそうだ。
レグルスは細かい瓦礫を取り除き、惨たらしい姿となった犠牲者に手を合わせる。ヴァロがそれに気付いてレグルスの所に来た。
「父と母、です。他に家族は居ません」
レグルスは頷き人を呼んで、自分はヴァロのケアに入ろうとすると、ヴァロは笑って首を振る。
「大丈夫ですよ。僕はもう独り立ちしていましたし……」
それでもだとレグルスはヴァロを促し、二人でその場を離れて近くの木の根元に座り込む。
「見れば見るほど、君がよくぞ無事で居てくれたと言うしかない」
レグルスは苦い声を出す。爆発でもあったかのような現場で、あまり怪我もせず逃げ果せたなど。
(まるで奇跡のようじゃないか)
レグルスはヴァロの顔を覗き込む。しかし、その眼にはなんの感情も灯っていない気がした。
暗くなる前に犠牲者を木で囲って火葬場とし、魔法の火を灯す。青白い炎が舞う間、騎士隊もヴァロも何も言わず、ただ手を合わせていた。
翌日、定宿でレグルスの部屋の扉が叩かれる。
「誰だ」
「魔法部隊長ウェールスです」
レグルスに促されて入室したウェールスは、チラリと人の目を気にする素振りを見せた。
「結界は張ってある。……どうした」
「昨日の現場……、あれは本当に魔物の仕業なんでしょうか」
レグルスはウェールスの爆弾発言に眉を上げ、ヒラルスを呼ぶ。ただならぬ空気にヒラルスが驚きつつ席に着く。そこで話したウェールスの見解はこうだ。
まず、外で倒れている人が多すぎる。魔物から逃げたなら、外にはいないだろう。どこの集落でも、頑丈な家を一軒は建てて、避難場所としているはずだ。今回はそれさえ倒壊していたが、そこでの犠牲者はいなかった。
次に、家の倒れ方だ。魔物なら無秩序に壊すところ、村の家は一定の法則によって倒れている、もしくは吹き飛ばされているように見える。また、柱を根こそぎ引き倒すような魔物は、現在知られている範囲において想定しにくい。
そして、生き残ったヴァロの様子。精神的ショックを考慮に入れたとしても、あまりに落ち着きすぎている。それについてはレグルスも深く頷いた。昨日会ってから、ヴァロは一度も涙をみせていない。
「細かい点は他にも色々あります。まあ、これらを根拠とするにはかなり弱いとは思うのですが……、私は、これは魔物災害ではなく、何らかの爆発的な力――例えば魔力暴走などが引き起こした結果なのでは、と考えた次第です」
ウェールスが締めると、ヒラルスが首を傾げたまま口を開く。
「んー、ですが、この規模の暴走を起こせるほどの魔力持ちはいないんじゃないですか?」
人間が持つ魔力は、様々な種族の中で最低ラインだ。例えばウェールスの魔力量は人間のなかでは最高ランクだが、妖精種などの幼体にさえ届かないと言われている。
「ええ。私がもし暴走しても、この規模の被害は出ないでしょう」
という事は。
「人間以外の何者かが介入した、と?」
レグルスが問えば、ウェールスは分からないと首を振る。
「あくまで可能性の話です。それに、未知の魔物の存在も否定できませんから」
魔物を強化する悪しき気――瘴気と呼ばれているそれは、ここ数年爆発的に濃くなっている。
「魔物の変異か強化。もしくは謎の高魔力生命体の暴走の可能性、か。まあいずれにしても、現状では有りとも無しとも言えないな」
全く、頭が痛い問題だ。
レグルスたちが頷きあい、渋い表情をする。
「ともかく、ありがとう。思考を固定するのは危険そうだ」
レグルスが纏めると、二人が退室する。
「さて、何が出るやら、だな」
もう数日すれば、ヴァロからも話が聞けるだろう。何らかの進展があるかも知れない、とレグルスは目を閉じた。
その時ヴァロが驚くべき情報をもたらすとは、この時誰一人として予測する事ができなかった。





