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4-16 私の惚れたご令嬢は、可愛い男装王子様でした

ヴェルフェン公爵家の第一令嬢メリーナ。彼女は物心ついたときには第一王子のダリア・ハプルクスとの婚約が決まっていた。メリーナは自らの運命を疑うことはなく、むしろ優しく美しいダリア王子に惹かれていった。

そんなメリーナ17歳の夜。彼女はひとりのご令嬢と出逢う。すらっと背が高く、王宮でも一際美しいご令嬢と──

「メリーナ様、お待ちください! どちらへ行かれるのですか──」


 視界が滲むのも構わず、廊下へと飛び出した。私の小さな足音だけが、王宮のひどく冷たい空気に響く。


 王宮で開かれた、それも王族主催の社交会。私は、お忙しいダリア王子殿下を一目だけでも見られればと、その一心で足を運んだのだ。


 しかし、私の婚約者様でこの国唯一の王子であるダリア様は、ついにこの夜も姿を見せてくれなかった。


 かねてよりお伝えしていれば、ダリア様はきっと時間を割いて下さったはず。


 でも、驚かせたいと願ったばかりに私はお手紙を出さなかったのだ。


 ダリア様の深い髪の色によく似た、紺色のカーペット。その上に、黒いしみがひとつ、またひとつ。


 ぜんぶ、私のせいなのに。


 物心ついた時には王子と私は婚約者だった。

 私の隣にダリア様がいるのは当たり前で、ずっとこれからも変わるはずがない。


 王子を公爵邸に呼びつける婚約者なんて、今までいなかっただろう。ピクニックに行きたいと言ってふたりで王宮を抜け出すのも──


 わがままな私に、それでもダリア様は優しくて。スラリと細身な身長も、お父様と違って柔らかな手先も、いつしかそのすべてを愛おしく思っていた。


 だが、ついに愛想を尽かされたのだ。


 私が17を迎えた誕生日の日からはや数月。あのお方とはもう、会えてはいない。


 お手紙を差し上げれば返事は戻ってくる。


 でも、もうそれだけ。


 いただいたネックレスに目を落とし、いつかまた、王子が着けてくれる日は来るのかなんて。


 結婚を控えた17歳の夜、私はひとり唇を噛むことしかできなかった。



 静寂に広がるヒールの音。遠くから近づいてきて、控えめなピンク色の裾が目に入る。


「泣いて、おられるのですか?」


 優しい声に、そっと顔を上げた。


 目の前にいたのは、紺色の髪のよく映えるご令嬢。王宮に出入りされている方々のお顔は覚えていたけれど、この方は見たことがない。


「い、いえ。私はっ──」


 咄嗟に後退り。しかし伸びてくる腕。頬に手を添えられて、ハンカチで目元を撫でられる。


「可愛いお顔が、台無しですわ」


 たった数秒。出逢ってからたった数秒のご令嬢なのに。優しく、でも少し困ったように笑う彼女から、私は目を離すことができなかった。


「……ありがとう、ございます」


 はっと我に帰る。人のお顔をまじまじと見るなんて、はしたない。


 一歩、二歩と距離を取り、頭を下げる。


「メリーナ・ヴェルフェンと申します。お見苦しいところを見せてしまい、なんと謝ればよいか」


「い、いえいえ、お気になさらず。メリーナ様のことは存じております。ではでは。わたくしはこれで──」


 よそよそしくお辞儀をした彼女は、そのまま私の隣を通り過ぎようとした。


 その瞬間。


 ほのかに香った、華やかなローズマリーの匂い。


それは、殿下が昔、私の頭を撫でて下さった時にあの手から香ったものと同じで。


「お待ちくださいっ! あの、お名前を教えてはいただけないでしょうか?」


「……サタリー・シュワルツでございます。片田舎の伯爵娘ですので。二度と、ヴェルフェン嬢とお会いすることはないかと」


 シュワルツ伯爵家は王妃殿下の出身家。通りで、ダリア様と同じ綺麗な紺色の髪なわけだ。


 でも、だとしたら、なぜ私とは“二度と”会うことがないのだろう。


 ……っ。まさか、すでに私の代わりの婚約者様が王子にはいらっしゃるのでは。でも、王子がそんな不誠実なことをする方だとは思えないですし。


 なら──


「お待ちくださいっっ!!!」


 去り行く背中がビクッと震え、氷水でもかけられたようにその場に凍りついた。


「ど、どうかされましたか? わたくし、少々急いでいるのですが」


 ダリア様と離れるなんて、嫌だ。もしサタリー様が何かを知っているのならば、何としてでも聞き出したい。


 何より。


 今は、サタリー様と近くにいたい。


 彼女の前へとまわり込み、シルクのサラサラな手袋ごと手をとる。


「今夜はその……私と一緒に過ごしませんか?」


 さ、誘ってしまった。


 見上げた瞳は私を見て完全に止まっていて。

 ただ見つめあっているだけなのに、胸の真ん中がうるさく、熱くなる。


「光栄、です。まさか、ヴェルフェン嬢からお誘いをいただくとは思わなくて」


 サタリー様が私の手を優しく包み込む。


「ふつつか者ですが、精一杯頑張ります」


 はにかむ顔。控えめな笑窪(えくぼ)。そのどれもが、ダリア様のそれに重なった。


 顔が熱くて仕方がないのは、きっとそのせいだ。



 煌々と輝くシャンデリアの下、私はサタリー様の手を握って──


 従者のカンナに叱られている。


「ドレス姿で走らないでくださいと、散々申し上げましたのに」


「ご、ごめんなさい……」


「しかもっ! まさか次期皇太子妃ともあろうお方が、ご令嬢をたぶらかしていたとは」


 カンナの視線が私とサタリー様の繋いだ手元に向けられる。


「違うから! むしろ私がたぶらかされた方だし」


「そ、それはちがいます。わたくしは、ヴェルフェン嬢がお困りだったのが放っておけなくて」


 不意に、サタリー様の手に力が入った。


「……お嬢様がご迷惑をおかけしました」


「なんでカンナが謝るの──」


「いいのですよ。わたくしがしたくてしていることですので」


「本当に、なんとお礼を申せば良いか」


 私はそっちのけで、背の高い2人がわかり合うように笑顔を浮かべて頷き合っている。カンナが”わかる“のはわかるけど、なんでサタリー様まで!


「ああもういいから! サタリー様、あっちへ行きましょう」


 ギュッと手を引っ張って、私に引き寄せた。


「お嬢様、あまり迷惑をかけないようにしてください」


「わかってるから! カンナは端で酔い潰れたお母様の面倒でも見ててっ」


 顔面蒼白のカンナは、とぼとぼと会場の端の方へ歩いていく。お酒癖の悪いお母様を連れてきたカンナが悪いんだからっ。


 いくつも並んだ円卓。それらに囲まれた広間の中央は、舞踏会のために広々としている。


 音楽隊の奏でるワルツが会場を満たしていて、誰もが輝いて見える。


 殿下と一緒だったら、もっと……


「サタリー様、あちらに美味しいと評判のラム酒があるそうなのです。ぜひ一緒に」


 手を引く私と、微笑みながらついてきてくれるサタリー様。


「ヴェルフェン嬢」


「ひゃっ、はい……」


 ダリア王子によく似た顔が迫ってきて。収まりかけていた胸の高鳴りが、思い出したように強くなる。


「あまりはしゃぐと、転んでしまいますよ」


「ご、ごめんなさい」


「いえいえ。そうですね──」


 私の手から、離れてしまう。追って手を差し出すと、今度は真正面からサタリー様が私の指先を包んだ。


「一曲、踊りませんか?」


「……喜んで」


 初めて踊るはずなのに、サタリー様と私の息は驚くほどに合っていた。


 まるで、ずっと練習してきた長年のパートナーみたい。


「お付き合い頂きありがとうございました。ヴェルフェン嬢、さすがの技巧ですね」


 違う。私は踊るのが苦手で、ダリア様以外の誰かとちゃんと合わせられたことなんて一度もない。


 なのに、なんで。


「紅茶でよかったですか? あ、ええと。動いた後すぐにお酒を飲むと、酔いが回るのが早まると言われてます、ので」


 王子にも、同じ話をされたことがある。王子は私のために、よく言葉を尽くしてくれるから。


 サタリー様とダリア様。


 髪色、仕草、香水の匂い。ぜんぶ偶然だと言われれば、その通りなんだろうけど。


「ありがとうございます。少し、夜風でも浴びませんか?」


 今日の私は、誰が見てもおかしい。


 肌寒い冬空の下。月のない今夜、会場から漏れた光だけがほのかに照らすバルコニー。


「サタリー様。サタリー様はダリア王子殿下と、よく似ておられますよね」


 ほんの一瞬。でも確かに、サタリー様の瞳が揺れた。


「殿下から見ればわたくしは従姉妹ですので、似ているとよく言われます」


 淀みのない返事を聞くと、その通りだと思ってしまう。


 私は、何のためにサタリー様に近づいたんだっけ。


 そんなの、もうどうでもいっか。


「私、サタリー様のことを、好きになってしまったようなのです」


「そ、それはっ」


「おかしい、ですよね。でも、それでも、サタリー様と一緒にいると胸が踊るのです」


 王子を思う気持ちは、今も変わらない。でももう、王子に私は必要ありませんから。


「おかしくなどありません。わ、わたくしも……」


 サタリー様が俯く。


「メリーナ様とご一緒するのは、楽しかったですので」


 夜空に溶けてしまいそうな、か細い声。


 頬を一筋の涙が滴る。


「サタリー様っ」


 続く涙はサタリー様のドレスへと染み込んで、冷たい感覚だけが残った。


 でもその冷たさも、寒さも、サタリー様が背中に腕を回してくださるだけでゆっくりとやわらいでしまう。


「風邪をひいてしまいますよ。中へ、戻りましょうか」


「……はい」


 手を繋いだ私たちは、眩しい社交会へと共に歩み出した。


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