4-11 サンドリヨンの一族 〜かの乙女いかにして悪役令嬢となりしか〜
産めよ 殖やせよ 地に盈ちよ
われら 呪われたるサンドリヨンの一族
あらゆる禽 あらゆる獣
あらゆる蟲 あらゆる魚
みなサンドリヨンの手にありて
あらかじめ失われたるものなり
血に飢えたるもの
地に縛られたるもの
知に戒められたるもの
みな須らく 愛しむべき子らなり
虞れ 慄け 世に知らしめよ
われら 慈悲深きサンドリヨンの一族
その心に秘めたる真実は
埋められたる灰の中の薔薇に
──宮廷詩人による
『滅びゆくサンドリヨンに献げる詩』
だれかに尽くすよう生きなさい、とゼルマリアは教えられて育ってきた。
殿方は立てて従いなさいとか、お国の行く末を案じることこそが幸せなのだとか。
「運命の人にその身を献げよ」
それこそがサンドリヨン一族に生まれついた令嬢の宿命なのだった。
そんなゼルマリア・ド・サンドリヨンにとって、初めて〝運命の人〟だと思えたのは、ヴァロワ家のアレキサンデルだった。
黒檀の瞳に銀の髪──強い意志を持ちつつも繊細な心延えがする第一王子アレキサンデル。この人の輝きは生まれ落ちた時から宮廷を盈たした、と誇張して伝わるほどの美男子であった。
求愛者は後を絶たず、政略結婚の密談も数知れず……しかし当代の王の指針に基づき、アレキサンデルは最も忠誠深きサンドリヨン一族のゼルマリアと娶された。
初対面。場所は、王宮庭園──
通称〈秘密の花園〉とも呼ばれる。
彩り豊かな四阿が、婚約の舞台だった。
当時わずか九つあまりの少女が、侍女に囲まれ、身じろぎせずに座る。
そのけなげで、むしろ気丈とも言えるたたずまいは、かすかな虚勢にすぎない。
「すまない」
到来した〝殿下〟は、齢十三にして、国政に携わるほどの才覚をあらわにしていた。
天才──その言葉は、アレキサンデルの知性を指すために生まれたとだれもが信じた。
その日も地方貴族の不正を暴き、宮廷の宿痾を取り除いてきた帰路のことである。
誇るでもなく。
自慢するでもなく。
ただ、アレキサンデルはみずからが約束の刻限に一分遅れたことを詫びた。
(なんてまじめで不器用な方なのだろう)
少女の眼には、王子はそう映った。
王子はただ、少女を同じ立場の生きた人として手厚く接する。その姿勢、その態度のひとつひとつからにじみ出る誠意に、ゼルマリアは図らずも好意を覚えた。
「親同士の決め事とはいえ君も難儀だな」
「いいえ」
ゼルマリアは微笑む。心の底から。
王子にはそれを愛想笑いとして見えた。
かれは語った。宮廷に蔓延る悪を。
貴族主義という悪の巣を。
「すでに諸外国が開明の一途をたどる中、われらオンブリール神聖連邦のみが旧態然としててよいものではない」
折しも工業革命が大陸中原を覆っていた。蒸気機構が糸繰り工場を盛んに捲し立て、鉄の道が街道に成り代わって国の大動脈を拓いた。そんな中、オンブリールだけが、貴族同士の領地と利権のせめぎ合いを繰り返し、諸外国との要らぬ折衝と陰謀とを巡らせている。
「すでに隣国グラールが不穏な動きを見せているだろう」
「ええ。お父様がうわさなさっててよ」
「だがこれは好機だと思うのだ」
「戦さでもなさるの?」
「まさか」とアレキサンデルは肩をすくめる。「逆だよ。諸外国の脅威を前に、貴族たちの意志をひとつにする。ぼくたちは〝国家〟にならなければいけない。生き延びるためでもあるし、先祖代々の土地を守るためには、むしろ合理的でもあるはずだ」
しかし──ゼルマリアは扇を開き、口元を隠した。彼女の父ハルゲニアの言葉が心の裡に甦る。
〝娘よ。アレキサンデル殿下の御心を宥めて差し上げるのだ。かれはまだ若い。正しさだけがすべてであると頑なに信じておられる。われら騎士侯爵家は、そのような主君にあっても忠義を尽くし、貴族たちとの連帯を事欠いてはならぬのだよ〟
だがこれは貴族の言い分だった。
幼きゼルマリアとて、国の来し方行く末を想えば、必ずしも父の言葉を真に受けるほど愚直ではない。
それよりも──この眼の前の殿下は。
(愚かなまでに正しく、まばゆい志に身を立て、それでも人の心を忘れずにおられる)
その熱意と不器用さに、愛しさを覚えた。
支えて差し上げたいとも感じた。
嗚呼、この人こそが。
そう思った。
「運命の人にその身を献げよ」
その日から、サンドリヨン一族の女として知らしめられたこの言葉は、呪いになった。
†
七年後──ゼルマリアは十六となった。
アレキサンデルとの婚約は順調に、オンブリールの宮廷にはサンドリヨン一族の郎党が我が物顔で歩き回るようになっていた。まだ婚姻まで月日を待つにもかかわらず、だ。
その間、アレキサンデルの正義漢ぶりはなりを潜め、貴族の間では「サンドリヨンの女にこってりしぼられておるのだろう」と黒いうわさとなって広まっていた。
だが、ゼルマリアは、現在。
ただ大広間に続く廻廊にて、神話を彩る彫刻の壁画を見上げているばかりだった。原女神イルミセネリオの息吹が、森羅万象を焦土と化し、人を中心とした新たな世界を生み出した開闢の場面を。
この国の新しい歴史に重ねて。
令嬢は未来を夢見ていた。
「ゼルマリア──」
声の主は見なくてもわかる。
アレキサンデル・ド・ヴァロワ殿下──
じきに花婿となる殿下。
そして、いまや王太子となった御子。
かれは美麗なる装いに身を固め、絨毯を踏みしめる。舞踏会向けのドレスに身を包んだゼルマリアの手首をそっと叩き、腕で抱き寄せるように距離を縮めた。
「感謝してるよ。きみのおかげで私は大望を成し遂げるための知恵を得られた」
「とんでもございませんわ」
謙遜の中に恥じらいと、悦びがある。
素直すぎるこの人の、賛辞の声は低く美しく耳朶を打ち震わせる。
「だが、本当に良いのか?」
アレキサンデルは曇りがちに訊ねる。しかし何度でも彼女は「是」と言うだろう。
愛ゆえに。
献身ゆえに。
それから、運命ゆえに。
その決意の固さを見て、それでもなお、アレキサンデルは首を振った。
「私は不誠実な男だぞ」
「はい」
「国を第一に考え、私に尽くしてくれたきみの一族に嘘の罪をなすりつけ、騎士侯爵家を取り潰そうとしている」
「はい」
「おそらく激しい内乱となるだろう。しかしこれはいずれ来る〝国家〟のためには、もう避けられぬ事態なんだ」
「存じておりますわ」
ゼルマリアの表情は、明るく真っ直ぐだ。
「きみはすっかり〝悪女〟だ。宰相ハルゲニアの下僕として私に取り入り、宮中の覇権を握った〈魔女〉とさえうわさされてる」
「そうなるべく、たくさん散財しましたわね……」
「だが結果として、オンブリールの生糸の生産と鉄鋼業を増強した。辺境に鉄道さえも引くことができた」
あまりにも性急な殖産興業──ある時は〝贅を尽くした絹のドレスを千と取り寄せよ〟と甲高い怒鳴り声をあげ、またある時は国の辺境への旅路に〝機関車を使わせよ〟と文句を言い、ただちに国家予算を組んでこれを成し遂げた。建設現場を物見遊山し、下賤のものとの戯れに金貨を放り投げ、貴族たちの顰蹙すら買っていた。
この事業の展開に便乗して、図らずもサンドリヨン一族は頭抜けた権勢を誇った。
〝一時はどうなるかと思ったが、娘よ。お陰でアレキサンデル殿下の御心も大人しくなった。わがままとは方便だったか〟
と、ハルゲニアも結果的には笑って済ます始末だった。
だが権力は腐敗していた。
少なくとも、貴族たちがおのれの領地とその一族のことを考え続けている限り。
サンドリヨンはすでに恨まれていた。
「父ももう看過しないと思し召しだ。だが、これは最初からきみ自身の謀だったんだな」
「ええ、もちろん」
「あの時、まだきみは九つだった。なのに、なぜ? なぜここまで?」
「運命です」
ゼルマリアは、アレキサンデルの両頬にそっと掌を置き、慈愛の微笑みを浮かべた。
「かの原女神イルミセネリオは、数多く生み出された生命の中からただひとり、人間の子ラダムを見出し溺愛しました。そしてその弱くも愚かで、しかし時に純粋な魂を世に知らしめるためみずからの息吹で大地を滅ぼした──わたくしにとっての〝愛〟も、そのようなものなのです」
アレキサンデルは、呆れたように笑った。
「まったくきみという女は」
「愛しております、アレキ」
男はそのかんばせを近寄せ、唇を重ねた。
二度と他のものに奪わせないと、固く誓うような口付けであった。
「──必ず、迎えに行く。それまで苦渋の道を強いるぼくの、本当の心を忘れないで」
女は、この至福の時を最期まで忘れることがなかった。
「運命の人にその身を献げよ」
忌まわしきサンドリヨンの教えは、彼女の心の裡になお熾火として燻っていた。
†
二時間後、宮廷で盛大に開かれた社交舞踏会にて、王太子アレキサンデル・ド・ヴァロワより次の宣告がなされた。
「ゼルマリア・ド・サンドリヨン。きみとの婚約を破棄する」
そして立て続けに、宰相ハルゲニアとその一族郎党の腐敗と悪虐ぶりを並び立て、サンドリヨン一族の名誉を汚した。
のちの〈サンドリヨンの乱〉の、これがその始まりであった。





