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7億5千万回目の鼓動

幽霊として地上に戻った高校生ー真白に与えられた使命は、「まだ出会ってない運命の人を見つけること」。けれど―過去にかかわった人に会うことは禁止。誰にも触れられない。朝7時から夜の8時56分まで。そのわずかな時間が、僕にとっての"人生”の延長戦。


恋を知らない僕が出会ったのは、泣きながら花を手向ける見知らぬ少女だった。一目で惹かれた。でも名乗ることも、触れることも、伝えることも許されない。心臓はもう鼓動を止めたはずなのに、胸の奥で何かが高鳴る。ー人の寿命は、約15億回の鼓動で終わるという。ならばこの恋に、残りの全てを捧げてもいいと思った。「心臓が止まってから、恋をした」世界の端で始まる、最初で最後の恋の物語。

人間の心臓は、およそ15億回鼓動したら寿命を迎えるらしい。

僕の心臓は、6億7千万回で止まった。


夏休みが始まって2週間。

僕は高校最後の夏を、机にかじりついて過ごしていた。

海も花火も、友達も恋もどこか遠くて、手元にあるのは夏休みの課題と問題集。

ノートのページはびっしりと文字で埋まり、あくびが止まらない。

時計が、チックタックと時間を刻んでいる。

気づけば夜の7時28分。

窓の外はすっかり暗くなっていた。

シャーペンをカチカチと鳴らして手を止める。

──あれ、芯が切れた?

しょうがない。コンビニまで買いに行こう。

重い腰を上げ、椅子から立ち上がった。

「真白? どこか行くの?」

「うん、シャーペンの芯が切れたから、ちょっとコンビニ」

「気をつけてね」

「いってきます」

 

夜の空気はひんやりとしていて、信号機の光だけが頼りだった。

鼻の奥を抜ける夏の夜の匂い。

誰もいない歩道は少し心細かったけど、遠くのビルの灯りが、それぞれの生活を照らしている気がして、不思議と心が落ち着いた。

コンビニに着くと、いろんな誘惑が目に飛び込んでくる。

のり塩ポテチ。バニラアイス。揚げ物の香ばしい匂いに、ちょっとだけ心が揺れる。

自分へのご褒美にのり塩ポテチ。

そして0.5ミリの芯を手に取り、レジへ。

「322円になります」

硬貨で払おう。

100円玉3枚、10円玉2枚、1円玉2枚。ピッタリ。

ちょっとした達成感に、思わず微笑む。

「ありがとうございました〜」

レジの人、ちょっと疲れてるな。夜勤お疲れさまです。

軽く頭を下げて店を出た。

帰り道。背後で大きな音がした。

振り返った瞬間──世界が真っ暗になった。

 

気がつくと、見慣れない白い天井。

ベッドの上に横たわっていた。

……夢? 勉強のしすぎかな。

そう思ったけど、すぐに泣き声が耳に入ってきた。

「真白……真白……!」

……母さんの声だ。なんで泣いてるんだよ。

体を起こそうとしたけど、体が動かない。

「……残念ですが、九重真白さんは、午前0時26分に心停止を確認しました」

……は?

それ、誰のこと? いやいや、僕は……。

嘘だ。恋だってしてない。

受験もしてないし、ポテチだって食べてないのに。

 

次の瞬間、まぶしい光に包まれた。

気づけば、目の前は一面の霧。

空とも川ともつかない、「何か」が広がっていた。

その真ん中に、舟が一隻、音もなく浮かんでいる。

──これが……三途の川?

きっと、あっちの世界に行くんだ。

舟に手をかけようとした瞬間、何かに引っ張られるように体が転んだ。

「……ほう、乗ることを体が拒んだとは、長いこと渡し人をしておるが初めてじゃ」

舟の上の老人が、驚いたように僕を見下ろしていた。

黒い瞳に、白い髭。しわくちゃな口元は笑っていた。

「どうして……僕の体は拒否したんですか」

「……心残りがあるのじゃよ」

「心残り……」

「ついてくるがいい。主様に案内しよう」

道なき道をどれだけ歩いただろう。

光も影もない「無」の世界を。

辿り着いた先にいたのは、静かに佇む女性だった。

 

「あなたの心残りを述べてください」

「……え?」

何も出てこない。名前も、理由も、なにも。

「私は、死後の案内人です」

「……やっぱり僕は、死んだんだ」

「はい。意識を失った運転手が乗ったトラックに轢かれて、即死でした」

「……そんな……僕はここにいるのに」

「あなたは、完全に死んだわけではありません。心残りがある者は、“すぐに”逝くことができないのです」

「……心残り?」

「あなたの魂は、まだ何かを求めています」

「……まだ、運命の人に会ってないんです」

 

女性は、ゆっくりとうなずいた。

「……では、あなたに地上へ戻る機会を与えましょう」

「……生き返るんですか?」

「いいえ。あなたは幽魂として1週間だけ、地上に降り立ちます」

「……幽霊、ってことですか」

「条件があります」

「なんでしょう」

「生前に関わった人と会ってはいけません。自分が死者であると明かしてもいけません。そして、あなたが死んだ時間──夜の8時56分が来れば、あなたは再びこちらに戻されます。触れることもできなくなります」

「……わかりました」

「どうか、その心残りを見つけてください」

 

その言葉と共に、世界がひっくり返った。



この物語は、「もし、死んでから“誰かを好きになる”ことがあったら」という、ひとつの仮定から始まりました。

恋は、いつだって不意に訪れます。

でもそのタイミングが、もし自分の人生の“終わりのあと”だったら──。

それは叶わぬ恋なのか、それとも、何かを変える恋なのか。

そんなことを考えながら、主人公・真白の物語を書きました。

彼が出会った少女には、彼自身も知らない“背景”があります。

けれどこの物語は、「知っているか知らないか」よりも、

「その瞬間、目の前の誰かをどう感じたか」に重きを置いています。

大切なものは、いつも当たり前の顔をしてそばにある。

時間だって、日常だって、人との関わりだって、

失って初めて、それがどれほど愛おしいものだったのかに気づくのかもしれません。

幽霊として地上に戻った真白の限られた時間は、

私たちが日々過ごしている「当たり前の今日」の象徴でもあります。

たとえ一日でも、一瞬でも、それが誰かにとって人生を変える時間になる。

この物語が、そんな「かけがえのない出会いの尊さ」に、

そっと目を向けるきっかけになれば幸いです。

読んでくださって、ありがとうございました。


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