ずっとあなたを待っている
この街には廃駅がある
その駅は、もう二十年以上前に使われなくなったという。線路も草に覆われ、時計の針も止まったまま。
けれど、なぜかそのベンチにはいつも、ひとりの女の子が座っていた。
僕が彼女を初めて見たのは、夏の終わり。
カメラをぶら下げて廃駅の撮影に来た帰りだった。
日差しはまだ強く、蝉が最後の声を絞る午後。
彼女は、駅のベンチで静かに本を読んでいた。
「……こんな場所で、なにしてるの?」
思わず声をかけると、彼女は顔を上げて微笑んだ。
「電車を待ってるの」
使われてない線路を見ながら、僕は少しだけ笑った。
でも彼女は、本気だった。
「きっと、また来るから。あの日みたいに、同じ時間に、同じ場所に」
何のことかは分からなかったけど、不思議と気になって、翌日も、その次の日も、僕は廃駅に通った。
彼女の名前は、美雨と言った。
話し方はどこか古風で、口調は穏やかでやさしかった。
彼女は毎日、同じ時間に、同じ服装で、同じ本を読んでいた。
まるで、時の中に閉じ込められているみたいに。
僕は話しかけて、彼女は少しずつ心を開いた。
「君は、ずっとここで誰かを待ってるの?」
「うん。昔、約束したの。電車でどこかに行こうって。でも……その子は来なかった」
そう言うと、美雨は静かに微笑んだ。
その笑顔に、どこか“諦め”の色が混ざっていた。
僕は、その人になりたいと思った。
彼女の時間に入り込みたかった。
だから、言ったんだ。
「もしその人が来なかったなら、代わりに僕じゃだめかな」って。
それを聞いた彼女は、目を伏せて、長い沈黙のあと、こう言った。
「ありがとう。でも……もう私はここにしかいられないの」
意味がわからなかった。
でも、次の言葉で、すべてが静かに崩れた。
「私、十五年前にこの駅で、事故に遭って……そのまま」
彼女の声が、風に溶けていくようにかすれた。
「このベンチに座って、ずっと待ってたの。来なかった彼を。でも、君が来てくれた」
彼女が言っていたその子は来なかったんじゃない。その子が来るほんの少し前に事故が起こって会えないまま亡くなってしまったのだ。それを自覚しないままずっとここで待ち続けていたのだ。
頭が真っ白になった。
でも彼女は、優しく僕の手に触れた。
その手は――温かかった。少しだけ。
「君が来てくれたおかげで、電車が来るの」
そう言った彼女の目には、涙が浮かんでいた。
そして、遠くから、風を切る音が近づいてきた。
止まっていたはずの線路の先に、白い列車が静かに滑り込んできた。
「……ありがとう。あなたに会えてよかった」
ドアが開き、光の中へ、彼女は一歩ずつ、静かに歩いていった。
そして――二度と戻ってこなかった。
次の日、駅に行っても、彼女はいなかった。
ベンチにはもう誰も座っていなくて、あの白い列車が来る気配もない。
けれど僕の中には、たしかに彼女がいた。
彼女の声も、笑顔も、あの手の温もりも。
ほんの短い時間だったけど、それは間違いなく、僕の人生に触れてくれた奇跡だった。
時は流れる。
でも、止まった駅で出会ったあの子のことを、
僕は、きっと一生忘れない。