迷い家
「強風のため運転を見合わせております」駅舎にアナウンスが流れた。またか、と思った。どうやって帰れというのか。
田舎では路線が一つか二つしかない。一方がダメになったらもう一方で、という訳には行かない。もう一方だと地元の駅を通らない。できるだけ近くの駅まで行きそこからタクシーだ。何と不便なことか、都会なら幾らでも路線はあるし、本数も不自由が無いだろうに。
いつになったら家に着くのか、乗り慣れない電車に乗り込み、アパートまでの帰宅時間を逆算する。いや、帰れたところで、調子の悪いパソコンが待っているだけだ。パソコンの前に座り、四六時中インターネットの前にいる私にとって、パソコンの不調は心身の不調につながる。事実、どうも気分が滅入っている。スマートフォンではダメだ。大きな画面でなければ楽しめない。自慢の大きなモニターは今、真っ黒なまま沈黙している。
電車の中に居ても分かる、ビュウビュウ吹き荒れる風の音を聞きながら、不調の原因を探った。見当はついている。恐らくアパートのネット環境に問題がある。一年前にも同じことがあった。インターネットに繋がらなくなり、機器を買い替えてもダメだった。そこで業者に来てもらうとアパート側に問題があると発覚した。復旧するまでに一週間を要した。その間何だか頭がボンヤリしたものだ。自分がインターネット依存症だと思い知らされた。
一週間の間。何度かインターネットカフェに行った。大きなモニター、通信速度の速いネット環境、最新のパソコン、静かで薄暗い閉鎖的な空間。とても快適だった。これこそ求めていたもの。そうだ、これを再現すればいい、私は悟った。アパートのネット環境が復旧するのに合わせ、貯金を叩いて、パソコン環境を一新したのだ。それからはまさに理想の生活。毎日が楽しかった。
一年後。またしてもネット環境は不調に陥った。電車は最寄り駅まで行ってくれない、ついでに言えば仕事の調子も良くない。いい歳をして独り。貯金は無くなった。インターネットという現実逃避の手段も無くなった。頭がボンヤリする。
さて、見慣れない駅を降りる。そこはやけに敷地が広くて、公共の多目的ホールへと繋がっていた。自動販売機があり、屋外のカフェテラスにはテーブルが並べられ、カウンターで軽食を提供していた。どこからかポップミュージックが流れている。通学の学生たちは椅子でおしゃべりし、杖をついた老人は噴水のある池を眺めている。ここには現地の生活があった。よそ者の私としては、サッサと駅を出て、タクシーに乗って帰りたいのだが。
ガラス戸を開け多目的ホールに入る。エントランスはガランとして誰もいない。奥にレストラン、隣にトイレがある。ホールの入り口の隣に自動ドアがあった。その向こうはコンクリートの通路が続いている、そこから外に出られた。コンクリートの通路はコンクリートの壁に囲まれていた。ところどころ穴が開き、そこから庭木が生えていた。何とも不思議な空間だ。
ようやく駅から出れた、と思いきや、意外にも、コンクリートの先にあったのは古民家の門口だった。かなり古い、茅葺屋根の住宅である。
屋根付きの門口をくぐる。住宅は全ての戸が開け放たれていて、大広間から神棚がチラリ覗いた。近づいてみると囲炉裏に火が入っている。もうもうと立ち込める煙。こんなところで生活ができるのか?土間に上がってみる。煙が充満している、やはり、ゲホゲホむせた。囲炉裏の傍に温かいお茶の入った湯のみがある。思わず周りを見回す。さっきまで誰かがここに居たに違いない、それが忽然と姿を消してしまった。
戸口の近くに土を盛ったようなかまどがある。隣には同じような盛り土があり、上にはカゴのようなものが乗せられてる。「これはなんだ?」思わず声が出た。「これは蒸し器ですよ」唐突に、目の前に婆の姿をした小人が現れ、説明してくれた。「なるほど」そういうと婆は消えた。なんだ今のは?
あれから何か月か経った。私は未だ古民家に居る。というより、ここで生活している。駅から出られないばかりか、駅に戻るコンクリートの通路も無くなっていた。ここに居ろということだろう。古民家には何でも揃っていた。広い庭には畑があり、裏にはニワトリもいた。魚が釣れる池まである。少なくとも生活は出来た。畑仕事もニワトリの世話もやった事など無かったが、「肥料はあるのか?」、「肥料はここじゃよ」疑問点を口にするとすると小人が現れ、答えてくれた。「なるほど」を言うと消える。こうやってやり方を覚えていったわけだ。家事は婆、野良仕事は爺が教えてくれる。それにしてもだ、これが妖精のような姿をした、美少女だったらもっと生活にハリが出たのにな、そう思わないでもない。
ある夜、目が冴えた。この古民家に放り込まれた訳を考えた。「何者か」が現実逃避の手段としてこの家を私に与えたのだろう。「何者か」というヤツもずいぶんウッカリ者だ。私が欲したのはインターネットカフェだというのに。この古民家は「桃源郷」を望む者に与えるべきだった。私は「桃源郷」なぞ望んではいなかったのに。
外に出る。星の瞬きが聞こえそうなほどの、満天の星空である。「しかし」と独り言ちる。「桃源郷」もそれほど悪くはない。これこそがヒトの送るべき生活なのかもしれない。独りでいられるのもいい。何だか仙人になった気分だ。
と、どこからか音楽が聞えてきた。懐かしいメロディ。暗闇を湛えた池の向こうにチカチカ明かりが見える。近づいてみる。それは自動販売機だった。ここへ来るときに通った、カフェテラスにあったものだ。いや、あの時のカフェテラスがそこにあった。異なるのは流れているのがポップミュージックではなく、ヒーリングミュージックである点。カウンターには湯気の立つ紙コップが置かれていた。ティーバッグが入った紅茶だ。すぐ理解した、これは修行の一つであると。
ヒーリングミュージックを聞きながらセルフで紅茶を淹れる、これこそが、私がインターネットカフェでまずやる事である。その証拠に見よ、カウンターの奥は薄暗い空間が広がっており、幾つにも仕切られた個室が覗いている。それぞれからボンヤリとモニターの明かりが漏れ出ている。まさにインターネットカフェそのものではないか。郷愁を煽っているのは明白だ。紅茶を飲めば元の世界に還り、飲まなければ晴れて仙人になれるわけだ。
別に仙人なりたいわけではない、といって還りたいわけでもない。やっとこちらの生活に慣れてきたところだ、ならばもう少しここに居ても良い。そう思い紅茶に背を向けた。と、ヒーリングミュージックが突然途絶えた。「終点ー」アナウンスが流れた。
「終点、終点ー」ハッとして目を覚ます。最終駅、アパートの最寄り駅に着いた。終点?運転は見合わせじゃなかったのか、私は古民家で生活していたのではなかったのか。まあいい、まずは電車を降りよう。
アパートへの夜道を歩く。まったく、仙人になったと思ったら今度は夢でした、か。「何者か」は何をやりたいのか。ただ弄びたいだけか、行き場を失くした私のようなヒトを。確かに、今まで出会ったヒト達は私をこき使い、いいようにしてきた。敵対していたヒトも愛していたヒトも、女も男も、血縁さえも。ヒトは誰しも望みを持っている、大なり小なり。手っ取り早いのは他人の望みを奪う事であり、奪った分だけ望みをかなえられる。「何者か」もそうなんだろう。もう誰も私にかまわないでくれ。
何か月ぶりか(?)でアパートの部屋に戻った。パソコンを開く。インターネットは復旧していた。ああ、いい気分。私は独りになれればどこでも良い。住み慣れた部屋なら猶更良い。
いまごろ古民家には何者かが送り込まれているだろう。今回は「ウッカリ」でなければいいのだが。