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材木屋がテーブルを動かし入り口の前を空け、娘と老人が外に出て女将が入り口のドアを支えながら三人を見送ろうとしていると「女将さん私達も帰ります」と中から声がし、娘二人も身支度をしてドアのところまで来ていた。
「外は雪だよ、傘を持っていくんだよ」と言う女将の言葉に、後ろに続いていた小太りの男と相棒、鼠飼いの男、二人組みも外に出るまでもなく、店の前の通りが青白く輝いているのを見て気付くのだった。上着を着て傘を持ち外に出ると、皆は寒さに手を擦り合わせたり肩をすくめたりし、出っ歯の男は雪をすくい取ると相棒に投げつけた。相手もやり返そうと雪をすくい取ったところで老人の娘に「夜も遅いんだからやめなさい」とたしなめられ手のひらに握り締められた雪はこぼれていくのだった。「気をつけて帰るんだよ」という女将の声に老人以外は、手を上げたり声を出したりして応え、大通りのところでそれぞれの家路へと別れた。女将は皆の姿が見えなくなると店の中に戻り、もう後片付けをはじめている姪に「もう遅いし細かいことは明日やるからいいわよ帰る支度をしなさい」とこの子は本当に成長したわ、と思いながら言った。先生、漁師、アザの男、見習いも椅子やテーブルを元の位置に戻していて成年もギターをしまうとそれに加わった。女将は四人に礼を言うと見習いには親方を起こすように言って、自分はカウンターの中で姪が下げてきたグラスや皿を洗いはじめた。姪も着替えはしたが女将を手伝ったので、男連中がテーブルや椅子を戻している間に終わりそうだわ、と女将は思いながら、見習いが親方を起こすのに悪戦苦闘している姿を微笑ましく見守っていった。親方は椅子に深くもたれ掛かり、口をあけ大きないびきをかき、見習いが呼びかけてもまったく起きる気配がなく、肩を揺すったりしてみたがそれでもダメなので、見習いは軽く頬を叩いて起こそうと思いやってみたが思いのほか力が入ってしまいパチンという音が女将にも聴こえた。親方はゆっくりと起きだし「もう帰る時間か」と視界に入ってきた見習いに問いただし、頬を叩かれたことには気付いてないようなので見習いはホッとしたが女将は笑っていて「何がおかしい」という親方の言葉を尻目に見習いは上着を取りに立ち上がった。
テーブルや椅子が皆が入ってきたときの状態に戻されたころで、女将の洗い物もやや遅れて終了した。途中から見習いも手伝ってくれたが踊りの間中、老人の娘をずっと見ていたことを姪から指摘され、見習いは必死に弁解をするがすればするほど姪の機嫌を損ねてしまい隣にいる女将は、この子は帰る間際になればなるほどよくしゃべるようになって、普段もこれくらいならいいんだけど、と思いながら最後の皿を拭くのだった。
「さぁ、帰りましょう、みんな傘を忘れないでね」と女将が発するころには、皆はもう入り口のところに集まっていた。先生がドアを開け「これは、けっこう積もるかもしれませんね」と言うと、見習いと姪は先生を追い越して出て行き、雪の上で跳ねたり、すくい取って相手に投げたりした。「酔いを覚ますのにはちょうどいい」と親方があくびをしながら言うと、ギターケースを抱えた成年は「南の生まれのオイラにはつらいよ」と空を見上げた。するとアザの男はもっと寒いところにいたときの体験を成年に話し出した。漁師は女将が出て来るまでドアを支えていて女将は「悪いわね」と言った後で最後に誰もいない店内を見渡し電気を消して外へ出ると、ドアの鍵を閉め一回ドアノブを引っ張りちゃんと掛かってるか確認した。
大通りのところで、先生とアザの男、陽気な成年、役所の男は左へ曲がり、手を振り「おやすみ」と言って、大通りを別れていった。
もう、並ぶ家々からは明かりは漏れておらず、通りには雪の降り積もる音がどこまでも鳴っていた。漁師は女将の横顔を見ながら、また、遠い記憶をたどっていて、当の女将は都会に住む弟のことを考え、向こうでも雪は降っているのかしら、と都会に雪が降り積もる姿を想像するが、女将は都会へは数回しか行ったことがなく、それもかなり前のことになるのでうまくはいかなかった。親方が姪と並んで歩いている見習いに「お前は、ちゃんとお嬢さんを送っていけよ」と言うと、二人は慌てふためくが、もう誰もそういうことは気にしていなかった。
街灯に照らされ青白く輝く道に五人の足跡が刻まれていく。二人並ぶ足跡はおそらく先に帰った二人の者だろうが、もうほとんど消えかかっていて誰も足跡だと気付く者はいなかった。雪はまだまだ降り続きそうで、今しがた皆が残していった足跡もしばらくもすれば、新しい雪によって覆われるだろう。朝を迎えるころ、降り積もる雪は、夜の痕跡を微塵も残さないのだった。