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倒れて嗚咽している男を材木屋と漁師が抱え上げ椅子に座らせた。その隣に役所の男が腰掛け、自分も十年間飼っていた犬が亡くなったときは本当につらかった、と自分の経験を交えながら慰めた。大体、こういったことは役所の男の役割で、この男に関しては何度か同じことがあり、その度に自分がこれまで飼ってきたペットの話を持ち出すのが常だった。鼠飼いの男からすれば「犬なんかと一緒にしてもらっては」といつも思うのだが、どう説明したって無駄なことだろうと思い、それが逆に冷静さを取り戻させ段々気持ちを落ち着かせるきっかけにもなるのだった。そこへピアノの音色がまた鳴り響き、男はハッとした。この曲は男の一番のお気に入りだったからだ。ピアノの方を見ると女将の後姿があり、役所の男が「女将さんもあなたの好きな曲で励ましてくれてるじゃないか」と言っている間にギターの音も入ってきて、成年を見るといつもの笑顔で男に微笑みかけながらギターを弾いていた。皆は再び立ち上がって踊りを再開していた。役所の男が「さぁ、君も踊ってきなさい」と男の背中をポンと叩き、娘二人組みも男の手を取り誘導した。はじめは重い足取りだった男だが、曲が進むにつれて表情が和らいでいくとステップも軽くなり、倒れる前の状態に戻っていった。女将は振り返って男の様子を見て、やれやれと軽く溜め息をつきながらも表情には微笑がもれていた。
曲が再開したのを見計らって、小太りの相棒は親方から逃れようと、チラチラと皆が踊っている方を見て、親方にダンスがしたいというのをアピールするが、親方は自分が話すのに夢中で、相手のことはそこまで意識していなかった。鼠飼いの男が倒れて泣き出したとき、自分も行こうとしたのだが「いつものことだから他の者に任せろ」と親方は席を立つのを許さず、以前監視からは逃れられないのだった。親方の話に適当に相槌を打ちながらも意識と視線は奥の方に注がれていたが、ふと気付くと親方の声が聴こえなくなったので、よく見てみると親方は椅子に深くもたれ掛かり口を大きく開けて眠っていった。男は「今だ」と思いゆっくりと席を立ち上がって、相変わらず曲からは微妙にずれているテンポで手や足を動かしている小太りの男のところに行き「この野郎助け舟をだせよな、危うく閉店まで付き合わせられるとこだったろうが」と、さっそく曲のリズムに体を揺らせながら言った。小太りの男は笑みをこぼしながらフンフン言っているが、鼻で笑っているからなのか息が乱れているからなのかは男には分からなかった。
ピアノの音が伴奏だけになり、成年が一際真剣な表情になった。曲がギターの弦を指で一本一本弾いていくソロパートに入ると、皆の動きが小さくなり視線は成年に釘付けになり、入り口のところにいた姪までもが奥に向かった。これには見習いが少し嫉妬したのか、姪が手招きしてもムスッとした顔で首を横に振ったが、姪のところからは見習いの表情までははっきりとは見えなかった。ソロのパートが終わると店内は大きな歓声と拍手が鳴り響き、アザの男は酔いも手伝ってかグラスを成年の口まで持っていき、成年が少しむせながらも飲むと、豪快に笑って肩を叩いた。成年は「カウンターで飲んでるときもこれくらいの勢いで話してもらいたいもんだ」と思いながらも意識はちゃんと弦を弾く指に向いているのだった。