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男の実家は雑貨店や食料品店を営んでいて、この町だけでなく隣町にも店を持つ裕福な家である。男は地元の学校を出た後、大学に進学するために町を出るわけでもなく、かといって働くわけでもなくブラブラしていた。周りの友人には「今は将来大きなことを成すために必要な時間なのだ」と語っていたが、男が特別何かをやっているようには皆思っていなかった。それが三年ほど続き、見かねた祖父が同級生のよしみで親方のところで使ってやってくれないかとお願いし、親方も若いやつを見るのには慣れてるからと安請け合いしたのだが、男は一月も経たずに辞めてしまった。親方から言わせると、決して不真面目でも不器用というわけでもないのだが、一つの仕事を頼まれるとものすごく考えてからでないと動き出さないというのが難点だった。男のところで作業が遅れるので全体の流れが滞ってしまうのである。他の者からも「アイツは悪いやつじゃないけど、この仕事には向いてないよ」と言われるが、親方も一度引き受けた頼まれ事をそう易々と投げ出してしまう性格でもないので、何度も仕事が終わった後、飲みに誘いその都度、口を酸っぱくして仕事の要領を教え説き伏せようとするのだが、この男はいったんは納得したように見えるのだが、しばらくすると「でもね親方」と自分の意見を言い出し、それがまた説得力のある言い方なので、親方もしばらく聴いていると話題は仕事の話しではなく自分の日々疑問に思っていることや人生観などに移っていて、しかも合間合間に親方の意見を求めてくるので、親方も語るのが好きな性格だから、自分の生い立ちなどを話し始め、飲み終わる頃には仕事の話しのことは遠い彼方にいってしまっているのだった。そして、翌日も男のまったく改善されていない仕事ぶりが目につくのだが、一ヶ月経った後、男が自分から「ちょっと旅に出るので辞めさせていただきます。短い間でしたがお世話になりました」と親方だけでなく皆が集まってるときに言い、一ヶ月続いたこの奇妙な時間も終わりを迎えたのである。皆は残念だなぁと言っていたが、親方も含めて正直なところホッとしたというのが本音だった。男は一年ぐらいした後帰って来ると、またブラブラしながらたまに家の手伝いをしたりしていた。親方も男のことが気にかかるので、事あるごとに呼び出し飲んだりしていたが、それが何度か続くうちに、今度は親方の昔話に付き合わされる男の方が参ってきて何かと理由をつけて誘いを断るようになっていったのだが、この店でかち合うときは逃げ出すわけにも行かず、こうやって捕まると、もう今となっては自分がたどってきたようにすら感じる親方の昔話を聴かされることになるのである。