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姪は女将の演奏がはじまってからすぐにテーブルにうつ伏せになって寝てしまった見習いのところに行き「ねぇ、踊りがはじまるわよ」と耳元で言うが、声をかけるだけでは見習いに起きる気配はなく、呼吸する度に肩が上下するだけだった。姪は見習いの肩を揺すって起こそうとするが、遠慮気味になってしまうのは、さっき起こしたときの一件があるからだった。奥から二人の方を見ている先生には姪が見習いの肩をさすっているようにしか見えず、同じように二人を見ていた老人の娘も「仲のいい二人ね」と先生と顔を見合わせ笑うのだった。
二人組みは向かい合って立っていて、何か踊りのステップの確認をしているようだが、二人ともまったく合っておらず、お前が悪い、いやお前のリズム感に問題があるんだ、とお互いに罵りながら足をバタバタ動かしていた。そこへ材木屋が二人の間に割って入り「こうだこうだ」と二人よりもかなり豪快に手も交えながら床を踏み出すと、二人とも足を動かすのをやめて、ボーッと眺めるので、材木屋も少し恥ずかしくなったのか「お前らも踊るんだよ」と、二人の肩に組みかかった。二人もしぶしぶ材木屋のステップに合わせ足を踏み出したが、痩せた男は材木屋より背が高いのにもかかわらず強引に肩を組んでくるので屈み気味になり、出っ歯の方はホントに不満そうな顔で、その光景がいかにも材木屋に無理やり付き合わされているという感じで可笑しく、娘二人は口に手を当てて笑っていたが、そのうち堪えきれずに大きく笑い出し、材木屋が「何がおかしいんだよ」と言うと、皆が笑った。
小太りの男ともう一人は、女将たちが何の曲からやるのか予想を立てていたが、さっきから男がチラチラと娘二人組みの方を見てるのにとっくに気付いている小太りの男が「なんだったら俺が一緒に踊ろうと話をつけてこようか」と言ったので「いや、そうじゃないんだ」と男は言いながら「いくらなんでもお前に話をつけてもらうっていうのもなぁ」と丸々とした体を上から下に見て言った。小太りの男が「バカだなぁ、こういうときでも利用してチャンスだと思わなきゃ、お前ずっと結婚できないぞ」と説き伏せるように男に言うので、男もさすがに少し腹に据えかねたのか「誰が結婚の話までしろといった。まったくお前はガキの頃から、ほんとにオッサン地味たことばかりだな」と語気を強めて言った。小太りの男も相手の態度から少し言い過ぎたと思い一瞬黙ったが、自分たちは今年で三十の半ばに差し掛かろうとしていたことを思い出し「そうは言っても俺たちはもう十分に中年だぞ」とニヤニヤしながら言うと相手もアッとした表情になり照れ隠しにグラスを口につけた。男は手に持っていたグラスをグイッと飲み干してから「今日はもう二人とも飲みたかったなぁ」と氷だけが入ったグラスを見つめて言った。言った後に、さすがに今のは感傷的な言い方だったかなぁと、小太りの男を見たが相手は聞いておらず、材木屋と二人組みの踊りを見て笑っていた。男は「フゥ」と一息つくと、お酒を作るために立ち上がりカウンターの方へ向かった。親方が男を手招きして呼ぶので「ちょっと待ってください」と、男は慌ただしく酒をつくり親方のところへ行くと、座れと指し示すので、男はテーブルの上に立ててあった椅子を降ろして腰掛けた。カウンターに座ると親方を見下ろす形になるので失礼になると思ったのだ。親方は「最近どうだ、ちゃんとやってるのか」という近況を聞くことからはじまり、他にも仕事のこと、家のこと、そして結婚はしないのか、と言うことなどを聞いてきた。男は曖昧な返事で何とかこの場を切り抜けようと考えていたが、親方の昔話になると「それはもう何度も聴いたよ親方」と訴えたが「黙って聴け」と一喝され、見習いの方を恨めしそうに見ていた。姪の呼びかけにようやく身を起こした見習いと目が合うと、これはお前の役目だろ、と親方に見えないように手でこっちへ来いと合図するが、見習いは視線を外し、男は親方に「ちゃんと聞いているのか」と怒られ、小太りの男は「また捕まっているな」と笑いながら男の方を見るのだった。