表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/25

 店の中は慌ただしくなっていた。姪と老人の娘は奥の六人掛けテーブルの上にあった食器やグラスを次々と厨房へと運び、男達はそれぞれのテーブルを壁側に寄せ、上に置いてあった物を全部カウンターに移動し、片付いたテーブルから順に娘二人組みが女将から手渡された布巾で拭いていくと、最後にまた男連中が椅子をテーブルの上に掛けていった。見習いも手伝おうとして立ち上がったが、女将から「無理しなくていいから座ってなさい」と言われたものの、一番若い自分が動かなくてはと思うが、老人を除いた中ではただ一人同じ位置から動かない親方の方を見ると、うんうんと見習いのほうを見て頷いているので、見習いは手伝わなくていいにしても、さすがにここにいては作業の邪魔になると考え、入り口側に座っている役所の男の方へ行って、もうテーブルの上に掛けてある椅子を一つ降ろして腰掛けた。役所の男が「気分は大丈夫かい」と言って、コップに水を注いでくれたが喉は渇いてはいなかったものの、せっかく注いでくれたのだからとグラスを口につけただけで飲み込みはしなかった。老人と役所の男、親方、見習い意外の者は手伝ったので六人掛けのテーブルの上にはもう物がなくなっていて、今度はそれを持ちあげるために先生、材木屋、二人組みがテーブルの四隅に立ち、材木屋の合図で持ち上げると、カウンターとテーブル席の間の通路に置くため、テーブルを横にしようとするが四人の意思が統一されず右に左に回すので、本人達も皆もそれが可笑しくて店内には笑い声が広がった。結局材木屋と先生が持ってる側が前になり通路といっぱいいっぱいの面積をとるテーブルを何とか入れ込んだ。しかし、これでは人が通るスペースがないので、今度は親方の指示で四人掛けのテーブルを入り口側に移動させると、奥との行き来に支障はなくなったが、ドアを開けるとすぐテーブルがある状態になるのは仕方のないことだった。

 テーブルがなくなると奥のスペースはかなり広く感じられ、角に置いてある花柄の布を被せられた物の存在が際立った。エプロンを脱いだ女将が花柄の布を取ると、現われたのはピアノで、女将は椅子に腰掛け蓋を開け、姿勢を正し、スゥーと深く息を吸って吐き出すと、鍵盤を一つ鳴らした。高い音色が響き渡り、だんだん小さく弱くなりそして消えていった。親方と老人以外は皆、ピアノのある所に集まって来ていて、立ったままの者もいれば椅子を持ってきて座る者もいた。

 女将の指先が鍵盤を叩いていくと高い音や低い音、はっきり聞こえる音や、聞きわけられない音が響き合い、それが一つの音楽を作り出し、真剣に聴き入る者もいれば、あまり集中していない者、目をつぶり、曲がそうさせるのか物思いにふけっている者と皆それぞれ勝手気ままに音色の中に浸るのだった。

役所の男は夫婦で住むには広い我が家のことを考える。まだ、木や花が多くは植えられていない庭を通り、装飾が施された重量感のありそうな扉を開ける。多くの来客者を予想して広く作った玄関だが、定年してからは勤めていたころのように役所の同僚や部下が訪れる機会はそうないので、今は妻が近所の奥様方を相手に週に一回主催している編み物教室のときだけ、この広い玄関は履き物に埋め尽くされるのである。入り口から右に行くと大きい窓から光がたくさん入るよう設計された自慢のリビングがある。妻がどうしてもと言って買った外国製のソファーが丸長のガラステーブルを囲み、壁の本棚には自分が趣味で集め続けた画集が並んでいる。ホントに好きな画家以外は安く買えるように古本屋を巡ったが、いざ実物を手に取って見ると結局値段などは考えずに次から次へと買っていき、帰りは重い紙袋を抱えながら家路に着くことになり、家では妻の小言が待っているのである。前の家のときはこの画集の置き場所に困ったが、リビングにはまだ本棚を置けるスペースが十分にあり、置き場所の心配をしなくてもいいことがより収集に拍車をかけるのだった。玄関を入ってすぐ目の前には二階へと続く階段があり、夫婦ははじめ一階にある自分たちの寝室で寝ていたが、二階を息子夫婦が帰省して来るときだけにしか使わないのはなんだかもったいないと思い、家が建ってから一ヶ月もしないうちに二階で眠るようになった。二階のベランダは広めに作ってあり、そこで画集を見るのが役所の男のお気に入りだった。ふと目を見上げれば並ぶ家々の屋根があり、そう我が家よりも高い家がないのは気分がいいことだった。やや離れたところに見える他の建物より頭二つ三つ分高い古風なレンガ造りの建物が、男が長年勤めた役所だった。自分の後を引き継いだ彼はうまくやっているだろうか、新人だったあの子は町の人にきちんと対応してるだろうか、と職場での日々が次々に頭をよぎっていき、机の配置やロッカーの脇に積まれた整理されていない資料、自分の席の窓から見えた広場の大きな銀杏の木など、全ての光景は何一つ変わってはいないだろうが、そこに自分はいないということを不思議に思いながらも、今まで定年していった人達も同じように感じたのだろうと、また画集に目をやるのである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ