⑫
拍手が鳴り止まないうちに成年は次の曲を弾き始めた。さっきよりも指が忙しなく動きだすとテンポもずっと速くなり、皆の拍手はそのまま手拍子になっていった。二人組みは立ち上がって全身を動かしてリズムをとり、曲の間奏のところでは歓声や指笛を鳴らし、若い娘達も座ったままだが音楽に合わせて体を揺らし、材木屋は先生と乾杯した後「じいさん飲んでるか」と老人に語りかけた。小太りの男の相棒が床を踏むテンポをさらに速くすると、それを見ていた小太りの男も誘われるように足でリズムをとるが、男とは違い成年のギターとはテンポがずれていた。姪は曲に聞き惚れていたが、女将の視線の合図に気付くとそれぞれのテーブルを回り空いている皿やグラスの他に、もう手をつけないであろうものも下げだした。みんなのノリが良くなってテーブルの上の物が落ちないよう備えているのである。アザの男は、こいつはギターを弾いてるときが一番良い顔をしているな、と成年の垣間見える横顔を見ながら、正面の姿を想像していた。漁師は皆に成年が見えるようにと、椅子を下げて二人組みのテーブルの方へ移動した。痩せてる方がグラスに酒を注いでくれ、漁師は礼を言ったが喧騒にかき消され恐らく相手には聞こえてはいなかったものの、グラスをさし出すと二人とも乾杯をしてくれた。役所の男は演奏が始まってからは成年の方に向きを変えていて、親方は店内の光景と前の主人の写真、交互に目をやりながら一人感慨に耽り酒を飲んでいた。見習いは店が一気に騒がしくなったので、目は完全に覚めたものの、まだ少し天井が回っているように感じられる中、天井の隅のところに蜘蛛の巣が見えたので、目を凝らして蜘蛛を探そうとするが、たとえ意識がはっきりしていても蜘蛛の姿を見るのは難しかった。見習いは「冬場に蜘蛛はどうしているのだろう、あの巣の中心でじっとしているのだろうか」と考えながらシャツのボタンを一つあけた。背中は毛布を背にしている分少し汗をかいていて、そうでなくても店内は自分がここに運ばれるときと比べても暑く感じられた。思いきって起き上がってみたが、まだフラフラして視界がぐらつくので立ち上がりはせず、椅子に体をあずけ斜めにもたれかかっていたところを他の者が音楽に夢中で気が付かない中、女将が気付き姪を手招きで呼び見習いを指差すと、音楽に夢中になっていた姪も、慌てて厨房からグラスに一杯水を入れ向かうのだった。姪が「大丈夫?」と声をかけ、グラスをさし出すと見習いはよほど喉が渇いていたのか、グラスを受け取ると一気に飲み干し、ハァーと一息ついてからお礼をいい「もう一杯もらえるかな」と姪とは視線を合わさずに言うと、姪は水差しを持って、見習いのところへ戻りグラスに水を注いだ。見習いが店内を見渡すと二人組が立っているのが奥に見え、ギター引きの姿は材木屋と女将さんに隠れて弦を押さえる左手だけが上の方にくるときたまに現われ、一番手前にいる老人は、見習いが起きたのに気付いた先生が手を振ると、つられるようにこっちを見たがすぐに興味なさげに振り返り先生に何やら耳打ちしたようだった。姪は水差しを持ち立ったまま、益々盛り上がっていく店内の雰囲気に合わせて体を揺らせていて、見習いがその姿をしばらくじっと見ていると、絡みつく視線に気付いた姪は見習いと目が合い、無意識のうちに体を激しく動かしていた自分を思うと急に恥ずかしくなり、かといって動きを止めるのも不自然だと考え、徐々に体の動きを小さくしていった。見習いは、そういう意味で見ていたのではなく、ただ見とれていただけなんだ、とは言えるわけもなく、自分も姪の手拍子に合わせて手を叩きはじめるのだった。それをチラチラと微笑ましげに見ていた先生は、おかしくも愛らしくも感じ、声を上げて笑い出し、音楽とは関係なく手を強く叩き「若いっていうのはいいものですね」と老人の肩に持たれ掛かって言うので、老人は先生の豹変に驚き困惑するのだった。