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夕方から降り始めたみぞれが、完全に雪になったのを、町のほとんどの人々は屋根に打ち付ける音が変化したことで気付いたが、この店の中の者は会話とそれによって巻き起こる喧騒で外が雪になっていることに誰一人気付いてはいなかった。
週末、店の中は徐々に混みだし、L字型のカウンターはほとんど埋まっていて、どうにか詰めてもあと一人か二人が座れるかどうかといったところだった。四人掛けのテーブル席は三つとも埋まっており一番奥にある六人がけのテーブルには食器やグラスが所々無規則に置かれ、一時的な物置と化していた。
入り口から見てカウンターの一番奥にはアゴ髭を長く生やした老人が座っていた。この老人はこの席が自分の指定席でもあるかのようにほとんど毎日陣取り、一杯目にビールを飲んだあとはウィスキーとピーナッツでちびちびやるのが常だった。店が開店してから決まって三十分後ぐらいに現れ、年のわりにしっかりとした足取りで一番奥の自分の持ち場に行き席に着くと、もう何年も愛用している色あせた茶色い帽子を脱いで膝の上に置き、店内をグルリと見回した後、注文するまでもなく出てきたビールに口を付けるのである。他の客の話を聞いているのか聞いていないのか、たまにキョロキョロ辺りを見回す以外は大人しく飲んでいるが、常連客の誰かに「なぁ、じいさん」と話を振られると、グラスを置き自分の意見を朗々と話し始めるのである。老人の話しは大体にして比喩や引用に富んでおり、聞いている者は次第に比喩を話しの本筋だと勘違いしたり、引用した部分を老人の意見だと思ったりして、老人に話しを振った者も、老人が話し終えるころには何の話しを振ったのか曖昧になっているのだった。自分の意見を言い終えた老人が「フゥー」と息をつき、グラスを手に取ると、そこには話しはじめる前と同じ光景が広がるのである。
老人の頭が入り口の方に向いたということは、新たな来客者が現われたといういうことだった。開いたドアから流れ込む外の冷気が暖炉と人の熱気で火照り気味の店内を駆け抜け、入り口から近いところに座っている人達には、そのヒンヤリとした感じが心地よく―店内は少し暑いな―と気付かせるきっかけになるのである。新たな来客者がコートと手袋を脱いでいる間も、客達のうち何人かは「先生こっちへ」とそれぞれの席を勧めるが、先生と呼ばれている男は奥まで歩いて行き、皆に挨拶を交わしながら老人の隣へ腰かけ「失礼します」と笑顔で言うと女将にビールを注文した。老人は返事をするわけでもなく横目でチラッと、男を見るだけだった。
先生と呼ばれている男は眼鏡をかけていて色白で背が高く、肩までかかる髪は癖毛のせいで毛先が跳ねていた。
半年程前にこの町に赴任してきた小学校の教師なのだが、立ち振る舞いや言葉づかいなどから垣間見える育ちの良さと、場を和ませる穏やかな口調で町の人々、特に生徒の親にあたる婦人達から人気を得るのにそう時間はかからなかった。