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第6話 インセクトゥミレス

第1章まで無反応なら、第2章から有料化します。

異世界ヴォートゥミラへ訪れる数カ月前




勉学に明け暮れる夕暮れ時、見知った番号から連絡が入った。

兄の通う医大の学友でアパートへ訪れた際に偶然出逢ってから、ゆっくり親交を深めていた。

用件は何かとペンを置き、スマートフォンを手に取ると


「あっ……くん……のヤツ、そっちにいってない?」


彼は息を切らし、慌ただしく兄の下の名前を口にした。

兄に何かあったのかと判断し、唇を閉ざして次の言葉を待つ。


「……はい、はい、そうですか……」


あまりに衝撃的な報告に電話越しの受け答えは、ただただ相槌を打つことしかできない。

数日前から兄が大学に現れておらず、自宅にもいないというのだ。

普段からサボりの常習犯ならばともかく、真面目な優等生がこうなれば心配するのも致し方あるまい。

Nは


「兄ちゃんが失踪したと電話が。特に変わった所はなかったって。なんで突然いなくなったんだろう……」


心を整理できぬまま両親に伝えると


「どうして平然としてるの! まさかアンタが手にかけたんじゃないでしょうね! そんなことしても出来損ないは出来損ないのままなのよ!」


母は怒鳴りつつ返すと確認を取るべく、青年の電子機器を奪い取った。

先ほど彼に取った態度とは打って変わって、猫を被ったように兄の友人に平身低頭し、詳しく事情を聴く。

話を終えると乱暴に投げて渡し、仕事から帰宅した父を出迎えた。

医者になれば年収も社会的な地位も申し分なく、自慢の息子だと公言できる。

だから兄へ医療の道を奨めた。

反面、現時点では芽のでないNには利用価値がない。

だからこそNも、Nの道具すらもぞんざいに扱うのだ。

どこまでも世間体が第一の母親だと、青年は胸の中で毒づく。


「なんで出来の悪い方が残って、卒業間近の医大生の……が。お前が消えればよかったのに。お前がいなくなれば、私たちだけの素晴らしい家庭が築けたのに……生ゴミは簡単に焼却できるのに、いらない子供はどうにもできないじゃない!」

「……そうだね、兄ちゃんの代わりに俺が失踪すればよかったね……母さん……」


存在ごと否定されるのも、もう慣れてしまった。

経済力がない以上は親に不満があろうと、どうしようもない。

兄は優秀だ、兄は選ばれた人間だ、兄はこれから多くの命を救う。

そんな人間と比較すれば、確かに―――否、確実に劣った不要な人間なのだ。

諦念を抱いた彼が断片的な事実を受け入れ、力なく微笑むと


「お兄ちゃんがいなくなったのに、呑気にヘラヘラしおってからに。いつまで浪人なんかしてるんだ。世間様に顔向けできないだろう。お前は被害者を気取ってるかもしれないが、母さんは近所の人たちに嗤われているんだぞ。お前が原因でな」

「警察に失踪届を出してきます……万が一お前の仕業なら、きっと真実を究明してくれるわ」

「用意できたら、私もすぐに向かう。お前が私やお兄ちゃんと血縁があるとは思えん。穀潰しを飼う余裕なんてウチにはないんだ。何をしてでも結果を出せ。できないなら野垂れ死ね。甘えを捨てろ。それが競争社会の縮図なんだ」


両親から身に覚えのない冤罪を着せられ、罵詈雑言を浴びせられる青年は人目からみれば何の変哲もない、穏やかな微笑みを浮かべる。

Nの左目の仮面の下にはもう1つ、嘘に塗り固めた仮面を身につけていた。

鈍麻した感情には何もかも響かない―――否、日々の生活を通して感じぬよう、やり過ごすために会得した処世術だ。

青年にとって感情とは、メモ用紙のようなもの。

この状況にはこの感情……と、場に合わせて都度、最適なものを貼り付けて演じてみせる。

胸の中には使い捨てられ、くしゃくしゃにしたゴミだけが散乱する。

全てを使い終われば残るのは、人にとって大事なものが欠落した、人の形をしたモノだ。

両親の前で彼は人ではなくなった。

感情を冷徹に排した機械に成り下がり、ただ〝所有者〟の意のままに動いた。

けれど兄の前だけは別だ。

優秀であるが故に親の愛情を一心に受ける羨望と同時に、彼自身ああなりたいと。

劣等感に苛まれながら、尊敬という一見相反した情念を兄に抱く自分も、決して偽りではなかったのだ。




兄と最後に出逢った際の回想




「おお……か、入っていいぞ」

「お邪魔します」


成人した兄と弟という同性同士である上に、対立を生む関係が災いしてだろうか。

血の繋がりを感じさせぬほど、よそよそしく彼はどもっていた。


「興味があるのか? 幾つか持っていってもいいぞ」

「え〜、いいよ。俺にはなんだかよくわからないからさ」


家へ訪れると部屋の片隅に本棚があり、中には隙間なく参考書や小難しい文献が詰まっていた。

日本語に翻訳された書物のみならず、原作である横文字の作品も隣にきっちりと並ぶ。

洋服は箪笥に過不足なく収納し、資料などはデスクトップのPCに保存されているとのこと。

几帳面で理路整然とした、かつ無駄のない明晰な頭脳をそのまま反映したような部屋だ。

しかし遊びのゲームや趣味の類の品々は置かれておらず、日常生活を送るには不要で、しかしその人に活力をもたらす〝余白〟になるものも何処にもなかった。


「……久しぶりだな。冷蔵庫には水しかないがいいか?」

「え、うん……それにしても勉強道具と本しかないね。ミニマリストってヤツ?」

「いつまでもここで暮らすとは限らないからな。物は少ない方が引っ越すのにも手間がかからないし、合理的だろう?」


ここには勉学を強いる両親はいないのだ。

安堵した青年は段々と気兼ねなく兄と言葉を交わし、ふと笑みが溢れると


「お前の笑顔を見ていると、かの歌姫を思い出す。知ってるか? モンロースマイルという言葉があってな。児童養護施設で性的な悪戯も含め、虐げられた人間特有の仮面……自分をぞんざいに扱う存在に媚び諂うことで生存しようと、藻掻いた子供の空虚な微笑を……」


唐突にNの乾いた心を見透かすかのように呟いた。

ギョッとした彼は目を見開き、兄の紡ぐ言の葉に耳を傾けた。


「虐待は何も身体的な暴力だけでなく、言葉でつけられた傷も含まれる。お前は……いや、俺たちは普通ではない家庭で育った〝異常者〟だ」


馬鹿にするな!

そう憤慨してもおかしくもない物言いに、青年は至極当然と受け入れていた。

友達の家へ遊びにいけば、自然と親子の関係を垣間見る。

つまらない口喧嘩をしていても、決して相手の存在ごと否定などしない。

和やかで、距離が近く、親密さを伴うが故の小競り合いを、自分たちと両親ができるだろうか?

否、親の意向に歯向かえば何を言われるやら。

―――そうだ、やはり自分たちは両親と同様に歪んだ人間なのだ。

兄の淡々と発した科白は蛇の小さな噛み傷から、全身に猛毒が流れていくように、徐々に青年の心を蝕む。


「もしお前が医大に合格したら、俺と共に暮らすか? 俺もじき医者になり、患者に付きっきりになるからな。お前にばかり構ってる時間はないが、一人暮らしは不安だろう? 家事してくれれば俺の負担も減るし、何よりもお前もあの人たちから離れられる。だから頑張れよ……俺を超えない程度にな」

「……うん、約束だよ」


憎悪と憧憬を胸に、Nは兄との生活を夢見た。

彼と交わした誓いだけを頼りに、勉強だけに全てを費やした。

いつかは絶対に遠くて見えない、大きな背に追いつくのだと。

だが意気込んだはいいものの、思ったように身が入らない。

―――学歴のために時間を投げ捨てて、何が得られるのか。

新卒になれば社会人として息つく暇もなく働く、はみごをけして許さない世界が待つ。

仮に切り札(新卒カード)を得たところでその枠組みから外れれば、無意味になるような代物だ。

努力の果てに報われる、とは信じられず。

兄のようなあらかじめ成功の約束された人間だけが、人生の勝者になれるのではないか。

何もかも諦めても胸の空しさは埋まりはせず、Nは月明かりと勘違いして街灯へ向かって飛翔し、ついには力尽きる蛾の如く。

人生の指針をわからずにいた。


「……光が、光が欲しい……誰にも負けない輝きが……」

「〝誰にも負けない〟か、大きく出たね。なら唱えてみな、〝インセクトゥミレス〟と」

拙作を後書きまで読んでいただき、ありがとうございます。

質の向上のため、以下の点についてご意見をいただけると幸いです。


好きなキャラクター(複数可)とその理由

好きだった展開やエピソード

好きなキャラ同士の関係性

好きな文章表現


また、誤字脱字の指摘や気に入らないキャラクター、展開についてのご意見もお聞かせください。

ただしネットの画面越しに人間がいることを自覚し、発言した自分自身の品位を下げない、節度ある言葉遣いを心掛けてください。

作者にも感情がありますので、明らかに小馬鹿にしたような発言に関しては無視させていただきます。

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