第10話 地の獄の炎
次回で過去話は終わらせる予定です。
数十分後の廃屋敷にて
周囲の繁茂した木々と背丈の高い雑草に紛れるような廃屋敷に辿り着き、一行は言葉を失い息を呑む。
屋敷の扉の前には鶏と狼の精巧な彫像があり、物言わぬままこちらをじっと見守る。
蝙蝠の糞対策に傾斜のついたレンガ屋根はいくつも落下し、既にその役割を果たせなくなっていた。
窓ガラスは不法侵入者の暴挙によるものか。
はたまた召喚士の語る血の歴史が真実なのを物語るように、ほとんどが割れている。
外壁には生命力溢れた蔦が廃屋敷全体を覆い隠し、鬱蒼と茂るおおいなる自然は、かつてその屋敷に存在していた、高貴なる血脈や築き上げた栄華ごと、過去を全て闇に消し去らんとしていた。
「よかったな〜、偶然泊まる場所があってさ」
「デニスったら。悪霊でもでたら、どうするの?」
「そん時はルシルの退魔の力で何とかしてくれるだろ? いつも助かってるけどさ〜、こんなとこだと普段の何倍も有り難いよな」
首を傾げたデニスが不思議がりつつ、ルシルの発言に返した。
彼らしい信頼の証を示され、彼女は頬を赤らめる。
そんなやりとりを横目にエレインとガヴィンは、廃屋敷の光景に圧倒され、瞬きを繰り返した。
長年使用された形跡のない机や家具に、真冬の雪のように埃が被さる。
屋敷の隅々には蜘蛛の巣が張り巡らされ、もう屋敷の主は動植物なのだと思い知らされた。
内部の探索を進めて屋根裏に到達すると、昔はメイドや使用人が住み込みで働いていたであろう、天窓とベッドが置かれただけの、狭苦しい圧迫感のある一室へと着いた。
床にはゴキブリやそれを餌とする鼠が這うも、手近にあった箒で追い払った。
依頼を済ませた一行は男女交互に部屋で着替えし
「……ふぅ。ベッドはたくさんあるから、一応は休めるわ」
「だな。んじゃ、お疲れ〜」
鋭い牙や爪を持つ魔物と相対し、いざとなれば肉の盾とならねばならない戦闘において前衛のデニス、エレインと、後衛のガヴィン、ルシルでは肉体的、精神的な負担がまるで違う。
パーティーで魔法戦士の重責を担うデニスはベッドに大の字で飛び込むと寝入ったのか、飄々としたいつもの姿は鳴りを潜める。
それから数時間後、思い思いに過ごして気力と体力を取り戻し、談笑が始まってデニスがふと
「な〜、ルシル。なんで召喚士の人、睨んでたんだよ?」
と問うと暫しの間、彼女は沈黙し重い口を開いた。
「魔物など一掃してしまう方がいい。たとえ魔物が混沌神から産まれた存在であろうと、魔物を狩る冒険者や狩人に裁きがないのなら、それは神の意向に沿う行い。街の治安を思うならば、人類の犠牲の伴わない世界を構築しなければ……そう感じない?」
街の中に魔物が徘徊するノックスにおいて、彼女の願いは切実な問題である。
混沌とした街にもはや秩序はなく弱肉強食、適者生存の価値観が蔓延る無為自然。
その過酷な現実を知った上でデニスは
「世界ってのはさ。俺の部屋みたいにゴチャゴチャしてて、俺の性格みたいにテキトーなもんなんだよ。一側面だけ見て役に立つとか立たないとか、殺すとか殺さないとか。それに正しさだけが世界を回す歯車ってワケじゃない。現に召喚士に管理された魔物は、俺らと問題なく働いてくれたじゃないか? 街中で暴れりゃ俺らみたいな荒くれ者と、バチバチにやりあって最終的には始末される。何が不満なんだ、ルシルは?」
やんわりと意見を否定した。
秩序と混沌。
対立する関係にある2人のパズルは、どちらかが意見を譲り、不要な部分を削り取らねば決して組み立てられはしない。
「第一そういう近視眼的な考えは好きじゃないし、人間も住みにくそうだ。酒もゆっくり飲めそうにねぇ。だからあんまし物騒で息苦しいこと、言わないでくれねぇか? ……それにこうあるべき、なんて確固たるものが心にあるとさ。他の人間だけでなく、ルシルも生きにくくなるよ……こりゃ酔っ払いの戯言だけどな」
革の水筒をひっくり返し、彼は中身を限界まで飲み干すと。
デニスは薄い笑みを浮かべ、ゆっくりと語った。
顔は紅潮していたものの素面だろう、彼なりの信念を宿した戯言に
「街の住人はデニスみたいな、善人のお人好しばかりじゃないもの。表では魔物を否定しておきながら裏では魔物を利用し、私腹を肥やす者。或いは少数の犠牲を肯定し、弱き者を積極的に魔物の贄として差し出す民衆……悲劇の根源を絶たないと、それは延々繰り返されていくの」
「ハハッ、俺は天邪鬼だからな。ルシルにお人好しだって褒められなくても、困ったヤツらは助けるさ。強い人間なら自分で身を守れるだろ。誰からも見放された人間や魔物……そういう存在にこそ、救いが必要だよな」
喧嘩にこそならないがルシルは押し黙って、ただでさえ陰鬱な空気がさらに淀む。
双方の言い分はどちらも間違ってはいない。
言い合いで禍根を残す前に、状況を改善せねば……それをいちはやく感じ取ったガヴィンは
「あ〜、ここってさ。寝るには居心地悪いし、別の場所を探した方がよくないか? 面倒だけど二手に別れて、また探そうぜ。な、皆?」
エレインに目配せし、彼は意思疎通するようにウインクをした。
口論に発展する前に2人の距離を取ろう……と、意図を汲み
「ガヴィンの言う通りね。私はデニスと、ガヴィンはルシルと……いい?」
「おお、いいな〜。そっちの方が効率的だもんな。ルシル、大好きな彼氏と離れ離れは嫌だろうけど勘弁な」
彼女の一声とガヴィンの張り上げた賛同で有無を言わせず、一行は再び寝床を探し始めることに。
ともかく仲を取り持たないと、エレインが探索用のランタンを手にした際に
「ごめん、エレイン。デニスにそれとなく、さっきのこと反省してるって伝えてくれない? 後から埋め合わせするから、ね?」
「……もう、仕方ないな。構わないけど……あんまり喧嘩したら駄目だよ? 結ばれたらいずれは、私とガヴィンにも頼れなくなるんだしね」
手を擦り合わせ懇願する要求に二つ返事でOKした。
男たちに視線を送るとガヴィンは耳打ちしており、目が合うとグッと親指を立てた。
そちらはそちらで上手くやってくれそうだ。
数分後にエレインは彼と同伴し、探索に励む。
無論それは建前だがデニスとルシルに気を利かせ、ガヴィンと2人行動が多く、少々不思議な気分だった。
灯があっても廃屋敷は不気味極まりないが、天を覆うほどの曇天も相俟って、一層の雰囲気を醸し出す。
階段を降りた先の一階でコツコツ……足音が鳴り響くと人影のようなものが突然現れ、肝を冷やしたエレインは瞳を見開く。
まさか侵入者が他にも……しかし彼女の心配は的中せず、ただの甲冑であった。
「ビビリだなぁ〜、エレインは」
「……元を返せば世話が焼ける、おふたりさんのせいだからね」
デニスの言葉に苛立ちを覚え、エレインは静止も聞かずに先導していく。
屋敷の主人はもういないのだから、遠慮もする必要はないだろう。
手当たり次第に部屋を探ると、客間に隣接した、屋敷の西に位置する部屋が視界に映る。
取っ手が錆びた木製の扉を開きにくく、まるで侵入を拒むようだ。
何とかしてこじ開けると瞬間、エレインの背筋に悪寒が走って―――本能が危険だと察知した。
見渡す限り本の山の書斎へと導かれ、足を踏み入れた彼女はじっくりと中を観察した。
部屋の隅の埃まみれの机に書見台が設置され、何らかのメモのようなものが描かれた羊皮紙が目を惹く。
倒れれば人を簡単に押し潰すであろう棚には名高い著書に加え、筆者すら不明な古書までよりどりみどりだ。
いくつかの文献は地面に散乱し拾い上げてみるも、内容はカビのせいで読むことはできない。
「特に何もないだろう、他を当たろうぜ」
彼が発したとほぼ同時にエレインが右半分が朱、左半分が黒に彩られた壁掛けの紋章へ触れた刹那―――それは起こった。
床の石材が唐突に動き出し、2人をさらなる深淵へと誘う階段が出現したのだ。
動揺した彼女の視線は釘付けになり、湿った空気が肌を突き刺した。
まるで地中深くに封じられた得体の知れぬ〝何か〟が口を開き、2人の魂と血肉を喰らうのを待つように。
「何かしたのか、エレイン。ま、とにかく入ってみっか」
流石は冒険家といったところか。
不測の事態にも一切取り乱さず、むしろそれすらも愉しみに変えてしまうのがデニスの性分だ。
その無鉄砲にも見える生来の気質に救われたのは、1度や2度ではなかった。
彼女とて好奇心がないわけではなく、彼に続いてゆっくり慎重に、転ばぬよう降りていった。
暗黒に呑まれた足が踏み鳴らす音は異様なほど反響し、鼓膜を刺激する。
えもいわれぬ恐怖に胸を締めつけられながらも、徐々に降りていくと途中で石段は途切れ、果てしなき闇が広がった。
ランタンを手にした右腕を突き出すと、奈落の情景を鮮明に浮かび上がらせる。
「う〜ん、別に目立ったもんがねぇな」
期待と不安とは裏腹に石造りの室内には、壁に変哲もない武具がフックに飾られていた。
燭台の横の机には武具の絵と共に何やら文字が事細かに綴られていて、何らかの研究を行っているようだ。
とはいえ禁忌の魔法や邪悪なる呪文といった、それらしきものは見当たらないが。
あの悪寒は気のせいだろうか……エレインが隠し部屋の品々に目を凝らすと、デニスが引き出しを漁って鍵を見つけ出す。
そして部屋の中央に配置されたテーブルの真下にある、銀製の宝箱を彼は見逃さなかった。
「掘り出し物かもな。泥棒みたいで家主の人には悪いが、開けてみようぜ」
何の気なしに鍵を差し込んで回す。
するとランタンの薄明かりを反射し、妖しく赫いた―――地の獄で亡者を焼き尽くす炎にも似た、緋色の鎧が安置されていたのだ。
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