崩れ始めた日常
目覚めた瞬間、凛斗は違和感を覚えた。瞼を開け、見慣れた天井を見上げたはずなのに、何かがおかしい。全身を包む重い空気。まるで、何度も同じ瞬間を繰り返しているような――。
「……なんだ、これ……?」
目に映るのはいつも通りの部屋だ。ベッド脇の目覚まし時計は午前7時30分を指している。日差しがカーテンの隙間から差し込み、柔らかく部屋を照らしている。すべてが変わりない。だが、心の奥底で、何かが大きく狂っているのを凛斗は感じていた。
「あれ、昨日も……?」
昨日のことを思い返す。確か、誠一と講義に出て、彩花とバイトの話をして、夜には――
凛斗はその瞬間、全身が凍りついたように動かなくなった。彼は昨日、確かに交差点で車に跳ね飛ばされた。全身に感じた衝撃、遠のく意識、そして真っ暗な世界。あれは夢ではない、確かに現実の出来事だったはずだ。
だが、今、自分はベッドの上にいる。
「夢……だったのか?」
呟きながら凛斗は顔を洗い、冷たい水で気を引き締めようとする。それでも、拭いきれない違和感が胸の中に居座り続ける。スマホを手に取り、何気なくLINEを開くと、誠一からのメッセージが表示されていた。
「おはよう、橘! 今日は何食べる?」
それは、昨日の朝と全く同じメッセージだった。同じ時間、同じ内容。まるで、昨日の自分に向けて送られたかのような正確さ。
「……嘘だろ?」
頭を振っても、現実は変わらない。凛斗はそのメッセージにただ驚愕するばかりだった。何かがおかしい、そしてその何かが、次第に形を成し始める。
大学に着いた凛斗は、いつもと変わらないキャンパスの風景を目にしていた。学生たちが講義に向かう姿、風に揺れる木々、軽やかな笑い声――すべてが正常なはずだった。だが、凛斗の胸に広がる不安は収まらない。
「橘、聞いてるか?」
隣から誠一が声をかけてくる。驚いて顔を上げると、誠一が昨日と同じニヤニヤ顔でこちらを見ていた。
「今日もぼーっとしてるな。何かあったのか?」
同じ言葉。昨日と全く同じ会話。まるで舞台の脚本が繰り返されているかのようだ。凛斗は視線を落としながら、小さく答える。
「いや、なんでもない……。」
だが、心の中では確実に"何か"があったと叫び続けていた。この一日、いや、この瞬間は確実に昨日も体験したものだ。
講義が始まり、教授が黒板に書き始めた内容もすでに知っているものだった。板書される式、説明の順序、そしてクラスメイトの反応までが、すべて昨日と完全に一致している。
「……なんだよ、これ。」
凛斗はノートに何も書けず、ただ机の上で震える指を見つめた。もはや偶然では説明できない。この一日は繰り返されている。何度も何度も――同じ月曜日が続いているのだ。
講義が終わり、誠一と共に教室を出た凛斗は、視界に映る景色すべてが異様に感じられた。学生たちの笑い声が遠くから聞こえ、世界が薄い膜で覆われているかのようだ。
「なあ、誠一……今日、何日だっけ?」
「は? 月曜日だろ。どうしたんだよ、橘?」
「いや、そうじゃなくて……今日は、本当に"今日"なんだよな?」
誠一は凛斗の問いに首をかしげ、不思議そうに笑った。
「そりゃそうだろ。橘、何変なこと言ってんだよ。」
普通の返答。凛斗の中では、その言葉が何か違うものに聞こえてしまう。誠一はループしていない。普通に今日を生きている。では、自分だけがこの世界で同じ日を繰り返しているのか?
その時、凛斗は遠くから声をかけられた。
「凛斗、今日のバイト、忘れないでね!」
振り向くと、彩花が笑顔で手を振っていた。昨日と全く同じ笑顔、全く同じ言葉、全く同じタイミング――。
「……ああ、忘れないよ。」
凛斗は無意識のうちにその返事をしていた。だが、自分の声がどこか遠くから聞こえるように感じた。この世界で、何かが確実に狂い始めている。自分が壊れ始めているのか、それとも――。
その夜、凛斗はまたしてもあの交差点にいた。薄暗い街灯に照らされる交差点で、彼はいつもと同じ時間に車に轢かれる瞬間を迎えた。
そして、次の瞬間、またベッドで目覚めた。
「……またかよ……。」
時計は午前7時30分。カーテンから差し込む日差し、鳴り響くアラーム、誠一からのメッセージ。全てが、もう一度始まっている――凛斗の"崩れ始めた日常"が。