リゼ
リゼ
リゼは闇の中で生まれた。そう言っても過言ではないだろう。
父は姿を見かける程度だった。
母はたくさんの子を産み、育てなかった。
兄弟と殺し合った。
この国の北には、岸壁に立つ古い城があった。尖った塔の横には木造の古い建物が並び、それはあたかも鳥の巣のようだ。夜になると巨大な蝙蝠のような群れがそこから飛び立つ為、皆不気味なその城に近づくことはなかった。
リゼはそこで育った。物心ついた頃には剣術を覚え、鋭い刃で兄弟に切りかかった。食べ物は裏の山で採れた物が主流で、時に毒が含まれる食材が混ざり体が痺れて動けなくなる事もある。慎重によく噛んで食べなければ、急激に毒を摂取してしまい、最悪死に至る。
食事中に兄弟の誰かが倒れることに慣れてしまい、泡を吹いていても死んでしまっても気にならなかった。
母は知らない。というのも、産まれてすぐ別室に連れて行かれ、抱かれた記憶もない。時々食堂に現れる女性がそれだというのなら、親でも他人として生きられるのだなと思う。
「俺は母の子守唄を聞いたことがある。」
一番近い年の兄が、自慢気に他の兄弟に語っているのを耳に挟んだことがある。彼は自分に刺されて大怪我をした。その晩母が部屋を訪れ、頭を撫でながら優しく子守唄を歌ったというのだ。リゼは子守唄を知らない。食べ物と勘違いしてしまったのは、兄とは殺し合うほどの仲で十分な情報を得られなかったからだ。
「それは美しい声だった。」
他の兄弟たちは興味津々で彼の周りに群がる。より一層大きな声で自慢する兄に嫌気がさし、リゼはその場を離れた。
「大怪我をすると、母に会えるらしい。」
弟たちはそのビッグイベントを逃したくなかった。幾ら斬りつけてもどこか嬉しそうに向かってくる彼らを毛嫌い、リゼは剣を投げ捨て気絶するまで彼らに殴る蹴るの暴行を加えた。それは兄がこのイベントを弟たちに伝えた日から始まりしつこく続いた。
ある日、リゼは父と呼ばれる人に呼び出された。彼は王妃様の護衛を生業としている。この城には滅多に現れないいわゆる知らない男だ。
「お前は才能がある。しかし、兄弟を殺してはいけない。」
あぁ。とリゼは納得した。最近一番下の弟がいない。自分が滅多打ちにして以来見ていない。多分予後が悪く死んだのだろう。
「彼は、自分が傷付けば母の子守唄を聞けると思い、喜んで殴られました。」
もはや弁解する気もなかったが事実だけは伝えて、リゼは父と言われる人をじっと見つめる。曇りのない瞳に、父はため息をついた。
「そのような話はない。母親は約束の日まで子どもたちに接触しないようにさせている。」
ため息をつくと、父はリゼの両肩に手を当て目をしっかりと見て話す。
「皆大事な子どもだ。殺してはいけない。」
抱きしめられたが気持ちが悪く、リゼは一瞬の不快に耐えた。
「子守唄は嘘だ。」
悪びれた様子もなく、リゼは面と向かって兄に伝える。
「父がそう言って……。」
言い終える前に、兄はリゼを思い切り殴った。油断していたため、かなり地面に叩きのめされ口の中に鉄の味が広がる。
「羨むなよリゼ。」
兄は弟たちを背に彼を嘲笑った。
「お前には一生聞けないだろうからな。」
怒りも悲しみもそこにはなかった。ならば皆にそれを味合わせてやろうという親切心だったに違いない。リゼは兄の腹を切り、弟たちを滅多刺しした。
彼らは母の子守唄が聞けたのだろうか。
北の城には地下牢がある。冬は寒さで死ぬらしいそこに、リゼは閉じ込められた。薄い布一枚を硬く体に巻き、じっと寒さに耐える。今まで食べさせられてきた毒物や兄弟に刺された傷よりさらに過酷な状況だった。兄弟たちは死んだのだろう。そして自分もここで死ぬのだろう。
寒さで麻痺した体は火照り、北風が暑く感じる。死に恐れはない。生きることの方が彼にとって苦行だった。
「お前がリゼか。」
暖かい夢から連れ戻され声のする方に視線を向けると、そこには黒髪の老人が立っていた。
「お前には才能がある。」
老人は牢の鍵を開けると、リゼの腕を掴んだ。死人のように冷たい手のひらも、冷えた体には暖かく感じた。老人は動かぬリゼの体を引きずり牢屋から出すと、自室に戻れと指示した。
「齢七つを待て。お前なら生き残れるかもしれぬ。」
リゼは這うようにして自室に戻ると、布団を掴み包まったまま長い眠りに落ちた。
心地よい声が聞こえる。美しい旋律にのって暖かい手のひらが頭を撫でる。
目覚めは最悪で、どうにか体を起こし食堂に行くと手当たり次第口に詰めた。毒など地下牢の寒さに比べれば大したことはなかった。残念ながら自分は生き延びたらしい。食事を運ぶ従者が二人やってきて、それぞれの机に食べ物を運ぶ。もう一つの席には兄が座っていた。互いに睨み合い交わす言葉などない。
「いつか殺してやる。」
吐き捨てるように言うと、彼は腹を庇いながら自室へと逃げ帰った。
七つを待て、と言った老人の言葉の意味がわかったのは、リゼが六つの時だった。父と言われる男が兄に言った。
「この城の男児は齢七つになった時狼の森に献上される。生き残り城に戻った者のみが後継として認められる。」
兄は従者に立派な鎧や盾、剣を与えられ食糧を背負った。
「必ず帰ります。」
父に誓うと、兄は城を降り独り狼の森に入って行った。鬱蒼とした森に、絶えず狼の唸り声が響いた。
その日以来、リゼは今までの自分に与えられた苦行の意味を理解した。剣は生き抜く為。食事は森での生活の為。それぞれがつまり、狼の森で生きるための訓練だったに違いないと。だから翌年七つを迎えたが、狼の森での生活に抵抗はなかった。狼は大きいが所詮刀を持たぬ獣で、食べ物も毒物を無理して口に入れる必要はない。ねぐらを探し食べ物を手に入れ、狼を凌ぐ。毛皮が存分に取れ、冬の寒さも地下牢の比べものにならぬぐらい暖かい。おおよそ幸せといえる生活を暫く満喫し、リゼは森を去った。正確に言えば飽きてしまったのだ。変わらぬ穏便な暮らしに。唯一興奮したのは、兄の剣と胸に深い傷跡がある白骨死体を見つけた時だけだった。
無傷で帰った彼を迎えたのは、初めて見る母の姿だった。食堂で時々見かける女性と話をしたのはその時が最初で最後だった。翌日孕んでいた母は、自分で腹を引き裂き胎児を取り上げた。そしてそれを愛おし気に抱きしめたまま逝ってしまった。胎児は息絶えていた。
初めて聞いた母の声は、地下牢から生き残った晩に聞いたそれて似ていたのかもしれない。旋律のかけらすら覚えてはいないが。リゼを一人後継に残し、母は役目を終えたのだろう。
後継者が決まり、リゼの周りに知らぬ人々が顔を出すようになった。中でも地下牢から救った老人は彼の祖父にあたることを知ったリゼは、彼を慕った。祖父は王の護衛をしていた。王の護衛とは表向きは煌びやかな世界にいるようだが、実際は逆らう者を始末する仕事だった。
昔から北の城には木造の建築物が寄りかかるように併設され、蝙蝠のように黒い服を纏った暗殺集団が住まう。瞳は赤くまるで吸血鬼のような彼らは、瞬時に反逆者たちを襲い跡形もなく消し去る。
それらの集団( 従者)と共にリゼもまた祖父に連れられ仕事を手伝った。返り血を一切浴びず帰ってくる彼の姿を皆が称賛し感嘆の声をあげる。あまり感情を見せないリゼだったが、彼はこの仕事に誇りを持っていた。
反面、父と言われる男と共にやらされている日中の護衛には嫌気がさした。父は王妃を、リゼは王妃の子を護衛していた。しかし、転んだだけで助けを求め手を貸すと甘えてくる王妃の娘たちに毎日うんざりしていた。自分が生きてきた環境とはまるで違う甘ったれの姉妹に嫌気がさし、邪険に扱えば父に叱られる。父はというと、王妃様を守る為影のように張り付いているかと思えば、時に見たこともない笑顔を王妃に向ける。生まれてこの方殺し合いや憎しみしか知らないリゼにとって、二人のやり取りは気持ちの悪いものでしかなかった。罵倒や怒りは斬りつけて殺せばなくなる。しかし、目の前の笑顔についてはどう処分したら良いのだろう。これほどまでに嫌な気分なのに。
ストレスを発散するかのように、リゼは今夜も一人で反逆者を大量に片付けた。死体の山に腰掛けそれらを眺めるも気が済まない。
( あぁ。私は、あの二人をこの世から消し去りたいのだ。)
リゼにとって地獄のような日々は、ある日突然終わりを迎えた。
「王の一族は、私たち護衛の元に成り立っている。しかし彼らはどうだろう。それらに感謝せず当たり前のように過ごしている。ある王族は護衛にかかる費用を削れとまで訴えてきた。勘違いも甚だしい。我々こそが真の王だ!なぜなら、我々なしに王の地位は成り立たぬからだ。」
祖父は怒り狂い、北の城の従者を集め、王座奪還の日を計画した。リゼは祖父に呼ばれ、作戦の全容を知る。
「金色の髪は王族の印。それらを全て殺してしまえばいいのですね。」
冷静なようでいてリゼは高揚していた。あの邪魔な王妃と子どもを一番初めに殺そうと決断し、今か今かと疼く体を何度も鎮めた。
ついにその日はやってきた。
リゼは足取りも軽く、真っ先に王妃の部屋に向かった。しかしそこはもぬけの殻で、ただ一人父が椅子に腰掛けている。
「王妃とその子はいずこへ。」
リゼはイライラして問いた。父はリゼに手を差し伸べ、本来の任務を果たすべきだと語る。
「我々は代々王の護衛を生業とする。それが定めだ。」
リゼは鼻をフンとならした。
「それならば、守ってみせるがいい。」
生まれてこの方負け知らずだった。不快なものは全て目の前から消した。
( 父もあの女も消えればいい。)
リゼは怒りの全てを父にぶつけた。しかし彼は、リゼの剣を全て受け止めるも一向に向かってこない。王妃を守るための一枚岩とでも言ったらよいのだろうか。リゼを援護しようと、従者たちは大勢で父を襲ったが触れることすら敵わない。味方は全て倒れ、そこにはただ二人だけ残った。
( 敵わないかもしれない。)
悔しさから涙が頬を伝う。袖で何度も拭きリゼは握りしめた剣先を父に向け息を整えた。
「殺してやる。」
時の声を上げ向かってきた息子を、父は優しく抱きしめた。剣が宙を舞い、床に落ちる。カランカランと高い音が部屋中に響き渡り、リゼは自分がいる場所の心地悪さにもがいた。父はリゼを抱きしめたまま顔を覗き優しく語りかける。
「剣は人を傷つけるものではなく人を守るものなんだ。リゼ。本当の強さとは誰かを守ることなんだよ。」
キツく睨む瞳を全て受け止め、父は優しく微笑む。そしてそのままリゼの体に寄りかかるように倒れた。背後には尊敬する祖父が赤い瞳を灯して立っていた。
「この者を永遠の牢屋へ運べ。王妃の居場所を吐かせるのだ。」
祖父は従者に命令し、リゼの手を取る。涙の跡をさっと拭き、リゼは祖父の前にひれ伏した。
「私も貴方のような力が欲しい。その赤い瞳を、最強の力を。」
祖父はリゼの前に座り、低い声で命じた。
「その時は必ず来よう。永遠の強さと命をそなたに授けることを誓う。」
ザッと音を立て、全ての従者たちがリゼの前に頭を垂れる。祖父に手を引かれリゼは立ち上がった。皆の前で、父ではなく孫に祖父は世継ぎを約束した。
「私はその日まで、必ず最強と呼ばれる強さを手に入れます。この失態に報いるように精進致します。」
父は拷問を受けたが王妃の居場所を一切明かさなかった。瀕死の状態で永遠の牢屋と言われる場所に閉じ込められた彼の生死は知らない。祖父は現王を支配し狂わせたまま王座に座らせ、裏で政治を操る。王族の血を現す金髪の者たちは、王を殺そうとした反逆者として罵られ差別を受けた挙句に殺され続けている。
現王の体が腐ってきたと祖父がぼやいていた。
リゼは祖父の命を受け海を渡る。父は居場所を明かさなかったが、この国の南の森深くにひっそりと聳える城に全ての情報が集まることを彼は知らない。怪しげな赤毛の男が祖父に語った話だと、海を渡った先の枯れた大地に逃亡した彼らは、そこで畑を耕しひっそりと暮らしているらしい。潮風と照りつける太陽に嫌気がさし、リゼは早々船内で眠りについた。赤毛の男が嬉々として先導し、船は迷わずその地に辿り着いた。
砂埃の舞う枯れた大地に、古びた木造の家が一軒寂しげに建っている。庭先の小さな畑には萎びた作物が小さな実を結ぶ。先に走って家に入った赤毛が嬉しそうに手を引いて男を連れてきた。リゼは手の震えを抑えた。彼は目の前で軽くお辞儀をする。
「王子様です。間違いない。」
赤毛は満面の笑みで聞いてもいないことをペラペラと喋った。
言われなくても血族であることは分かる。他のものとは比べ物にならないほど美しいブロンドの髪が風に靡く。しかし、痩せこけた手は骨張っていて、謳歌した時代の影はない。家の戸に齧り付くように、二人の姉妹がこちらを睨んでいる。
「迎えにきた。」
リゼはそれだけ伝えると、王子の手を引いた。
「お待ちください。」
遠くで聞こえる声に耳を貸さず、リゼは半ば引きずるように彼を運んだ。声の主は間違いなくあの女だ。王妃だ。全身に鳥肌が立ち吐き気がする。嫌悪感で振り向く事すら苦痛を感じていたリゼの雰囲気を感じてか、赤毛の男は一人王妃に駆け寄ると、
「王子は腐った王の代わりを務めるのです。」
と簡潔に伝えた。王妃は赤毛がこちらに追いつくまで何も言わなかった。娘たちの啜り泣く声も遠くなっていく。リゼが一息ついた時、王子が振り返った。それは一瞬だった。
「行ってらっしゃいませ。」
王妃の声が聞こえ、王子が目を細める。彼らはこの期に及んでまだ王としての勤めを全うしようとしていた。
「お前はただの飾りとして意識を失い、朦朧としながら王座に座らされるだけだ。」
リゼは冷たく言い放つ。王子はただ頷く。
「それが私の定めならば、全うするまでだ。」
「殺してはいけません。」
赤毛の男が二人の間に入る。
「生きたまま運ぶ約束です。」
リゼは震える手で剣を鞘に収めると、王子を思い切り叩きつけた。痩せこけた体は簡単に倒れ、慌てて赤毛の男が埃まみれの彼の手を引く。彼らは無言のまま帰路についた。変わらず赤毛の男は王子に話しかけているようだった。リゼは苛立ちを抑える術もなくただ鞘を握る手に力を込める。
現王は王座に座らされ続け、気が狂って白目を剥き涎を垂らしたまま天井を見つめ続ける。老いた体は所々皮膚が剥がれ腐り始めていた。王子は彼の前にひれ伏し、一筋の涙を流した。
王子の戴冠式はひっそりと行われ、その後の現王の行方は知られていない。同時期にリゼも北の城と奇病を祖父から譲り受ける。奇病に感染した者は、永遠の命と尽きぬ力を手にするという。リゼは嬉々として全てを受け入れた。
そしてその日の晩、従者に命じて彼は「永遠の牢獄」から父を引きずり出した。そう、彼は長い間生きていた。脱出不可能な山奥の小屋で、屋根から漏れる雨水を啜り這う虫を食べ、じっと動かす最小限の体力で生き抜いていた。
「ずいぶん痩せたな。」
目の前に現れた父を見てリゼは嘲笑った。愉快で腹を抱えて床を転がりたい気持ちをグッと抑え、立ち上がり上から眺める。俯き長く伸びた髪を床に垂らすが、そこから覗く瞳の輝きはあの頃と全く変わってはいない。ゾクゾクする体を押さえ、リゼは靴先で父の顎を上げた。
「前王は腐って死んだ。次期王もまた、長きに渡り王座に座らされ狂っている。」
真白な瞳で空を見つめるブロンドの王子を前に、父は小さく声を上げ平伏した。
「ご無事で。」
「王妃と娘たちは枯れた土地で貧困に喘いでいる。」
リゼはふふんと鼻で笑うと、髪を掴み顔が良く見えるようにしゃがみ込んだ。
「奴らの命も私の意のままだ。」
「王族を守るのが我らの定めであろう。」
言い終われぬ内に、リゼは父を天井高く蹴り上げた。祖父から譲り受けた奇病は絶大な力を発揮し、昔父に敵わなかった彼はもういない。地上に打ち付けられ悶えているそれはもうリゼにとって恐るるに足らず、彼はつまらなそうに父の腕をとり耳元で囁いた。
「お前の子供たちは殺し合い、妻は自害した。それでもなお王族を守りたいか?」
答えは返ってこなかった。だらりと首を垂れる父に失望し、リゼはそれを引きずったまま王子を床に投げ捨て王座に座る。
「定めの行先がこれとは滑稽だな。さて再度問おう。お前は王族を守りたいか?」
王子は天井を眺めながらウフウフと笑い涎を垂らす。
「守…ろう。」
力なく発する声が大広間に消える。
「ふむ。」
わざとらしく頷いてリゼは子守唄のように優しく唱える。
「ならば、我が奇病を受け入れ、永遠の忠誠を我に誓え。」
リゼは王座を愛しく撫でながら歌う。
「王族の命は我が手中にある。王族の命は我の意のまま。」
父は小さく笑った。そうしてゆっくりとリゼの前に首を垂れ、
「そのような定めなくとも、そなたを守ろうぞ。」
と呟いた。
リゼは立ち上がり彼の首元に思い切り歯を立てる。奇病が流れ込み身体中の細胞が死にゆく中、意識だけは途切れなかった。父は、セス.オーギュストはもがき苦しみのたうちまわり、そして動かなくなった。
「運べ従者たちよ。そいつは今日から我が僕だ。」
思い通りになり気持ちが良いはずなのに内側から湧き出す苦々しい感情に吐き気を催しながら、リゼは立ち去る彼を睨んだ。相変わらず王子は天井を見つめにへらにへらと笑っている。
「気持ちの悪い。」
王子を蹴り上げると彼は床をゴロゴロと転がったまま嬉しそうに声を上げる。王座に唾を吐き、リゼはその場を立ち去った。
その後腹違いに娘と息子を授かるも王座を手に入れたリゼにに余裕はなく、次々に現れる反逆者と金髪一族の抹殺に日々追われる。父はリゼを守り、そして時間が許す限りで孫の部屋を訪れる。リゼは息子に名をつけない。孫に我が名セスを捧げ、父はまるで今までの日々を償うようにセスに労りと愛情を注いだ。
ある日は海に連れ立って遠方を眺めた。弓の達人でもあった彼の技を伝授し、共に狩を楽しんだこともある。剣術や薬学など自分の持つ技全てを教え、夜は子守唄を歌いセスが寝つくまで頭を撫でた。
リゼはその様子をただ伺っていた。あるいは幼き自分にセスを重ねていたのかもしれない。
しかし運命の日は残酷にも訪れ、セスは齢七つにして狼の森での生活を強いられる。
「もうよいのではないか。幼子を狼の森に残すなど古いしきたりでしかないよ。」
父は低く柔らかい声でリゼに問いかける。
「そなたも我を狼の森に捨てたではないか。」
リゼは運ばれてきた狼の血液を飲み干し、父に冷たく言い放った。
「彼らの血肉は良い。身体中が蘇るようだ。狼を狩り我らの快楽とするために、彼らより劣ることは許されぬ。」
「故に狼たちは我らを滅ぼそうと血眼で襲ってくる。あの森に入ればセスも例外ではあるまい。」
心配そうな父に唾を吐き、リゼは自分たちにもそうしてきたではないかと冷たく突き放す。
「死ねばそれまでだ。名もなき息子など必要ない。王位は永遠に我のもの。ああ、そうだ。」
リゼは名案とばかりに声を上げて大袈裟に騒いだ。
「あいつは狼王の森に捨ててやろう。狼どもの主人に喰われるとよい。」
眉を顰める父を前にリゼはこれ幸いとセスの旅路を急いだ。従者たちは急ぎ旅立ちの準備に追われ、父は一人思案に暮れる。
セスの旅立ちの日が来た。祖父から習った弓道具も肩に背負い、森深くに入っていく。リゼは北の城高くからそれを眺めた。従者たちは森の深くに彼を誘う。セスはただそれに従った。
静かな子だった。あまり話さず冷静に物事を判断する能力に長けていた。セスは深い森の中で慎重に辺りを見渡した。四方から迎えられるように狼たちが姿を現す。自分より何倍も大きい狼は牙を剥きセスを囲む。背中の弓に手をかけた時、狼たちの間から銀の髪を揺らし同い年ぐらいの少年が現れた。
「お前の名は。」
彼は聞いた。金の瞳が光り、セスはその瞳に圧倒され動けない。
「セスだ。名もなきセス。」
少年はにこりと表情だけ動かしセスの手を取る。
「狼王がお待ちだ。来い。」
リゼの従者たちが慌てて阻止するも、多勢に無勢。みなけちらされ、セスは少年と共に森の奥深くに消えた。
「何故だ!」
リゼは怒り狂い、報告に来た従者たちをすべて薙ぎ払い床を鳴らしてウロウロと歩き回る。
「狼を狩り、血肉を奪っている。古より敵対している奴らが何故息子を受け入れる。」
その時視界に護衛として影のように近くにいる父の姿が映る。彼は護衛のない夜、名もなき息子の元に通っていた。
「お前は何をした。」
リゼは彼の前に立ち睨む。父はほぅと一息つくと、素直に答えた。
「セスを狼王に引き渡した。その剣と交換に。」
リゼは愕然として王家の刀に目をやる。金髪の王の背後に飾られている盾と剣は全てにおいて最強と言われている。そしてその剣は確かにどこにも見当たらない。
「これは永遠の命を持つ私たちですら切り裂く剣。正気の沙汰ではない。何故だ!何故。」
怒りににワナワナと震えるリゼを前に、父は平然と答える。
「かわいい孫ではないか。目に入れても痛くはない。」
「だから私たちの命を差し出したというのか。」
「そなたはわしが守ろう。心配無用だ。」
笑顔で答える父に空いた口が塞がらず、リゼは怒りに震える。
「裏切ったな。お前になぞ守られる必要はない。二度と、二度と私の前に現れるな。二度と。」
声にならぬ声をあげ、リゼが従者に命令する。父はそれに素直に従い、永遠の牢屋に消えた。息も荒く、リゼはそのまま赤毛の男を呼び出し船に乗る。枯れた大地にはあの憎き王妃が待っていた。
「お茶でもいかがでしょう。」
彼女は薪をくべ湯を沸かし、干した野草で薄い茶を淹れて彼をもてなした。娘たちはそこにおらず、彼女の指に金のリングはない。
「娘たちを逃したらしいな。」
赤毛の男から事前に聞いていた。娘たちの行く先をすぐに従者に追わせ姉は抹殺しリングも回収した。一通り理解して来たが怒りがおさまらず、リゼは差し出された茶を床に投げつける。器が粉々に割れて板間を濡らす。しかし彼女は恐れる様子もなく、またもう一つ木のコップを戸棚から取り出して大切そうに撫でた後、お茶を淹れた。
「娘の物だったんです。夫が木を削って作りました。もう随分長く使ったもので古びているのですが。」
お茶を差し出すと、王妃は立ち上がり壊れたカップの破片を拾った。小さな背中が小刻みに震えている。リゼは机上のコップを眺めながら、
「姉娘は死んだ。」
と言って金のリングを机上に投げ捨てた。
「妹娘の居場所も分かっている。後は時間の問題だ。」
「王子は狂い、護衛であった父セスも裏切り永遠の牢の中だ。」
一気に吐き出すとリゼは一息ついて王妃の姿を見た。どんな表情を浮かべているのか楽しみでならなかった。しかし、振り返った彼女は凛とした表情でそこに悲壮感はない。
「そうでしたか。」
彼女は答えると、背筋を伸ばし椅子に座った。そうして、
「私に残された仕事は何でしょうか。」
と答えた。
リゼは愕然とした。この女はこの期に及んでもなお、王妃として生きるつもりだ。自分の役目を全うするつもりなのだ。
「死ね。死んで詫びろ。」
拳を握り睨みつける。
(お前のせいで父は家庭を顧みず、母は自殺し、兄弟は殺し合った。お前のせいで。」
思考が声として漏れ出し止まらずリゼは唇を噛む。流れ出した血液が机上にぽたりぽたりと落ちてドス黒い跡を残す。
王妃は彼の言葉にじっと耳を傾けていた。
(だからわたしは、お前に罰を与える。」
リゼは爪を噛みぶつぶつと声を上げ続ける。
王妃は彼の姿を見つめると立ち上がり、慈悲の心で抱きしめた。
あまりの驚きにリゼの体が硬直する。あの嫌な心臓の音が耳を伝って身体中に染み込み、生ぬるい体温が体にこわばりつく。リゼは震える指で剣を強く握った。
「それが定めなら、私は構いません。」
リゼは彼女を突き飛ばすと、剣を抜いた。最強の力を手に入れた。恨みを晴らすべき相手をは目の前にいる。リゼは歓喜の声を上げる。
「私は今までたくさん人を殺めた。邪魔な者は消す。そうすれば私は楽になる。お前も変わらない。私の目の前から消えろ。」
ピァは胸の前で手を組むと、膝をつき神に祈りを捧げる。
「あぁああぁあ。」
鬨の声をあげ、リゼは剣を振り下ろす。血飛沫が顔を染め剣は床を突き抜け深く刺さった。
どくん。とくん。…。
耳の奥に鳴り響いていたあの嫌な心音が消えた。代わりに自分の荒い呼吸が耳奥で繰り返され、リゼは落ち着きを取り戻す。
「はは、ははははは、さざまぁみろ!いい気味だ!」
リゼは腹を抱えて笑いながら家の外に飛び出した。
「処分しろ!これを早急に処分しろ!」
叫び従者を呼ぶと、従者が次々とリゼの前で首を垂れる。赤毛が遅れてへらりへらりとやってきた。
「役目を全うされたのですね。リゼ様。」
リゼは赤毛に目配せをすると勝ち誇り、声を上げた。
「生き残っている金色の髪は全て抹殺しろ。あぁそうだ。穢れた血は一掃しなくては。」
従者たちが返事をして颯爽と姿を消す。リゼもまた彼らを先導して闇に消えた。
寂れた土地で古い小屋の戸が風に揺れて音を立てる。暖炉の灯火は消え、暗闇が訪れる。
「あぁ、気持ちが良い宵じゃありませんか。仇は全てさよならだ!王子は狂い、父は牢獄。娘たちは死に、王妃は自殺だ!ひゃっほぅ!。」
赤毛は一人暗闇に叫んだ。
「金のライオン闇を食べ、
すべてを手に入れ闇に落ち。
黒いライオン月を食べ。
すべてを手に入れ闇に落ち。
後はまっくらどうしよう。」
「しかし私は闇に囲まれた世界というのはどうも苦手でね。おぉ。くわばらくわばら。」
赤毛はまたタバコを加えて蒸すとコソコソと姿を消した。煙が一筋風に流されて闇に散った。