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記憶売買人~天才と呼ばれる作家編~

作者: アキヒロ

私は人によく天才だと言われる。

デビュー作が社会現象を巻き起こしたとき、最年少で芥川賞を取ったとき。そして今日もまた、私は天才だと言われる。


「どうしてそんなに人の心を描くのが上手なのでしょうか?」

「なに、簡単な話。実際に体験した人に頭の中をのぞかせてもらったんですよ」


ここで私が取り上げたいのは私のユーモアが面白いかどうかではなく、このユーモアが冗談ではなく嘘偽りない真実だということだ。

これは私の誰に向けたものでもない謝罪文だ。この世に無数に存在する天才たち。また、その才能を生かしきれなかった人たち。その人々に私は少なからず罪悪感を覚えている。私に張られた天才というレッテルは彼らのためのものだったはずでありそれを奪ったことに対する罪悪感であり謝罪文だ。


「いらっしゃい!お待ちしておりましたよ」


高校生の頃の私に、ある日奇妙なことが起こった。いつもの帰り道のはずなのにそこには今まで見たことない店が立っていたのである。さらに奇妙なのはそんな奇妙な店に私が何の警戒心も抱くことなく入ったいうことである。


「ここは?何のお店なんですか?」


私は目の前の黒いスーツに全身を包んで眼鏡をかけ、髪の毛を七三分けにした。いかにも怪しげな男に尋ねた。


「当店が取り扱っておりますのは”記憶”でございます。今まさにお客様がお求めになられているでしょう?」


当時の私はもうすでに小説を書いていた。だが、その文章は拙く、心情描写も分かりにくい。要するに努力しない、才能もないどこにでもいる学生で凡人だった。

そしてその時私は恋愛シーンを書いており、恋人がいたことない私は頭を悩まされていた。


「き、記憶?それってつまり自分で体験してないことも体験したみたいになるってことですか?」

「はい!その通りでございます!こんな日常からあんな非日常までありとあらゆる記憶を取り扱っておりますよ!」


私はその時、愚かながら理解した。これはチャンスだと。この人にいろいろな記憶を売ってもらえれば、私は小説を書く上で誰も持ちえない武器を手に入れると。そう直感した。


「いくらなんですか?僕、バイトだってしますし何ならこのお店の手伝いだってやります!だからどうか記憶を売ってもらえないでしょうか?」


お金のあてなどない当時の私の精一杯だ。しかし、スーツの男は思わぬことを言ってきた。


「いえ、とんでもございません。記憶を売る場合には当店。お金ではなく記憶を頂いております」


記憶を?つまり記憶が欲しかったら記憶を差し出せということなのか。しかし、私が欲しいのは小説の世界のような美しい体験をした人の記憶。私がその対価を払おうとするならば、それはお金を請求されるより大変なことではないのか。すると、スーツの男はこう答えた。


「それは問題ございません。人は誰しもが唯一無二の体験をしているものなのでございます。そこに優劣をつけるのはあくまで本人たち。本来記憶のすべてには同じ価値があるものなのです!」


雰囲気とは違い、意外といいことを言う奴なんだと当時の私は思った。私の取るに足らない日常までも褒めてくれたような気がして気分が良かった。


こうして私は初めての買い物をした。それは甘酸っぱい青春の記憶だった。実はこれがデビュー作。なんてオチがあるわけではないがこの作品が今までと明確に完成度が違うものだったことで私はあの記憶を商品として扱う店の常連となった。

そこからことあるごとにその店は都合よく私の前に現れた。そのたびに私は取るに足らないと思っていた日常を売り飛ばし、喜劇や悲劇を買い取った。


「まるで経験談だ。君は天才だよ!」


今でもはっきり覚えている。デビュー作が完成し、担当に呼んでもらったとき、私はそのセリフを初めて言われた。だが、うれしかった半面。どこか心に嫌な何かがこびりついたような感覚があった。

そしてそのこびりついた何かは次第に大きくなりいつしか私の心の大半を占めるまでに至った。


「そう、私はズルをしていたんだよ。一人の人間では経験しきれないほどの体験を私は君からたくさん買い取った。この先、私がどんな作品を生み出そうと私の中にはもはや、達成感なんてものはない。あるのはズルした気持ちだけだろう。だから私はもう作家はやめるよ」


我ながら器が小さい人間だ。そんなこと本来は気にしなくていいのだろう。だが、他の人たちが一生懸命苦労しているところをスキップし、おいしい蜜だけ吸っているという紛れもない事実は私にとってはそんなことでは済まされないことなのだ。


「そうですか......では、今日は当店にどのようなご用件で」


そのスーツ男は高校生の頃の記憶と何も変わらない姿で何十年も私と接してきた。どうしてなのかそのことを不審に思った記憶もない。いつの間にか私自身の記憶すらも頼りないものへと変わってしまった。

今、私の中に”本当の私の記憶”はどれくらい残っているのだろう。いや、そんなことはもういい。


「私の記憶を返品することはできないだろうか?お代は今まで君から買い取ったすべての記憶だ。だめだろうか?」

「申し訳ありません。毎度のたびに申してはおりますが当店。返品は不可となっております。まことに申し訳ありません」


間を置かずにそう返された。返品不可......そんなこと言ってたのだろうか?まあ、不可というからには諦めるしかないのだろう。


後は小説の印税で手に入った大量のお金で楽しむとしよう。もう働く必要なんてない。思いっ切り人生を楽しむとしようじゃないか。あれもしたいし、これもしたい。やりたいと思ったらまず、行動し移すのが私のモットーだ。...あれ、そうだったか?まあいい。人生なんて結局は楽しんだもの勝ちなのだから。

......ところでこの感情は私のものなのだろうか?




「謝罪文ですか...自らの記憶を代償にし、遂には自分自身を見失った彼はこれからどんな楽しいことも辛いことも感動することも体験するのでしょうか。きっとそのあと、ふと思うのでしょうねー。

”本当の私はどう思うんだろう”って。罪に対するバツとして十分すぎる気がしますがね...」


そう独り言をつぶやくと鼻歌交じりに店の奥を消えていった。

彼は記憶売買人。取り扱うのは誰かの記憶。


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