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打切り  作者: ほしの
序章 主人公の登場
2/2

─生存の権利─ マノリ

 朧げなフィオナの意識に、その声は輪郭鮮やかに響く。


()()()()()()には、まだ早い)

 

 声の言うとおりだと思った。


──ここでわたしが(たお)れては、母の不名誉を永遠に雪げない。


 強い目的を持って砦を出立したことを思い出すと、ふたたび声が言った。

 

(わたしを受け入れれば、精神性を向上できる)

 

 その声が何を言いたいのか、フィオナにはいまいちわからなかった。頭蓋の中、消化不良の言葉がリフレインする。

 身体の感覚はもうなく、目はなにも映していない。


(一緒に戦いましょう)


 建設的な声がけを聞きながらも、死神に抱きつかれたような気怠さに抗えない。


──死にたくない、そう強く願ったところで、死ぬ時は死ぬ。わたしが(ほふ)ってきた魔獣たちが、そうであったように。


 憎悪も空虚感も手放して、優しげな死の抱擁にすべてを委ねてしまいたい。死ねばこそ母に逢える。それが自分の幸せなのではないかとさえ思う。


(執着を手放すのは、いまではない)


 声がフィオナを引き上げるように言った。


 手放すもなにも、この世に縋るべき(よすが)など、フィオナはなにも持ってはいなかった。

 自身の執着が思い当たらないフィオナを察して、声は言う。

 

(あなたの家族を、人生を、生き様を欲しがりなさい)


──家族、か。ひたすら縁がなかったな。まだ見ぬ母に焦がれた。憎しみだと思っていたけど、本音を言えば父というものに甘えたかった、かもしれない。

 

──親の愛を知らずに育ったわたしの中に、愛は存在し得るのか。自分がどんな人間なのか、わたしはまだ自身についてなにも知らない。

 

──わたしの家族、わたしの人生、わたしの生き様。それらすべてを得られなかった。このまま死ぬのは……寂しい。哀しい。


 そんな心境の変化に呼応するように、フィオナの暗闇に声が響く。


(彼は言った──求めよ、されば与えられん。それがこの世の摂理)


 陶然(とうぜん)とした表情を浮かべてフィオナは「フフッ」と笑った。

 

──なにもしなくてもどうせ死ぬのだ。ならば、この声に賭けてみよう。


 フィオナは穏やかな気持ちで頷く。

 

 ドクンッ!

 心臓が大きく脈打った。

 

──!


 暗闇だった視界が光に溢れた。

 フィオナの視点を中心に据えて、全球を囲って膨大に散りばめられたそれら。


 切り取られた光景が連綿と繋がる。

 その連なりは、幾千、幾億のおびただしいウミヘビのごとき様相を呈し、上下左右に蛇行して行き交う。


 遠くに近くに聞こえる大勢の言葉、あらゆるの物音と残響、悲喜こもごもの感情を伴う香りの様々に至るまで──


 圧倒的な情報のインストールは、現実の時間にして一瞬のインパクトだった。


 現実に引き戻されたフィオナは、何事かと目をパチクリする。


 首に突き刺さる激痛。顔に流れる魔獣のよだれ。まだフィオナは魔獣に首を咥えられていた。

 

(無詠唱魔術を!)

 

 緊迫感を増した声が言う。

 

 意識をもっていかれそうになりながら、両腕の力をなんとか振り絞って魔獣の首を掴んだ。

 

──溶岩の雨(ラーバ・プルヴィア)

 

 こぶし大のマグマの雨が、ベチャベチャと降り注ぎ始めた。


 溶岩は高温に燃えながら溶けた粘度のある液体。一度身体に付着してしまえば、チリチリと毛皮から炎が上がり、肉を焼き、食い込んでいく。

 

 魔獣は痛みに耐えかねて、咥えていたフィオナをボイっと投げ捨て、キャンキャンと悲鳴をあげる。 

 コロコロと転がりながら、フィオナはできる限り溶岩の雨を避け、剣を駆使してなんとか凌ぐ。


──助かった!

 

 タンパク質が焼ける臭いが立ち込める。


 魔獣は顔面についた溶岩を拭おうと、前足で何度も何度もこするが、その足掻きも虚しく。溶岩は魔獣の肉を焼き縮め、骨を暴いて、内部へ深く焼き進めていく。


「キャイ~ン! キャンキャン!」と、悲痛に叫んで地面をのたうち回る姿を痛ましげに見ながら、彼女は近寄る。

 

──苦しませるのは本意ではない。


 無惨な傷口を露わに、カッと目を剥いてフィオナを威嚇する魔獣。彼女はためらいなく、その首を一刀両断する。間をおかず、痛む脇腹をこらえながら残りの魔獣に目をやった。

 

 離れて様子を見ていたファングストーカーたちは、死んだ仲間をチラチラと気にしたあと、諦めたように一目散に走り去っていく。

 

──逃げてくれてよかった。

 

 足の裏から力が抜けていく感覚に抗えず、フィオナは深く息を吐きながら、その場に手をついてへたり込んだ。

 

──いよいよ死ぬかと思った……。まだ腹は痛いし、首にも深い噛み傷が残っている。声帯も潰されたままだ。


 継続効果魔術(パッシブスキル)のリジェネレーションでは完治に時間がかかる。

 

──回復魔術を使おう。

 

 フィオナは二度目の無詠唱魔術を試みる。


──治癒(ヒール)


 またしても術は成功し、喉は瞬時に回復した。脇腹と足も続けてヒールをかける。

 

 ストレッチをして身体に問題ないのを確認してから、マノリに訊ねた。

 

──ところで、あなたは何なんだ?

 

(わたしはマノリ。人格よ)


──人格?


(人格とは、そうね。精神体が水滴のようなものだと仮定して。水滴の外気に面した分子が人格。そんなところかしら)


 半眼で口を閉ざしているフィオナに、声は少し楽しげに声を揺らして付け加えた。


(わたしとあなたは、同一の水滴に内在する存在ということよ)


 更に声は続けた。


(わたしがまだ自意識を保っているのは、前世の死に方が原因だと思う。とあるヒトにやり直すチャンスをもらったの。わたしを受容した、いまのあなたならわかるはず)

 

 マノリの言うとおりだった。

 フィオナが知りたいことは、頭に浮かべれば答えがすぐに思い出せる。マノリに対する質疑応答は不要、という結論に至る。

 

(わたしはもうすぐ、あなたと完全に融合する──よろしくね)

 

──わかった。

 

 フィオナが返事をすると、その後はもう声は聞こえなくなった。

 

──まさか、ここにきて、こんなことが起こるなんて。


 フィオナは思い出した。自分がマノリという名の日本人だったことを。

 そして、自分を転生させた謎の人物、ウィーティイースのことを。


 少しの間、感慨にふけっていた彼女だが、あまりゆっくりしていてもまた魔獣に襲われかねない。

 すっくと立ち上がって、数回左右の足を屈伸する。

 

「今度こそ森を出よう」

 

 大きく息を吸いこんだ。嗅ぎなれた森のにおいが、どことなく新鮮に感じられて、胸がソワソワしてしまう。


──地球か。どこにある星なんだろうな。

 

 フィオナは逸る気持ちを抑えながら、夜明け前の悪路を足取り軽く駆けぬけていく。

 

 ◇◇◇ ◇◇◇


「ラ・ラ・ラ。ご多分に漏れず、小娘も森を出られず死ぬと予想したのにな。生きて出るどころか、無詠唱魔術を体得するとは面白い」


 食欲の森の主は、愉しげに「アヒアヒ」と笑う。


「……イヒヒ、しばらく退屈しのぎができそうだ」


 フィオナの背中が見えなくなった頃、魔獣オプティートは不気味な言葉を残して姿を消した。

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