─生存の権利─ フィオナ
誤字脱字や言葉の誤用、表現の不自然さ、読みづらい箇所などありましたら、ご指摘いただけると勉強になります。よろしくお願いいたします(人 •͈ᴗ•͈)
熱帯夜の茹だる空気にすっぽりと覆われた森は、草木や土が臭いたっている。
額に頬に這い落ちる汗を袖で拭いながら、不快そうに眉をしかめた少女は足を止めた。
「ふう」と、ため息をこぼしたあと。背すじを伸ばして顔をあげる。
櫛歯が欠けた木立の間から遠くに見晴るかす、濃紺の夜空に一層暗いシルエットを落とす塔のとんがり帽子屋根。
アカンサス帝国が皇族の住まいであり、公務を行う場でもある宮城だ。
──森の終わりが見えてきた!
二年にわたる生存競争は当然ながら、本人の望まずして置かれた状況だ。
溜まりに溜まった鬱憤を喉にぶつけて、「よっしゃ! 金はバッチリ持ってきた! 風呂ーっ! 飯ーっ! 首洗って待っとけよーぉ!!!」と叫んだ。
助走をつけて地面を蹴った。ニ回連続宙返り、着地するなり華麗にターン!
「フォォオオオオゥ!」と、左右のこぶしを震わせて咆哮したあと、キレッキレのオリジナルダンスにいそしんでいた──が。
手足をピタリと止める。耳をそばだてて眼球をあちこち動かして、慎重に言葉を発する。
「わたしの門出に水を差すとは。この愚行は高くつくぞ?」
グルルルゥ……
ガルルゥ……アゥゥ
「やれやれ。人生とはこんなものだ。良いことがやってくる前には、必ず試練が用意されている」
少女が悟った顔で首を横に振ると、『イヒヒ、アヒヒ』と、声を裏返して心底楽しそうに笑う声がした。
残響に似たある種のノイズを伴って、音源の場所を眩ませるように、少女を囲うあちこちからほぼ同時に声が聞こえてくる。
「違うな、フィオナ。フィオーナ」
声の主の姿は見あたらない。
「鳥も鳴かずば捕られまい」
曰く、森の主オプティート。森を歩く道中で、フィオナが使役魔獣にくだした魔獣である。
彼女は数回ジャンプして屈伸し肩をほぐしながら、どこにいるのかわからない使役魔獣に陽気な調子で言葉を返す。
「そうかもな。まあ、なんとかするさ」
フィオナは汗と泥に汚した顔で楽しげに笑った。
食欲の森の奥深くにある砦で暮らしていた頃から、彼女は暇や退屈な時間が嫌いだった。己の苦しみに注目してしまったり、答えのない思考を反芻したりしてしまうから。
だからこうして、たまにでも話し相手になってくれる使役魔獣の存在は、いてくれるだけで有り難かった。
「わざわざ言うまでもなかろうが、吾輩は貴様に手を貸さぬ」
「アテにしてないって。そうじゃなくても、不肖フィオナ、十四才! 助力を受けたら人生すべてが水の泡ってね」
少女が強気に言い放つと、使役魔獣は『ンヒヒ、頼もしい限りよ』と笑って気配を消した。
ガサッ
入れ替わるタイミングで、草むらから葉擦れの音がする。
オオカミに似た魔獣が姿を見せた。
一歩一歩踏みしめる慎重さから、彼らが高い状況判断能力を有しているとわかる。
「ファングストーカー。何頭引き連れてきたんだ?」
愛犬に対する声かけのようにフランクに話しかけるも、言うまでもないが彼らに人語は通じない。
魔獣は獰猛な双眸を獲物に向け、鼻面にシワを寄せてひくつかせている。鋭い牙と歯茎をむき出し、野太く唸っては息を吸う音を引きずって何度も繰り返し唸る。
右前、左後方……続々と姿を現した群れの仲間たちが、頭を低めて緊張感ある足取りでにじり寄り、フィオナを逃すまいと連携して外堀を埋めていく。
少女の顔から稚気が失せ、空気がひりついた。
──全部で六頭。こいつらは賢い。戦力を半分削れば、残りはひいていくはず。
経験則で敵の動きを予測した直後に、一匹の魔獣が動いた。
ガッ
水平に薙ぐ一閃の剣撃を、魔獣は唇の端にソードを食い込ませて鮮血を流しながらも、剣身の真ん中に噛みついて受け止めていた。
「ちっ」
剣を引き抜こうと腕に力を入れるが、魔獣は眼尻を吊り上げてガルガルと唸って首を左右に振り、血の混じったよだれを撒き散らす。
左右に揺さぶられる腕にフィオナは顔を歪めた。単純な力勝負では魔獣に劣る。
フィオナが手こずっているこの時に、背後に控えていた個体が動きを見せていた。
大きな躯体に似つかわしくない軽やかな足運びで木の幹に走り寄り、幹のコブやガサガサした樹皮に器用に四本の足を引っ掛けてスイスイとのぼっていく。
気づいたフィオナが振り返る。
──ほう……って、感心してる場合じゃなかった!
「まずいっ!」
──こいつらは魔術を使うんだ!
成人の太ももくらいはあるだろう木の枝に乗り移り、枝の上面を肉球で掴んでバランスを取りながら、そいつは立った。おもむろに、こちらに向けて口を開く。
口腔の奥から光が集束しだしたと同時に、フィオナはそいつに向けて左手のひらをかざした。
右手に握っていた剣の柄がするりと抜けた感覚に気がそれ、「しまっ……」
どすん! と脚に衝撃を感じてフラつく。
「ぐっ!!」
足もとを見れば、咥えた剣を地面に捨てた魔獣が、フィオナの右太ももに食らいついていた。
ガウアウ! グゥゥ……
──いっ……だが、いまはあっちの対応だ!
木の上の魔獣は先程よりも大きな光球を拵えていた。
フィオナは手のひらから魔術が放たれるイメージを頭の中に作って呪文を詠唱する。
「ラーバ──」
ところが、詠唱はぴたりと途切れた。
フィオナの目が驚愕に見開かれている。
ファングストーカーの魔術が先に放たれたのだ。
フィオナの右太ももには、大型犬ほどの個体が食らいついたまま。これでは身動きもままならない。
(暗闇に慣れた目に光は眩しい。それを利用して投擲するが好手)
突如、頭の中に女の声が聴こえた。鼓膜を介さぬ声の響きだ。
フィオナはこれに驚いたが、狼狽えている時間はない。なによりその言葉は有益なヒントに違いなかった。
──ヤツの起発点が、ヤツ自身の目に近い位置の口であることがアダになる、と。
起発点は魔術のトリガーとなる場所や部位の呼称である。人間なら多くの場合、手のひらがそれにあたる。
「うりゃ!」
フィオナは背中を屈めて左手を地面に突き立てる。
振りかぶった脚を蹴りの要領で、噛み付いているファングストーカーごと空中へ引きあげた。
同時に空いた右手で、地面に転がる剣の柄を探る。
──掴んだっ!
指先に触れた剣の柄を握り込むと、枝の上に佇む魔獣に向けて剣を真っ直ぐに投げ放った。
ギャン!!!
宙に浮いて魔術攻撃の盾となった魔獣は、地面にぼたりと落ちて「キャゥン」と、何度か消え入りそうに鳴いた。ごっそりと抉られた腹から、大量の血が流れ出している。
ドスンッ
一方の木の上の魔獣は、胸から尻を串刺しにされてズルンと枝から滑り落ち、地面に叩きつけられた。
「!」
フィオナは背後から別の魔獣が飛びかかる気配に、そばに落ちていた死骸の首皮を引っ掴み、そいつの顔をめがけて思い切り投げつける。
魔獣の両目に血が入り、生理的に嫌悪したらしく、すさっと後方に飛び退いた。後退しながら目を瞬いて、焦れたようにムニャムニャ言いながら、何度も前足で顔をこする仕草を見せる。
フィオナは他の三頭を盗み見る。
彼らは離れた場所から、落ち着いた態度でこちらを見ていて、動く気配はなかった。
──このすきに……
フィオナはショートソードを回収するべく走った。
フィオナが使える回復魔術はリジェネレーションとヒールのふたつで、それぞれ長所と短所がある。
ヒールは即効型だが、起発点が影響する範囲しか治せない。つまり損傷箇所が多い場合は、何度も呪文を唱える必要がある。
一方リジェネレーションは常時発動型。全身に作用するため手数を消費せずに済むのが利点だが、効果が緩やかで完治に時間がかかるのが難点である。
リジェネレーションをフィオナが自分に施術したのは砦を出た直後なので、現在も効果は続いている。
──足の怪我は……ヒールはまだ必要ないだろう……時間が惜しい。なるべく詠唱はしたくない。
串刺しになって死んでいる魔獣のそばに立つと、少女は三頭の魔獣たちを確認しつつ死がいを踏みつける。
足で肉を押さえながら、刺さった剣を引き抜いた。
血に濡れた剣を数回血振りしてから、魔獣たちを見やる。
──無詠唱が使えればな。いつか習得したいものだ。
無詠唱魔術は高等技術とされ、高い精神力や集中力が求められるため、使える者は多くない。
──来たっ!
一匹の魔獣が地面を蹴った。身体をバネのようにしならせて一気に駆けてくる。
フィオナは剣を構えて待ち構えてやめた。
──やつの後方から、もう一匹、外から回ってくる。
──正面から来た個体を剣で対応している間に、横からやられる。
フィオナはそばにある木を仰ぎ見た。
肩から外套を外して縄状にこよると、それを木の幹の向こうにぐるりと渡す。
──やつらが来る前に急げ!
縄状にしたマントの端を両手にそれぞれ握りしめ、自重でひっぱるようにしながら取っ掛かりを作る。縄状マントの位置を上に上にとずらしながら木を登っていく。
丈夫そうな枝にまたがると、「どんなもんよ! 木登りはあんたらの専売特許じゃないんだぞ?」と得意げに笑った。
そして呪文の詠唱を始めようとした、そのときだった。
「な!?」
一瞬見えた閃光──
焼け付くような感覚を覚えて腹を触る。
生暖かくぬめって黒っぽく見える手を見つめ、それから腹を見おろして青ざめた。
脇腹が一部無くなっている。
「くそっ」
ぽつねんと離れた場所に留まっていた魔獣を睨む。
──あいつが、わたしの逃げる位置を予想して、魔術を放ったのか!
フィオナは身体を支えきれず、枝から落ちてドスンと地面に突っ伏した。
弱った獲物を前にして、魔獣がほうっておくはずもなく。四頭の魔獣は喉を鳴らして、いそいそと駆け寄る。
一頭がフィオナの首に食らいついた。グルグルと声を漏らして、興奮した様子でフィオナの首に牙を突き刺したまま、首を激しく左右に振る。
肉体強化のバフをかけていなければ、細い子供の首なんぞは疾うに食いちぎられていただろう。
グリッ
嫌な音がフィオナの耳に届いた。
それは魔術師にとって、手足をもがれたも同じことを示している。
──っ喉笛を潰された
なおもメキメキと骨を伝って聞こえる音に、フィオナは死を予感した。




