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シミュラクラ現象  作者: 葦名 伊織
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あと少しだったのに……

――■■■町


 夏の午後一五時頃、太陽は強烈な陽光で地上を焦がしていた。


 今日は土曜だというのに、部活の練習で炎天下の中を一日中動き回っていた。


「今日は湿度がヤバすぎる……」


 今は日陰で休憩中。友達はもうグラウンドに戻っている。




 今僕がいるのは部室棟の裏。ここは重要な休憩スペースだ。日陰があり、部室棟の基礎となっているコンクリートが張り出していて座るのにちょうどいい。




 まぁ、良いこと尽くしでもないけれど。パチっと脚を平手打ちする。




「また蚊だよ」


 死んだ蚊をみる。まだ血を吸う前だったようだ。


 ここは虫が多い。部室棟の裏はフェンスじゃなくて生垣に囲まれ、数本の木が植えられている。北向きだから常に日当たりも悪い。それが虫には住みよいらしい。




 でもここを流れる風は熱い体にちょうどいいんだよな。


 もう少しだけ。そう思っていると風に乗って変な音が聞こえた気がした。




 カ……チ……カチ




「ん?」




 気のせいか? そう思ったが、また。




 カチカチカチ




 今度はハッキリと聞こえた。聞きなれない硬質な音だ。


「なんだ?」


 辺りを見回す。




 カチカチカチ




 音は続いている。爪を噛んでいる音に似てる?


 離れたところに他の部員もいるが、音はもっと僕の近くでしている。




 カチカチカチ




 耳を澄まして音の方角を探る。




 音は前方からするようだった。目の前の生垣から、それも葉が生い茂る生垣の内部から音が聞こえるような気がする。


 その音源を確かめたくて、僕は誘われるように生垣の内部、その闇の中を覗き込む。闇の中を覗くために、瞳孔は拡大して、目は暗い世界に順応する。


 一瞬のタイムラグの後、それが見える。










 眼球のない人間の頭があった。










 僕は思わず仰け反り息をのむ。




 ……嘘だろ?




 それは一瞬で脳内に焼き付いていた。眼が無くて、髪も眉毛もない、口をだらしなく開けた人間の顔。


 寒気がした。生気を感じない顔が僕を見ていた。まるでマネキンの目と口をくり抜いたみたいに……






 マネキン?




 そうか、マネキンだ。人間の生首なわけないだろう。


 誰かがマネキンの頭を処分に困って生垣に押し込んだんだ。


 そうに決まってる。そうであってくれ。そんな思考がぐるぐる巡る。




 もう一度……もう一度見てみよう。




 怖かったが確かめずにはいられなかった。もう一度、ゆっくり中を覗き込む。


 だが再び闇に順応した目が映し出したのは、思っていたものとは違っていた。


 生首が衝撃的すぎて、意識の外に追いやられていた音がまた聞こえてくる。その音は彼らが発していたものだった。




 カチカチカチ




 肌色の球体に三つの穴。鱗状の模様があり、穴からは黄色と黒の縞模様をした虫が何匹もこちらを見ている。




 生首の正体は蜂の巣だった。




「なんだよ……」


 安心して笑ってしまう。蜂の巣を人の頭と見間違えるとか、僕も案外ビビりなんだな。やれやれと深く息を吐く。




 いやでも、この蜂の巣は不気味だなぁ。




 ぱっと見た感じは体毛のない人の頭に見える。


 三つの穴があると人の顔に錯覚する現象。あれは何だったっけ。確か名前があったはず。肌色で人の頭大の球体に三つの穴があったら、そりゃ見間違えるよな。


 そうやって完全にビビっていた自分を弁護する。




 カチカチカチ




 巣穴から顔を覗かせる数匹の蜂が、顎をぶつけて音を立てている。おそらく威嚇だろう。蜂はまるで僕を睨みつけているようだった。


 呑気に観察していた僕の方に一匹の蜂が飛んでくる。


「うわっ」


 反射的に身を捻り躱す。


 完全に気を抜いていたけど蜂の巣は危険だ。コイツらはきっとスズメバチに違いない。テレビの危険生物特集などで見る蜂だ。


 蜂は襲い掛かってこそ来なかったものの、巣の周りを警戒するように旋回している。


 ここは人が集まる場所だし、早く駆除してもらうべきだろう。


 僕は周りにいる部員達にも知らせて、顧問へ生垣の中に蜂の巣があることを報告した。


 すぐに部室棟の裏はロープで通行止めにされ、「立ち入り禁止! スズメバチの巣あり」の表示で立ち入り禁止になった。


 奇しくもそのロープは蜂と同じ黄色と黒の縞模様だ。


 そしてその数日後には速やかに、生徒のいない間に蜂の巣は駆除された。








 駆除後、帰りのホームルームで担任から蜂の巣についてのプリントが配られた。


 そこにはスズメバチの基本的な情報と、見つけても絶対に近寄らないようにという注意が書かれていた。そして参考として、僕が見つけた巣の壊される前の姿が載っている。




 やっぱり、ぱっと見は人の顔に見えるよなぁ。




 改めて見るとやっぱり気味が悪い。


 周りからも「人の顔みたい」という声が上がると思ったが、意外とそう言った話しは聞こえない。


「巣があった周りは点検したけど、まだ隠れてるかもしれないから気を付けろよー」 


 という担任の締めの一言でホームルームは終わった。


 写真が嫌だった僕は、読み終えると丸めてすぐに捨てた。


 今はテスト期間に入ってしばらく部活はなし。帰って勉強するのみ、憂鬱だ。
















 ――テスト期間の土曜日


 僕は置き忘れた教科書を取りに学校へ来ていた。


 先生たちが何人かいるだけの学校は静かで別世界みたいだ。




 教科書を机から引っ張り出して鞄に突っ込む。


「たったこれだけの為に……」


 ため息をついて校舎を出た。駐輪場に向かう途中で部室棟が目に入る。




 正直暑いから早く家に帰りたかったが、『巣があった場所は今どうなっているのか?』という単純な興味が僕の歩みを部室棟へと向けた。




 グラウンドを横切って部室棟の裏側へ回る。


 裏に着くと蜂の巣があった場所はすぐに分かった。生垣が一部抉れている。巣の駆除で邪魔になる枝葉を落としたんだろう。僕が巣を発見したのもあの辺りだったはずだ。


 眼がなくて、体毛のない人間の頭がフラッシュバックする。


 あの場所に近づくにつれ、こんな考えが頭をよぎる。






 もし同じような蜂の巣が……いや、本物の生首があったらどうしよう?






 そんな事を考えながら、歩みはゆっくり、その場所にたどり着く。








「ま、あるわけないか」


 そこには抉れて幹が露出した生垣があるだけ。辺りはいつもの休憩スペースだ。


「時間の無駄だったなー」 


 そんな事を言いつつ、少し冷や汗をかいている自分に恥ずかしさを感じながら踵を返すと、何かが足に当たった。鱗模様で肌色の陶片のような物。


「あ、これって」


 すぐに蜂の巣の残骸だと分かる。


「へー。初めて触るかも」


 物珍しさにそれを拾い上げる。








 白い頭蓋骨には乾いた頭皮が張り付いて、その裏には充血した脳漿が滴っていた。








「うわっ! 」


 僕は思わずそれを投げ捨てる。




 人間の頭蓋骨の一部だった。




 白い頭蓋骨と、みずみずしいスプーン一杯分の脳漿。




 あの時と同じく、鮮明に脳裏に焼き付いている。




 ありえない、ありえない。




 息を荒くして投げ捨てた残骸に近づく。


 もう一度見下ろすようにそれを、蜂の巣の残骸であるはずの物を確認する。


「……やっぱり、ただの蜂の巣、だよな」


 それは乾ききった繊維質の欠片で、やっぱり蜂の巣の一部に違いなかった。


 それを確認しても僕の恐怖心は少しも薄れない。首を何筋もの汗が流れ落ちていく。




 あれ?


 此処ってこんなに静かだったっけ?




 静寂が恐怖心を煽る。生唾を飲み込み、一刻も早く立ち去ろうとして、後退りながら振り返ると、背後にあった樹木に肩をぶつけてしまった。






 カチカチカチカチカチカチ






 あの音だ。


 




 上からあの音がする。






 きっと音の出所を確認せずに走り去った方が良いのに。


 そうに決まっているのに。僕は吸い寄せられるように顔を上に向けた。


 




 あの顔が、 眼の無い人間の頭が、力なく口を開けて僕を見下ろしている。


 


 カチカチカチ


 


 


 僕は絶叫した。






 喚き散らしながらその場から逃げ出す。恐怖で顔をグシャグシャにしながら走った。でも頭の中は冷静で、すぐにでも忘れ去りたいはずの光景を鮮明に思い出していた。






 やっぱり人間の頭だ。眼が無く、体毛も無い、口をぽっかりと開けた奴が木にぶら下がって僕を見ていた。






 でも前の奴とは違う。もっと大きかった。さっきの奴は頭だけじゃなくて肩口まであった。例えるなら石膏の胸像の様に。










 成長してるんだ。








 じゃあ誰にも見つからなかったら最後はどうなる?










 もう自分の目で確認する気にはなれない。一体アレは何なんだ?


 今も頭から離れない生々しい生首や、脳漿を思い出す。


 いや、もうどうだってかまわない。


 なんにしろ恐ろしい。






 でも……






 でも多分アレも蜂の巣なんだろうな。








 恐怖と諦めが混じった頭で、僕は急いで職員室へ向かった。

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