四時四十四分の四番ホームに彼女が立っている。
「アミこの駅のうわさ知ってる? 電車が来ない四番ホームの四時四十四分に女の子の幽霊が出るらしいよ」
「え~私怖い話嫌い」
乗り換えの電車を待っている間に女子高生たちを眺めていた私は、こっそり彼女たちのオカルト話を耳にしてしまった。清涼感あふれる女子高生特有の話題でも聞きたかったのだが、隣の少女は続けた。
「怖いというかな。その女の子は誰かをずっと待ち続けて住み着いてしまったんだって。それが成仏できずにずっと四番ホームで待っているんだって」
「やっぱり怖いよ。他の話をしよう」
どうやら怪談話は終わるようであったが、残念なことに私が乗る電車が来てしまった。女子高生たちはこの電車には乗らず駅のホームでまだおしゃべりしていた。しかし私の頭には彼女たちが話していた四番ホームの話が錆のようにこびりついた。
夕刻になっても、目の前に人工のものが一つもない艶々の黒髪の中学生ぐらいの少女がいても、私の頭には怪談話がこびりついていた。それが今朝聞いた駅のホームであるからますます思い出してしまう。ふと駅の電光掲示板にかかっている時計を見ると四時四十分。件の怪談の少女が出るまであと少しだ。
営業から帰るまでまだ時間があることもあり、ふらりと足が四番ホームに赴く。少女たちは話していた通り、電光掲示板には次に電車が来る予告はなく人は誰もいない。
四番ホームで四時四十四分か。四が四つもあって死を連想する。とてもありふれて安直な設定だな。
ぶらぶらと黄色い点字ブロックを歩きながら、四分になるまで待った。
三分。
二分。
一分。
一秒。
「おじさんはどの電車を待っているの?」
突然呼びかけられたのは長い黒髪の少女だ。制服を着ているが、先ほどの中学生とは比べ物にならないほどの黒艶のある髪とゆでたてのゆで卵のようなニキビ一つない肌が印象的だった。だからか、この少女は人間ではないと悟った。
「いや、乗り換えの電車まで暇があったからちょっと散歩していただけだ」
「そうなんだ。私も暇なの、電車が来るまでお話しよう」
少女の声は幽霊とは思えないほど陽気だ。しかし顔が声に乗ってなく能面のように無表情だ。少女はシキと名乗った。
「私ね。ずっとある人を待っているの。その人は必ずこの四番ホームの四時四十四分の電車で帰ってくるって言ったの」
「なぜ四時四十四分なんだ」
「その人が乗った電車が四時四十四分なの。エモいでしょ」
エモいという言葉はよくわからなかったが「確かにエモいな」と知らない言葉を復唱した。
年甲斐になく私は胸が高鳴っていた。いつも通勤電車の中で横目で年若い学生の少女を眺め、声高い少女たちの青々しく実りのない話を聞いて自分が描けなかった青春時代を想い馳せて楽しんでいた。しかしこの奇妙な少女が現れてからは、肌寒い季節なのにマドンナの女子と話していた時以来ぶりに緊張でじっとりと汗ばんでしまう。
「おじさん緊張している」
「年上をからかうんじゃない」
「でも、おじさんより私の方が年上かもよ」
ふふふとイタズラ好きの妖精が笑うような声を謳いだすシキ、相変わらず顔は無表情のままだが。ふと腕時計を見るともうすぐ五時になろうとしていた。
「すまない、そろそろ会社に戻らないと」
「また会える?」
「四時四十四分に来れるかはわからないがな」
ちょっとスカした感じで別れようとする。しかしおかしなことに私を追いかけてくると思っていた少女はなぜかホームの半分の所で立ち往生していた。
「どうしてそこに立っている?」
「私はこの四番ホームから動けないの。そこの柱から直線上にあるのが四番ホームの境界線。三番ホームには行けない」
なるほど、地縛霊みたいなものなのか。そうして乗り換え電車に乗り込み私は四番ホームに張り付いている少女に向けて手を振る。
彼女も無表情のまま手を振った。一抹の淋しさを表現されないが、シキの淋しさがにじみ出ているのがわかる。彼女はまさに能面のように見る人によって感情が変化する顔だった。
そして電車が駅から離れてしまった。
***
営業職ということもあり、私とシキの逢瀬は頻繁に会うことは少なかった。だが恩知らずな猫と違いシキは一月も会うことができなくても、最後に会った時の話の続きをよく覚えていた。
食べることも抱きしめることもできずただ話すだけのプラトニックな関係であったが、いやその関係であるからこそ生涯女で満たせなかった不満を満たすことができたのだろう。
「私ね、ずっとこのホームでいろんな人たちが話しかけてくるんだ。おじさんのようなサラリーマンから、おじいさん。娘を亡くしたおばさんに私と同い年ぐらいの女の子。いっぱい話して泣いて笑って。そして電車で行ってしまう。時にはそのままどこか遠くへ行ってしまう人もいたよ」
「待ち人は彼だけじゃないんだね」
「おじさんも現在キープ中だよ。大人の世界では好きな人が複数あることをキープって言うんだよね」
ませたことを口走る。しかし相変わらず彼女は無表情であるし、その黒髪の間からのぞかせるゆで卵のような肌の額に触れて指パッチンすることができない。
私だけの少女なれなくて、もどかしくて、愛おしい。
だからこの言葉を告げるのは一番酷だった。
「実はなシキ。来週から転勤することになったんだ」
「どれくらい離れるの?」
「わからない。一月程度ではないことは確かだ」
告げた後彼女はうなだれた。無表情ですぐに悲しんでいるのかわからない。だが能面の彼女は間違いなく悲しんでいるに決まっている。能面は顔を下に向けると悲しい表情をするのだ。
するとシキは顔を上げた。
「偶然ね。私もここを離れることになったの」
「成仏するのか」
「まさか彼の下に行くだけ」
まるで自分が幽霊でないかのように私をからかう。シキは電車が来ない四番ホームに立つと奥の方を覗き込むように体を傾けた。
「もうすぐ彼が乗った電車が来るはずなんだけど」
「どの電車だ」
「もうちょっとほら、明かりが見えた」
私も彼女につられて体を傾ける。このホームには電車は来ないから幽霊電車というものだろう。彼女があちらの世界へ旅立つ電車というのは何か、その彼というのはどんな奴か一目見たかった。
目を細めてホームの奥を覗くが何も見えない、人っ子一人いない。シキに本当に来るのかと訊ねるが「もうすぐだよ。おじさん年だから見えてないだけじゃない」と小ばかにした言い方をする。
確かに最近周りがぼんやりとしてくることが多いが、老眼鏡を掛ける年ではないと鼻息を鳴らして、点字ブロックを踏み越えてホームを覗き込む。
そして遠くで何かぼんやりと光るものが見えた。
「嘘つき」
ドンと背中を誰か押された。
下を見ると女の細い手が私を線路に引きずり込んでいた。
重力に従い落ちていく私の体、そしてさっきから見ていたホームの奥から四角い列車が迫ってくる。
列車のヘッドライトが、落ちていく私を。
落ちていく私を見るシキを。
落ちる私をシキが。
初めて表情を変えて嗤うのを。
シキが嗤っているのを。
映した。
そして、私は。
***
そして数日後。
「ねえ、聞いた。四番ホームで男が臨時の貨物列車に轢かれたって。それこの前話してくれた四番ホームの少女の幽霊と関係あるんじゃない。なんか怖い」
「そんなことあるわけないじゃない。あれは淋しい女の子の話ってだけよ」
駅でよく会う友人は淡々と無表情で答える。その顔には強がりも、恐怖も、笑みさえも感じ取れない美しくも奇妙な顔をしていた。
彼女はいつも四番ホームの付近でアミと出会い、談笑する。声では笑うが決して顔には出さない得体も知れない友人であるが今日ばかりは様子が異なる。
「それに、もしもその男が女の子と離れ離れになりたくなくて死んだのなら、とても幸せなことじゃないかしら」
まるでその目で見たような言い草で友人は口走っていたが、その言葉に罪悪感も男への思いやりも感じさせない感じに、アミは初めて得体の知れない寒気が襲う。
そして、恐る恐る友人にあることを話した。
「ねえシキ実はね。来年から東京の大学に行くことになって、ここを離れることになったの」
そしてシキはにんまりと能面のような顔から白い歯をのぞかせて、嗤った。