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⑵『作法狂い』・・・物事に於ける集中の仕方の作法
⑵『作法狂い』
・・・物事に於ける集中の仕方の作法
㈠
人間は、絶えず物事に集中している。何もしていない時でも、五感は何かに左右されている。とすると、常に、物事に狂わされていることになる。そしてまた、その集中の仕方には、一種の作法が生まれるであろう。主体的に関わるか、客体的に関わるか、である。
㈡
主体的な作法の関わり方、それは、自分が狂ってしまうことである。もっと言うと、集中するという現象に狂う事である。それは、意識が飛ぶくらいの、関わり方であるが、それも人生の醍醐味の一つである。我々は、如何に集中するか、という事に狂う訳であって、発狂しているという意味での狂いではない。
㈢
また、客体的な作法の関わり方は、対象を狂わせることである。自分の努力を引っ提げて、対象を狂わすのだ。それは、例えば、粘土を、自由自在に形を変えて、一種の芸術を模索することに似ている。この様に、物事に於ける集中の仕方、主体、客体、有りの作法は、まさに、作法狂いであって、狂い作法でもあると言える。