4-65 時は無情
「そういえば、お主。
わしに何か用があって来たのではなかったのかえ」
「ああ、やっとこの話題に入れたのかあ。
今回も前振りが長かったなあ。
えーと、一つお尋ねしますが、確かあなたは風の大精霊フウと仲がいいとお聞きしましたが」
「うむ、まだ互いに大精霊になる前からの仲じゃ。
わしが湖などを作っては引き籠っておると、あやつだけが遊びに来てくれる。
他の水精霊や風精霊などは休憩には来るものの、そのまま交流もなく旅立っていきよった。
皆、わしの聖域を無料休憩所くらいにしか思っておらなんだ」
エレが俺の頭の上でテレテレと頭をかいていた。
どうやら、こいつもそうだったらしい。
もしかして、ここに来た事があるんじゃないのか?
さては大精霊に挨拶もしないので、ここにハイドラがいる事にさえ気づいていなかったとか。
それに目をやって、ハイドラは柔らかく目を細めた。
それもまた悠久の刻を生きる大精霊の時の流れの中では、些末な記憶の微細な欠片の一つに過ぎないのだろう。
「そんな中でフウだけは、いつも変わらずわしの朋でいてくれた。
今頃、どこでどうしているものやら」
あのう、そいつをお聞きしたかったので、ここへお伺いしたのですが。
俺はざわめく黒い小さな虫の集まりのように心を蝕む予感に少しブルっと背中を震わせた。
まさか、まさか……。
「あの、前に風の大精霊フウがここへ訪ねておいでになったのは何時くらいの話でございますので?」
「うむ。ほんの二百年前ぞ。
あれ、三百年前だったかの。
いや少なくとも、もうノームのダンジョンは出来ておったはずなのだがな。
どうも人間の月日の数え方は、みみっちくて覚えにくいいのう」
そう言う、あんたら大精霊はどうやって時を数えるんだよ。
まさか、この大地が何ミリ動いたかとか、天の星の巡りの壮大な流れの何かの単位とかじゃないのだろうな。
やられた。
そうか、人間の単位では測り切れないほどの永い時の移ろう中での大精霊同士での交流であったのか。
ノームの時にも思ったが、人ならぬ大精霊という奴らはそういう存在であったのだ。
数百年前というのは、確か『前回の宝物庫探索』の時だったよな。
おそらくは、アルフェイムより侵攻してきた異世界からの次元侵攻軍との戦いに必要な、あのスーバイの鉱石を取りにいったか何かの頃なのではないか。
そういや、王国の宝物庫なるノームのダンジョンって、いつ作られたものなんだよ。
まさか、千年前だとかいうんじゃないだろうな。
前回の探索では最下層が三十階層だったそうだから、それはないのかな。
いや、それもまったく当てにならないぞ。
今回の俺達だって階層なる物は殆どない、ノームのオリジナルコースで進まされていたじゃないか。
そんな物は、大精霊の気まぐれでいくらでも変質していくのだから。
「ちなみに、あんたは次元通路という物を知っていないか。
この世界から俺達勇者の世界へと通じている次元を超えた道だ。
どうやら、そいつは開いた側の世界からの一方通行の道でしかないようなので、そいつのこちら側から開けた物がないか探しているんだ。
それしか俺達が元の世界に帰る方法はない。
もしかしたら、昔の勇者が何等かの方法でこじ開けた通路の名残りがあるかもしれないので」
だが大精霊閣下は俺の話をせせら笑った。
「お主は、わしの話をちゃんと聞いておったのか?
わしは長年、各地の湖に引き籠っておったと言ったであろうが。
ノームもそうなのじゃが、地や水の大精霊などは気に入った土地に自分の聖域をこしらえて動かぬ者ばかりじゃぞ。
風の大精霊は逆に、それこそ『我らは風の向くまま、気の向くまま』とかで、流離う者ばかりなのじゃ。
おかげで奴らは見聞を広げて物知りであるので、各地で客人として歓迎されるのじゃぞ」
「うわあ、そんな根無し草の旅の吟遊詩人みたいな奴だったのかよ。
そ、そいつの聖域はどこに?」
「この広い大空、そのすべてが奴らのテリトリーなのじゃ。
フウに会いたいのであれば頑張って世界中の空を探すがよい」
「うおおお、話が振り出しに戻ったー!」
振り出しどころか、なお悪い気がする。
がっくりと両手をついて四つん這いになり、俺は異世界の大地を溢れる涙に濡らした。
この湖の水の量に比べたら微々たる量なんだけどな。
こんなに泣いたのは、あの麦野城に一人寂しく置き去りにされて以来の出来事だった。
俺自身はもう、それほど元の世界への帰還に執着しているわけではないのだが、それでもあれだけ苦労してきた事が、そこの湖で微生物が汚れを分解しながら放つ極微な泡のように、須臾の間に水泡と化したのだ。
これほどまでに脱力したのは、あの暑いというよりも熱い夏に三か月もの間苦労して歩き回り、毎日午前様になってコンペ資料を作って課を上げて燃えていた、あの時以来だなあ。
それは、たった一枚のお知らせの紙っぺらで終了の鐘を鳴らされたのだ。
『お取引様・会社倒産のお知らせ』
結構大きな会社であったので、そのような事は誰も想定していなかったのだ。
あの頃はまだ血圧もさほど高くなく元気に張り切っていた、昇進したばかりの課長以下の全員が真っ白に燃え尽きて椅子にへたりこんでいて、そーっと様子を伺いに来た担当の重役が、その様子を見て仰天していた姿が懐かしい。
そして、課長の机の上で一本の電話が鳴ったのだ。
のろのろと、まるで動く速度の遅いシリコン系宇宙人かゾンビのように受話器を取った課長が受けた電話、それはなんと今回のコンペを競ったライバル会社の課長さんからだった。
「やあ、お互い災難でしたね。
そこでどうでしょう。
お互いに夏を共に駆けたライバル同士で慰労会といきませんか。
実は残りのもう一社さんとも合意しまして、面白い趣向を凝らしてみたんですよ」
なんとそれは、『クライアント不在のコンペ』だったのだ。
「せっかくここまでやった仕事を無駄にするのも非常に癪です。
どうせなら、次回の企画につなげる意味で、同業他社同士で発表し、そして検討しあって研鑽するのもいいかと思いまして。
もちろん、大いに飲み交わす残念会というか、残宴会という事で!」
そして、その場にいた重役が面白い企画だとして予算を確約して、先方とも笑顔で話してくれた。
彼だって、経営会議で今回の話をどう取り繕うか困っていただろうから。
こちらに責任はないとはいえ、倒産するような相手に無駄な費用と時間をかけたという事実がマイナスの実績として残ってしまうので。
他社も事情は同様だとみえて、コンペには見事に重役さんが三人揃ってしまって、彼らは今も一緒にゴルフに行くくらい仲がいいらしい。
ところが世の中というものはわからないもので、案外とその研究会が上手くいって三社とも秋冬は好成績を残し、会社の業績にも大いに貢献したので研究会は恒例行事となったのだ。
副産物として、三社混合の社員同士でゴールインしたカップルが五組も誕生したのだが、残念ながら俺にはその恩恵はなかったのであった。
だが異世界にやってきてしまった俺にとっては、それも却って僥倖であったのだが。
そして収納から椅子を出して、その上で久しぶりに真っ白に燃え尽きていた俺の元へ電話ならぬ宝珠が鳴った。
鳴ったというか、震えて光ったというかそういう物なのだが。
それは俺の血圧の高い元上司の課長さんからではなく、もちろん采女ちゃんからだった。
「あのう、大精霊とは会えた?」
「ああ。
今、俺の目の前にいらっしゃるよ。
いやホント、疲れたぜ」
この異世界でも彼女と一緒に話題を分かち合えそうな、あのクライアント企業の倒産の無残さの如くの、その結果の無残さまでは今伝える気にはならなかったがな。




