4-56 怒りのムーン・フライティング
「残りの宿は二つかあ。
本当にどこに行っちまったんだろうなあ、あの二人は」
そして、次の四番目の宿には何か注釈が付けられていた。
ひょいっとエレが横から覗き込んでドン引きしていた。
「へえ、どれどれ?
『ここは一見すると普通の宿にも見えるが、共和国の特殊な機関が管理する特別な宿であるので行動には特に注意されたし』
うわ、禄でもない事が書いてあるわね。
うーん、何かこう一番怪しいじゃないの。
しかし、それでも地図中での優先順位が低いという事は、むしろそういう場所だからこそ勇者を軟禁するような場所には使い辛いという事なのかもねえ。
ここは何か特別な狙いを持って作られているのかも。
例えば、他国の間者を炙り出すとか。
そんな宿に、目立つ風体の勇者を二人も置くかというと、うーん」
あの曲者っぽい感じのブラウニーが、そのような低い評価にしたという事は、やはりここはあまり期待できないのかもしれない。
俺は駄目元で中に入ってみる事にした。
「はい、いらっしゃい」
いかにもといった感じの、陰気そうで胡散臭いタイプの男がフロントで書物に目を通している。
少し薄汚れたような金髪をボサつかせ、薄い黄緑色の瞳を伏せたまま、愛想がなくこちらへ目も向けようともしない。
おやまあ、こいつはまた、ここの区域には珍しいタイプの宿だな。
「ここに勇者はいるかい」
男は黙ったまま答えない。
あれ、もしかして当たりなのかい。
初めてそれっぽい反応が返ってきたな。
しかし、そいつは次の瞬間には俺に向かって柄の付いた大きな手鏡を差し出したのだった。
むろん、俺の方へ鏡面を向けた向きで。
俺は何かがプツっと切れた音を聞いたような気がした。
「馬鹿野郎、俺が勇者なのは自分でわかっているんだよ。
手前、マジで舐めやがって。
この独裁国家の手先野郎が。
もう勘弁ならねえ。
今からお前をぶち殺してやるぜ。
この『魔王擬き』とさえ呼ばれた、世紀末暴れん坊勇者であるカズホ様を怒らせて無事に済んだ悪党は、この異世界の古今東西どこにもいねえんだよ。
俺はもう、我慢と辛抱が人の形を象った男芸者の営業マン麦野一穂でも普通のサラリーマンでもなんでもねえんだからなあ。
少なくとも、この世界にはお前を守ってくれる有能な悪党専門の弁護士なんかどこにもいねえんだからな、覚悟しやがれ」
俺はそいつの襟首を掴んで飛空スキルのパワーで外へ飛び出すと、そのまま超速飛行で急速垂直上昇して引き立てていった。
そして深淵の宇宙の鳥羽口で停止した。
正確には魔法で全方位の推力をコントロールしてホバーリングしている状態だ。
こういう作業はしょっちゅうやって遊んでいるので手慣れたものだ。
なんというか、それが半ばスキル化したような感じで、今では頭で考えただけで望みの場所にピタっと静止するような事が軽々と実践できてしまうほどだ。
「どうだい、この悪党め。
ここは成層圏という場所で、空気さえも非常に少ない、地上に比べればすでに宇宙空間といってもいいような場所だ。
正確にはまだ十分に大気圏内だけどな。
今眼下に見える青くて美しい丸さを感じさせる物が、お前がさっきまでいた大地、名もない異世界のどこかの惑星の表面だよ。
そいつが、お前のトゥームストーンになるのさ。
ここから落下させれば、お前はまるで鍛冶場の大鍛冶炉の中の鉄のように燃えて、そして燃え尽きる流れ星となるのだ。
それとも、夜空に輝くツインズ・ムーンのどちらかが自分の墓石に相応しいと思うのなら、レモンとピンクと好きな方どちらかを選べ。
おそらく厚さ数メートルはあるだろう、月の表面にある月の砂レゴリスの下深くにぶちこんでやるぜ。
そこは悪党には相応しい、空気さえまったく存在しない死の世界だ」
そいつは言葉もなく、宇宙空間から自分が暮らす大地を畏怖の表情で見ていたようだったが、片手で奴を捕まえている俺の腕をタップした。
もう降参か?
「なかなか素敵な光景だな。
滅多に拝める代物じゃあないな。
これが勇者の力というものか。
いや、せっかくの素晴らしい景色なんだ。
よかったらもう少し回ってくれないか」
「こ、こいつめ!」
なんて図々しい奴なんだ。
だが、俺はそいつの事が妙に気に入っちまったんで、連れていってやる事にした。
悪党っていうのは、これくらいのタマじゃないとな!
「いいだろう。
ここはまだ低い場所だが、俺達の星ではもっと上の衛星軌道と呼ばれる位置にちょっとした宮殿のような大きさの工房を浮かべる事もあるんだぜ」
「ほお、そうすると何かいい事が?」
「そこでしかない研究や実験が出来て、またそこでしか作れない物の製造試験などもできる。
それがまた凄い金になる金の卵になるのさ。
だがそこは普通の人間は行く事ができない特別な場所なのだ。
エリートかつ最高の体力知力を備え合わせた、厳しい訓練を積んだアストロノーツしか行く事が許されない。
凄く頭のいい、肉体も最高にタフな奴らが凄い選抜を潜り抜けて、やっとその地位に上り詰める事ができるのだ。
まあ正規にそうあろうとするのであれば、俺如きにはどう逆立ちしたって無理な試練だな」
勇者の能力からして、宇宙飛行士に必須のロシア語ができなくてもロシア人との意思の疎通には困らないが、それじゃあ宇宙飛行士試験には通らないだろうな。
自力で宇宙空間まで飛び上がったり、生身での大気圏突入なんかの人間離れした芸当は出来たりするのだが、体力は人並みしかないから体力試験であっさりと振るい落とされそうだ。
「ほお、なんだかよくわからないが勇者の国もなかなか面白そうだな。
それと、ちょっとばかり俺の独り言を聞く気はあるか?
ここなら魔道具で会話を拾って聞かれる危険もない」
やはり、あったのか魔導盗聴器!
そして、どうやら上の人間に盗聴されて身に危険が及ばないというのなら情報をくれてもいいと思っていてくれるらしい。
「聞こう」
そして男は、俺のシンプルで遅滞なく返ってきた答えに、満足そうに含みのある笑みを浮かべながら静かな声で話し出した。
「情報では勇者の女達はこのサカイにある元貴族の家にいる。
当初首都へは向かわない予定であったようだが、何かの理由で首都へ向かったようだ」
「そうか、彼女達も首都までは行っていたんだな」
「ああ、だがその入り口で身分証を預かられたまま移動を禁じられて、言われるままにそこサカイの屋敷へ移動して、今もそのままなのはずだ。
それ以降にどこかへ移動したという情報は入っていない。
彼女達もいつでも逃げ出せる力があるからそうしたのだろう。
あの勇者達も空を飛べるらしいからな」
「まあ、少々閉じ込めておいたくらいで、あのペアはどうにかはできないよ」
「彼女達が滞在しているのは、王国時代には交易に力を入れていたランカスター元侯爵家の屋敷だな。
拘禁されているというわけではなく、丁重に客人扱いで滞在しているはずだ。
彼らも今はしがない総帥の手下のような物に過ぎない。
好きでああしているわけじゃないのだろうが、貴族の末路というのも哀れなものだ」
独り言と言いつつ、俺達は会話に励んでいた。
誰も聞いてはいないしね。
多分、魔導盗聴器は地球のようにポケットなんかにポイっと入れられるような物ではなく、据え置きのような物なのではないか。
そうでなければ、こいつがこんなに話してくれるはずがない。
「しかし、お前は何故そのような話を俺にしてくれるのだ」
「あのように優秀そうな勇者に対して、我が国なんかが、おかしなちょっかいなどかけてみろ。
王国連合をまとめるヨーケイナ王国や勇者達を敵に回すという事は、我が国が人間の世界を不用意に敵に回すのと同じ事だ。
ただでさえ我が国は他の国々から快く思われておらんというのに。
我々国民にとっては、はた迷惑な事この上ない。
もちろん、この諜報担当の俺にとってもなあ。
頼むからあんな勇者はさっさと連れていけ。
俺の独り言はこれで終いだ」
「おやまあ」
チラっと右肩に目を走らせたが、エレが頷いたので、どうやらこいつの言う事は本当のようだった。
「あんたは一体何者なんだ。
その落ち着き払った、実に堂々たる立ち居振る舞いは単なる雑魚のものじゃあるまい。
この世界の普通の人間が、予備知識もなくこのような場所へ連れてこられたら、まず間違いなく恐慌を起こすはずだからな」
「俺はランドス。
うちの国の諜報関連のナンバー5だとだけ言っておこう。
また、あの宿の責任者でもある。
あのサカイの街に限っては俺がナンバーワンだ」
「そうだったのか。
ところで、この宇宙という場所へ来て、これだけの高みから初めて大地を見学すると『俺は神に出会った』とか言い出す奴などが勇者の世界にはよくいるのだが、お前さんはどうなんだ?」
「知るもんか。
我が国には神も天使もいやしない。
くそったれで自分の事しか頭にないような偉い連中がいるばかりだ。
立ち回り一つ、あるいは運の巡り一つで、俺のような立場にいるものとて明日は無事に生きているのかどうかも知れぬような国なのだから。
ふん、神なんざ糞食らえだ。
いっそ、あの魔王にでも食われちまえ」
あっはっはっは。
そうか、そういう物なのかもしれないなあ。
共産主義国家なんて、宗教などを禁じているところもあるよな。
そして俺達は、もう少し宇宙と大地のコントラストを見学してから、ゆっくりと地上へ降りる事にしたのだった。




