1-13 再出発
「麦野城よ、おお我が居城よ。
いつかまた俺はここに帰ってくるぜ。
その日までサラバだ」
あまり別れの儀式を大げさにやると、またすぐに帰ってくる羽目にでもなった時に鬱になるといけないので、別れの挨拶はシンプルにしておいた。
今度こそ絶対に街を目指すぜ。
一応、お城本体の扉もない空きっぱなしの門の隣の石材の壁には、その辺の石でがりがりと表札代わりに日本語で『麦野』と大きく目立つように書いておいた。
名前をつけたんだから、もう俺のものだ。
あれこれと引っぺがしてやったので、更にみすぼらしくなったのは御愛嬌さ。
そして調整し直した靴の具合を確かめるように、速度は控えめにして進んでおいた。
このブーツはスキー靴に比べれば足の自由度は高く、トレッキングシューズのように足をきっちりと固定してくれるため、慣れると荒野などを歩く時は却って普通の靴よりも歩きやすい感じだ。
ブーツの詰め物の調整を、行軍の中でいろいろと確かめながら先を進めた。
長年放っておかれた半ば腐っているような革のブーツだが、堅くなっていたのを根気よく鞣したのでなんとか歩けるのが嬉しい。
道中も鑑定と採集を欠かさない。
おかげで、いくつかの新種の食材(野草)にも巡り合えたし、なんと数種類の薬草も手に入った。
傷薬になる奴と毒消しになる奴だな。
この先に何があるのかわからないので、薬の代わりになるものはありがたい。
あと大きめの石や大岩なんかも集めてある。
いざとなったら、これらを収納から放出して武器にできるからだ。
明日は武器をスキルで増やしておこう。
しかし、どこまで続いているんだ、この道。
何しろありがたい事に、見事な一本道だから迷ったりしない。
これを王様のために苦労して開いた連中は褒めてやりたいもんだ。
お蔭様で俺も助かるのなんのって。
いくらなんでも道なき荒野を歩くのは勘弁してほしい。
そんなんだったら距離がまったく稼げないよ。
焼き締めパンと野草のメニューでいいのなら、それでも食いっぱぐれはしないがな。
そして、本日は最初に辿り着いた林で泊まる事にした。
こんな道も碌に通っていないような世界を歩いてきたのだ。
もう疲れたのなんの。
時計によると八時間は歩いたのだが、この月が二つもあるような奇妙な世界では地球時間で一日が何時間あるのかもわかったものではない。
そういや北極星のような星はここでも見られるのだろうか。
あれがあると方向が迷わなくて済むのだがな。
まあ、何があるかよくわからない夜に歩くわけにもいかないので、太陽でも見ていればいいのだが。
そして異世界でもやはり地球と同様に陽は傾き、これ以上進むのは無理だった。
異世界で初めて拝む夕焼けが美しく俺の心を焼き、しばらくじっとその幾重にも重なって織りなす朱の帯の変遷を見つめていた。
「この地域に危険な野獣とかもいるのかねえ。
火を絶やさない方がいいのだろうか。
ぐっすりと眠っちゃいけないのかもしれないな」
とりあえず篝火を用意し、薪を拾うために林に入った。
アケビのような蔓科の植物の実とかないものだろうか。
もう林の中は結構暗くなってきているのでよく見えないな。
お、何かの実が生っているなあ、確保しよう。
おっと、その前に鑑定だ。
食える実だといいのだが。
何々?
『モームの実。
日本ではスモモと呼ばれている』
おやまあ、こいつはありがたいぜ。
貴重な食料をゲットだ。
それほど高い木ではなかったので、俺は必死で暗くなりかかった中を手探りで登り、スモモの実の採集に挑んだ。
木登りなんて子供のころ以来だぜ。
割と得意でよかった事だ。
特技っていうものは持っておくものだな。
こいつは明後日に袋に詰めた物を増やそう。
明日は槍を増やす予定だ。
俺は素人なんだ。
やはりリーチがあって投げたりする事にも向いている槍は非常に有効だ。
護身用の剣は軽く研いだものを持っているしな。
本来であれば、武具の研ぎなんて素人がやっても仕方がない。
却って切れ味とかが鈍るだろうし。
俺がやったのは、せいぜい錆を落としたくらいなのだが、それでも少しはマシになっただろう。
見た目だけはなかなか役に立ちそうに見える。
まあ繊細な日本刀を研ぐわけではないので、これでもいいさ。
また槍は違う用途にも使えるので真っ先に増やしておきたい。
必至に採集をしたので、少しばかり食卓も豊かになった。
俺は例のバスタブを出して水風呂を楽しむと、篝火に火打石を用いて火を起こした。
結構薪に火を点けるまで時間がかかってしまった。
早めに野営を決めてよかったことだ。
日が暮れる前に、野獣から身を守ってくれるだろう命の灯りは用意できた。
次回の火種用に、燃えている薪を何本か収納に仕舞い込んでおいた。
篝火を四炬並べて、寝る場所の四方を囲んだ。
朽ちかけていた焚火台が、荒野の野宿の御伴で、妙にいい味を出していた。
ついでに目視収納で薪も拾いまくったので、ここでも十分な量が確保できた。
その気ならば俺には薪をスキルで増やす事も可能なのだから。
そして、俺は酒の一本に手をつける事にした。
もう金は手に入ったので、酒を換金する必要はないからな。
残りの酒は、またスキルで増やしてからにするか。
生憎な事につまみが心もとなく、木の実や草の根なんかが中心だった。
それと、さっき見つけたキノコを鑑定したら食える物だったので、一緒に炒め物にした。
日本だと、真っ赤な奴とか真っ白な奴の中には、即死レベルで非常にヤバイ物もあるのでキノコには用心するに越した事はない。
鑑定様、万万歳だ。
調理油がないのが残念だったが、草の根に少し脂っぽいものもあったので、少しは代用にはなったろうか。
贅沢な事に野外コンロが四つも煌々と炊かれているのだが、肝心の食材の方が非常に乏しいのが悔やまれるところだ。
俺は椅子とテーブルを出して粗末な食卓を整えた。
それはキャンピングチェアとはまったく異なる、古臭くてシンプルな家具であるものの、兵士が油を入れてくれてあったようでなんとか使える古びたランプを灯せば、こういう趣も案外と悪くなかったりする。
多少はこの旅を楽しむ心の余裕が出てきたようだ。
半ばヤケクソだけどな。
「でもマジで美味いな。
焼き締めパンだけの食事に比べたらずっといいよ」
パンもクルトンのように細かく切って炒めたら、なかなかいい感じになった。
何よりも火を通してやると、意外とサクサクとして食べやすい。
王様も、せめてこのくらいの一手間はかけてほしかったものだ。
あの王様って自分も肝心の勇者君も、あの素の焼き締めパンのみなのだからな。
粗食を愛しているのだろうか。
長生きするかもしれないね、というかもうお爺さんなので、すでに長生きしていそうだった。
スープにもクルトンの代わりに、細かく薄切りにした焼き締めパンを浮かべてみた。
ついでに何かに使おうと思って焼き締めパン粉も作っておく。
油があったら野草のフライにでもしてみるのだが。
野草の天ぷらなら十分ありだと思うが、フライっていうのはどうなんだろうか。
卵や小麦粉なんかもないしな。
食った事がないのでよくわからない。
街に着いたら油を手に入れたいな。
よい品質の油が手に入るといいのだが、菜種油とか胡麻油はないかもしれないなあ。
ラードなんかは普通にあるのではないか。
そいつで天ぷらを作るのは無理だと思うけど。
その晩は目を覚ます度に消えかけた炬火に薪をくべ、なんとか無事に夜を過ごした。
この世界の情報がよくわからないから不安は隠せない。
なるべく時間差で燃やし、四つある篝火のうちの、どれか一つは絶対に消えぬように心を配った。
翌朝にキャンプ地付近で軽く採集をしていたら、キャンプのすぐ近くで四足獣の足跡を見つけた。
比較的小型で、狐か犬か、そのクラスかな。
だが野生動物は、たとえ野犬といえども馬鹿にならない。
群れで襲ってきたら大変だ。
「小型だが、肉食獣あるいは雑食獣のような夜行性の動物がいるのか。
炬火を絶やしていたら、俺が齧られていたかもしれない。
よし、本日のスキルの行使は、予定通り槍の万倍化にするか」
俺は収納から、ピカピカに磨いて切れ味もそれなりに仕上げた標準サイズの槍を取り出してスキルを唱えた。
「スキル、【本日一粒万倍日】よ。
この槍を増やせ」
そして辺りには一面に突き立った、壮観な槍の林が立ち並んでいた。
実は【錆を分離して収納してやった】物から増やしたので切れ味、正確には刺突力はなかなかの物になったのではないか。
それらを収納し、俺は満足そうに頷いた。
これで少しは安心できるが、街まであとどれくらいあるのだろうか。
できれば、あまり野宿はしたくない気分だ。
昨日の夜にウロウロしていた獣は小型だったが、でかい奴らに遭遇すると戦闘スキルを持っていない俺には厳しい展開になるだろう。
勝手がわからないというのは本当に困ったものだ。
地球の外国だって、観光客が近寄ってはならないような場所はたくさんあるんだからな。