2-42 そこをなんとか
「あ、いたいた、あそこだわ」
王都ヨークにある中央市場の喧噪の中、そう言って泉は俺の手を引いた。
例によって空中デートを楽しみ、彼女も今日は気合を入れて、ついにマッハ三・八をマークして、あのブラックバードSR71の速度記録に後塵を浴びせる事に成功した。
いやあ、うちの彼女は負けず嫌いだなあ。
泉は時計を見て瞬時に数字を計算して、満面の笑みでガッツポーズをしていた。
うちの彼女は、最高時速、実に四千六百五十一・二キロメートルをマークした。
遠距離恋愛にこれほど向いた女の子もいない。
もっとも浮気でもしようものなら神速で駆けつけてこられちゃうけどな。
生憎な事に、あの嫁不足で女日照りの過疎村で浮気相手など見つかるはずもないのだが。
あたりの広場のような場所も、ここまで歩いた大通りもすべて舗装されており、道路にはどういう仕組みなのか知らないが排水機構さえ備えられていた。
どれもこれもビトーよりもワンランク上の街だ。
あの辺境住まいの、うちのチビ二人を連れてきたら気絶しそうなくらいの大都会ぶりだ。
彼女が指差した先には例の警官が二人いた。
今も日本と同じツーマンセルのルールは守っているらしい。
警官の格好ではなく、なんというかそれこそ冒険者っぽいような格好なのだが、そういうのがここの世界のガードマンなんかの制服なのかもしれない。
「萩原さーん、小野田さーん」
泉の声に振り向いた二人は笑顔で軽く手を振ってくれた。
「おや、青山さんじゃないか。
君はいつも元気だね」
「挨拶がしっかりと出来るのはいい事だ。
それに引き換え、あのヤンキーの小僧だの、日本じゃ偉い人だったのかもしれないが、あのいけ好かない親父どもときた日には」
あの連中は、俺や女の子達以外にも大変不評なんだなあ。
まあ無理もないけどね。
「あっはっは。
そうだ、今日は紹介したい人がいて。
一穂~」
警官達は俺を見て、少し驚いたような顔をして、それからすぐに頭を下げてくれた。
「すまない、君。
確か麦野一穂君だったね。
我々警察官が一緒にいながら、君をあのようなところへ置き去りにさせてしまって」
「いや、本当に済まなかった」
二人は口々に謝ってくれたが、俺は笑顔でそれを制した。
「いやいや、そう謝らなくていいですよ。
あの時、あなた達二人だけが乱暴な兵士を制しようとして、衛兵に武器をつきつけられて早々に追い立てられてしまっていたじゃないですか。
それに今は見事なはぐれ勇者仲間なのだし」
痩せて長身の萩原さんが、それを聞いて笑ってくれた。
「ははは、確かになあ。
この黒髪黒目はどこへ行っても目立っていかん。
まあお蔭で仕事にはすぐにありつけたわけだが。
また市中警備の仕事ができて嬉しいよ」
そして背は普通だが、やや小太りといった感じの小野田さんが、向こうからこう訊いてくれた。
「君にそう言ってもらえると我々としても助かるよ。
そういや今日は私達を捜してくれていたようだが、何か用があったのかね」
「ああ、それなんですけど……」
泉がちょっと言いにくそうに口籠っていたので、俺が話を切り出した。
「実はあなた方にお願いがあってきました」
「お願い?」
「はい、あなた方にしかできないお願いなんです」
二人は顔を見合わせたが、頷いて言ってくれた。
「そうか、今から昼飯なんだが一緒にどうだね。
お若い二人が行くようなお洒落な店ではないのだがね」
「ああ、お願いします」
商談は食事の後の時間に限るのだ。
間違っても昼直前の腹が減って苛々した時間にお話ししてはならない。
という訳で、詳しいお話は御飯の後にと心を決めていた。
連れていってくれた場所は大衆食堂といった感じで、テーブルというか、ただの古びた木の机と椅子を広場に並べ、そこで食べる方式だ。
激しい雨の日とかどうするのかね。
もしかすると、ここは地球のカリフォルニアみたいな感じで気候的にあまり雨が降らないのかもしれない。
でも大都市って、水の豊富なところじゃないと維持出来ないよな。
ああ、魔法があるからいいのか。
俺のスキルだって、大都市の一つや二つくらい余裕で養えちゃうもんね。
「ここの日替わりは安くて美味しくてね。
よく来るんだよ」
「日本にいた頃もそういう店が好みだったねえ」
「へえ、じゃあそいつにしようかなあ」
今日の御飯は豚肉の甘辛煮で、もしかしたら砂糖を使っているのかもしれない。
調味料も醤油ではないが、なかなかいい味だ。
「へえ、美味しいな」
「うん、あたしもこんな店があるなんて知らなかった」
「ははは、労働者向けの食堂だからなあ。
だが美味いだろう」
皆で和気藹々に食事をしてから、俺はペットボトルの御茶を二人に勧めた。
「これは」
二人とも目を丸くして驚いていた。
俺はその様子を観察しつつ、話を切り出した。
「私は、いくらかの日本の食物や物品を持っています。
その他、この世界で手に入る有用で高価な物なども持っており、あなた方に御提供できます。
そこで交換条件があるのですが」
二人は真剣な様子で考えていた。
このような話をして自分達にどのような見返りを要求するつもりなのかと。
「君は何を望むのだね。
私達は勇者としての能力は、そうたいした事ないよ」
「わかっています。
それは泉から聞きましたから。
私の望み、それは……」
ちょっと言い辛いなあ。
だが、それを汲んで小野田さんは優しく促してくれた。
「いいから言ってごらん。
そうしないとお話は進まないよ」
「そうですか、ではお言葉に甘えて。
あなた方の拳銃を、しばしお貸しいただきたいのです」
二人は驚いたが、案の定難しい顔をしている。
そして萩原さんは少し厳し気な声で問いかけた。
「君は拳銃という物が、どのような物なのか知っているかね?」
「知っています。
人殺しの道具です。
そして、この世界で魔物と戦うのなら、あれば有利かなと。
あなた方はおそらく銃の話は王様にも言っていませんね。
そして人前では見せないように使ったりしなかった。
違いますか」
「その通りだ。
この世界にこのような物をバラまく気はないし、第一拳銃の弾丸は十六発ずつしか入っていないよ。
貸してあげたとしても、すぐに撃ち尽くしてしまうだろう」
俺は黙ってテーブルの上に黒色火薬の入った瓶を並べた。
「これは」
「そうか、作ってしまったのか」
さらに、俺は御茶のペットボトルを、どんどん並べていった。
二人は目をむいて言った。
「これは一体」
「忘れましたか。
私のスキルは『一粒万倍』です。
この場合には弾丸一発万倍ですね」
二人は沈黙したが、やがて重い声で応えを返す。
まあ答えなんか最初からわかっていたのさ。
「なるほど、よく理解した。
それなら余計に拳銃は渡せんな」
「こんな物を大量にばら撒かれたら、それこそ死人の山ができるぞ。
この先、この世界ある限りずっと。
絶対に駄目だ」
「そこを曲げて、なんとかお願いできないでしょうか」
「それだけはならんよ」
「無理を言っちゃあいかん」
やっとここまでもってこれた。
いや長かったぜ。
ここからがやっと俺の、元営業たる者の仕事の時間かな。