1-11 荒野のサラリーマン
「さあて、もう出発するかな。
その前にもう一度見周りをしていくとしますか」
何しろ、ここを出たらもう何も補給はできないだろう。
手に入るものといえば木の実や草の根くらいのものだ。
とてもじゃないのだが、このただのサラリーマンである俺に狩りなんか出来そうにない。
街へ着いたら、何がなんでもお金を手に入れないといけない。
ガラクタでも構わないので、金になりそうな物を何でもいいから持っていかないと大変だ。
よく見たら、まだまだあれこれとあった。
壁に作り付けの装飾も収納でならなんとか引っぺがせた。
磨く人一人いなくなって錆びた金属鎧の飾り物、もう木製フレームの表面が朽ちかけている粗末なぼろいベッド。
司令官室と思われる部屋にはデスクにソファ、そしてなんとガラス瓶に入ったお酒があった。
そいつは凄い埃を被っていたのだが、鑑定してみたらまだ飲める物だった。
こいつは売るか自分で飲むか迷うなあ。
こんな世界だと酒も結構値段が高いのではないだろうか。
とりあえず、やさぐれた心が求める飲みたい気分はそっと寝かしつけておき、大事に収納へしまっておく。
ペンとインクに、なんと羊皮紙がそれなりにあって、もしかしたらこいつは高く売れるかもしれない。
昔の軍勢にとっても、司令官には書類仕事がたくさん待っていたものらしい。
羊皮紙も作るのに手間がかかるものだから、それなりに値段は高いはずなんだよね。
更にありがたい事に、司令官のデスクの引出しに銀貨が一枚だけ入っていた。
小物入れの下に入り込んでいたので、そのまま誰にも見返られずに残っていたものらしい。
鑑定してみると、【日本円で千円相当】とあった。
小さな銀貨だから、まあそんなものじゃないのかな。
今の無一文の状況では、たった千円でもありがたいや。
ああ、情けねえ。
こうしてみると、まだ案外と持っていける物は残っていたのだ。
壁に取り付けられた松明や蝋燭の燭台、荷車に空の樽、庭の飾り石に、まだ使えそうな馬具なんかもあった。
革製の水筒に背嚢も倉庫に転がっていた。
これは今回来た兵士が持ってきた物なのか、まだ十分に使える物であった。
後は、城内のあちこちに転がっていた木切れなども集めると、台所の薪よりもかなりたくさんの量になったのでありがたい。
歴史を刻んだ城の中で、そいつ自身の歴史も乾き切っており、よく燃えそうだ。
火打石と藁なんかもあったし、これだけは豊富にある枯草も集めておいた。
一応、ガスライターは持っていたのだが、こいつは超貴重品だしね。
それに、あっという間にガス切れで使えなくなるだろう。
枯草は目視で、ざっと枯れた部分を収納で刈り取れるので便利だ。
そういう半ば粉になったような物の方がよく燃える。
植物は生えたままの状態では取り込めなくて、根から切り離すと取り込めるようだ。
水草とか、他の木に寄生している寄生植物とかどうなのだろうな。
今度どこかで見つけたら試してみたいもんだ。
「さらば、我が城よ」
置いていかれた俺が一人で占領していたので、この城の事を勝手に麦野城と呼んでいた。
もし街に住まわせてもらえなくて、なんとか物資だけは手に入れられるようならば、戻ってきてここに住んでもいいかもしれない。
どうせ、こんな荒れ城は普通に使っていないのだろう。
もう、あちこちボロボロになっていても直していないようだし、誰も使っていない感じの、まるで廃墟のようだ。
盗賊の根城にさえなっていない、神にさえ見捨てられた荒城だった。
滅多に使わないし、召喚の儀式の時だけ緊急で手入れをさせて寝泊まりに使うのだろう。
おそらく今回も、王様が来るので簡単な掃除だけを兵士がやっただけのはずだ。
あちこちに厚い埃が溜まっていた。
もしやる事が何もなかったら、ここの掃除でもするかな。
俺が生きている間に、もう一度彼らがやってくる事もおそらくあるまい。
あの勇者の少年は凄い力を持っていたし、宗篤姉妹や他のメンバーも俺のようなハズレ者とは違う強者だった。
あの名前すら忘れてしまったナントカ王国とやらが、何故戦っているのか知らないが、あの勇者がいれば戦いには勝てそうな雰囲気だったしな。
もう俺には勇者も魔王も王国も、何一つ関係ない。
俺も自分の事だけ考えればいいんだ。
とりあえずは、今夜の野宿をどうするかだ。
「さて出かけるとしますかね。
へいタクシー」
残念ながら手を上げて呼んでみてもタクシーはやって来ないので、仕方なくテクシーで行くしかない。
いつもの外回りの仕事に行く時よりも、さらに重い足取りで俺は歩き出した。
日頃から仕事で歩き慣れているからまだいいようなものの、この舗装もされていない荒野を歩くのはやはりしんどい。
たぶん、長年使っておらず整備もしていないだろうから、荒れ果てていただろう道を兵士達が突貫で、なんとか馬車が通れるようにしただけのものらしい。
まあ何の足場もないような、起伏のある丘か何かが続いたような丸々の荒野を行くよりは遥かにマシだがな。
これがまた歩きづらい。
思ったよりも、このブーツは非常に歩きづらい。
足にぴったりと合っていないからな。
足が擦れ捲ってすぐに血塗れになるほど小さいよりはマシなのだが。
これがまだ編み上げのブーツなんかだといいのだが、こいつは数か所の留め具で留めるようになっていて、サイズが合わないのか靴の性能が悪いのか、もう廃棄処分になっているだろうからなのか、微妙に緩い気がする。
革がゴツイ代物だから、履き慣れないと、それがまたキツイだろう。
足元の道がアスファルトや学校の校庭なんかと異なって、また歩きにくい。
何しろ、このブーツがスキー靴の感覚に近いのではないかと思うくらいに足をしっかりとガードしているのだ。
古いから革も堅くなってしまっているのかもしれない。
腐って壊れてしまって履けないよりはいいのだが。
「これは駄目だ、一回城に戻ろう。
詰め物をしたり、あれこれと試したりして、このブーツに足が慣れてからにしないと、このままじゃ途中であっという間に行き倒れそうな勢いだ」
なんと街を目指すどころか、数十分で城に舞い戻る事になってしまった。
振り返ると、まだ我が城が十分な大きさを誇って聳え立っていた。
ふう、思ったよりも全然進んでいなかったようだ。
戻る手間だけは大幅に省けたというものだったが。
俺はがっくりして、重い足取りを百八十度回頭して、自分の名を冠した城へと帰還を遂げた。
城にうっちゃって置かれていた手頃な木の棒を収納から取り出し、杖代わりにしてヨロヨロと帰っていく哀愁ある姿を誰にも見られなくてよかったなとか思う、心身共に悲惨な帰還劇なのであった。
そんなような事にでもなれば、また俺を見下して笑っていたあの連中に余計に馬鹿にされちまう。
せめてもの戦果として、帰路に出会った岩や草、木などで収納できる物は収納しておくのであった。
「やれやれ、前途多難だぜ」
ぶつぶつ言いながら水に浸してふやけ、更にマズそうになった焼き締めパンを齧りつつ、ブーツの具合を改良していた。
針と糸は見つけたので、それで毛布の端切れや布地をうまい事縫ってインナーを完成させていく。
なんとか編み上げブーツに改造できないかとか思ったのであるが、さすがに基本構造が違い過ぎて無理だった。
この横手にゴツイ金具が付いた靴だと、紐でギュッと締め付けるようにするのは不可能だ。
第一、金具を取ったら壊れてしまうだろうし、編み上げブーツのように前の部分を割る事も出来ないし、堅くて上手く穴も開けられない。
そもそも、こんなゴツイ靴みたいな厚い革の手縫いなんて素人には無理だしなあ。
おまけに革自体が古くて硬くなってしまっているので。
「よし、こんなもんかな」
俺は、愛靴に北欧神話に登場する邪神ロキの子供、オーディンに献上された八本足の馬スレイプニールの名を与えてみたが、この子には名付けをされて特に喜んだ様子は見られない。
駄目だ、少し精神にダメージがみられるようだな。
無様に見捨てられた精神的ショックが相当きているようだ。
日本だったら精神科に通わないと駄目なレベルだろう。
今でも行けるものなら病院に行きたいくらいのレベルだ。
少しの間は、このスレイプニールで歩く練習をしがてら、心のリハビリをした方がいいかもしれない。
なるべく早く街へ行こう。
こんな廃墟も同然の場所に一人でいると、きっと頭が変になってしまうのに違いない。