2-29 魔人ゲンダス
そいつは吠えるような低くドスの利いた声で、俺を睨みつけながら唸りをあげているかのように喋った。
「お前がザムザを倒したとかほざいている生意気な勇者カズホか。
ザムザの魔核の気配を感じて探しに来たのだが、いかに勇者が相手とはいえ、魔将軍と恐れられた奴がこうも簡単に倒されるなど信じられん」
その怪物は、地獄の底から響くような、地割れから響くかのようなおどろおどろしい声で、蜥蜴の顔に在る大きく裂けた口から人の言葉を発した。
ほお、こんな人間っぽくない外見の奴まで人語を操るのか。
ザムザの野郎はあの蟷螂頭であったものの、体は人間のものだった。
だがこいつの見かけは、まるで全身が見事な蜥蜴人間だ。
全身をはち切れんばかりのごつい筋肉で覆われており、分厚そうな皮もまたはち切れそうな弾力を誇る魅惑の肢体だ。
下半身は特に体形が分厚くなっており、非常に安定感のありそうな豪傑っぽい雰囲気だ。
金属と丈夫な革で作られた、黒と赤を基調とした威厳のあるタイプの強靭そうな鎧を纏っている。
もしそれを貫いたとて、その筋肉の張りだけで受けた王国剣士の柔な剣など簡単に弾くだろう。
いやその前に、体を包むその皮がとっても堅そうだ。
身長はフォミオと同じ三メートルほどだが、その戦闘力は雲泥の差があるはずだ。
しかも、かなりの魔力のような物を感じるので、何か強烈な魔法だのスキルだのの持ち主なのではないだろうか。
手にはでかい、その高身長を遥かに上回る長さの白銀色の槍を持っている。
およそ四メートルは下らないだろう長さのそれは、色合いを見るとミスリルかと思わせる外観だが、おそらくはザムザの魔剣と同じくオリハルコン製なのではないだろうか。
その形状は人の使う物とは異なり、なんというか横に非常にボリュームのあるスタイルで、まるで激しくデフォルメされた流体的なスタイルのフォークを思わせるかのようなデザインだった。
全体的に妙に丸みを帯びた、いわゆる『ごんぶと』な代物で、厚い鉄板だろうがごつい巨大な石の壁だろうが、何でもぶち抜きそうな印象があった。
これもザムザ剣と同じで一種の魔装なのだろうか。
「生憎な事に、この俺がやったんじゃないね。
あの糞ったれをやってくれたのは、うちのエース勇者さ。
俺なんか、ただの前座だね。
ところで見てくれればわかると思うが、今デートの最中なんでな。
決闘の申し込みなら、また今度暇な時に頼むわ」
だが奴の体から猛烈な怒気と共に、その一本一本がまるで東洋の水龍を思わせるような、強烈な水の奔流が奴を起点に数十本も曲線を描いて飛び出し、鞭のようにあたりの石畳を砕いて破片を飛ばした。
あらまあ、飛ばしているねえ。
蜥蜴君は、ほぼ触手野郎と化している。
そして奴は怒りと共に槍を突き上げたが、それは大空に向かって巨大な渦を巻きあげる水流を竜巻のように立ち上らせていった。
巨大なリザードマンのような蜥蜴人間だけあって、水棲魔人って感じなのだろうか。
こいつは強力な水の魔法を操るようだった。
こいつが一体いれば、どんな日照りで水不足の村でもオールオッケーって感じの魔人だな。
「なんだよ、いきなり現れて随分とイキっているじゃないか。
ああ、ひょっとしてあんた、ザムザの野郎にポーカーの貸しでもあったのかい」
だが、その瞬間に奴はブチ切れた。
水の触手が振動ブレードのように唸り、まるで回転する巨大な水飛沫の尾を持つ、憤怒に燃える九尾の蜥蜴といった趣だ。
「ふざけるな、我が盟友ザムザは強き者。
お前らのようなへっぽこ勇者の手にかかったなどと俺は信じぬぞ!」
そこで泉が、こそこそと若干ビビり加減に小声で話しかけてきた。
「あのう、一穂さんや?
え、えらく余裕こいているみたいだけど、ここは一旦あたしのスキルで逃げた方がよくない?
あいつ、強いよ。
王国の資料でこいつの事も見たわ。
魔王軍大幹部の一人で、魔人ゲンダス。
通称は水龍のゲンダス。
あの水魔法を中心としたスキルは射程も長いし、物理的なパワーもあるよ。
あいつに本気を出されたら、この広場にいる人達諸共、あたしらも全員仲良く粉々にされてお陀仏なんですけど」
だが俺は笑って彼女を抱き寄せ、小さくキスをくれてから言った。
「すぐ済むから待っていてくれ。
早くあいつを片付けないと手遅れになる」
「手遅れ?」
俺は無言で笑って、キザに前髪をかき上げて奴に向き直り、気が付いて髪を指で弄った。
ああ、前髪が随分伸びちゃったかな。
この騒ぎが終わったら泉にちょっと切ってもらおうか。
「ふざけるな、貴様。
魔王軍大幹部たる我を前にして、女々しく女などとイチャつきおって」
「おいおい、その女っていう生き物にザムザはやられちまったんだぜ。
見なよ、こいつを」
そして俺はそれを奴に見せつけるように掲げた。
もちろん、それは真っ赤な血塗られたような色のザムザの魔核だ。
おそらく、こいつにはそれがわかるはずだ。
というか、こいつの気配を辿り、それを取り戻さんとやってきたのだ。
自らの攻撃によるザムザ魔核破壊を恐れ、むやみに俺を攻撃してこないのだろう。
「おお、それこそは!
返せ、それはお前が持っていていいものではないのだ」
「そうかい、じゃあ受取れ。
そらよっ」
俺が無造作にそいつに向かって、いきなり野球っぽくモーションをつけて投げつけるので、奴の方が慌てて飛びついて御手玉になっていた。
完全に大暴投である。
ははは、社内野球大会一の暴投ピッチャーの腕を舐めるなよ!
馬鹿め、そんな事じゃ甲子園には行けないぜ。
まあお互いにな。
ああ、今年の夏の甲子園代表はどこになったのかなあ。
今度フォミオに野球道具を作ってもらって村で遊ぼうっと。
そして、この国を異世界一の野球大国にしてみせるぜ!