山田さん
それは、盆休みの始まる、蒸し暑い夜。
私は、今夜の夜勤が憂鬱だった。
まず、うちの病院…「出る」噂が絶えないため。
次に、お盆という時期。「出る」ものたちが、向こう側からも迷い込んで来そうだから。
最後に。
「今夜は患者も少ないし、私が出会った怖い話をたっぷり教えてあげるわ!」
今夜の看護部は2人。相方の山田さんが、やばい。
「見えちゃう」「聴こえちゃう」「感じちゃう」三拍子揃った人で、しかもその体験を、あちこちで喋りまくる。
まさに、歩く病院の怪談。
今夜は、恐怖の怪談三昧だ…
消灯完了。異状を認めず。急変の気配なし。
(…さぁ、地獄の釜が開くぞ。)
げんなりした気分で、ナースステーションの椅子に腰掛ける。
「さぁて、山田ちゃんの、実際にあった怖い話、始めるわよ!」
「はぁ…」
一応先輩である山田さん。嫌とは言えない。やる気なく、拍手。
「あれは、私がまだ新人だった頃、先輩に聞いた話……」
夜の病棟。
見回り中、白い人影が部屋から出てきた。
ヒタヒタと歩くサンダルの女性。
お手洗いだろう。女性は会釈して、トイレの方向へ歩いて行った。
(あれ?あんな人、入院してたかしら?)
見慣れない、若い女性だった。白い足に、こってりとしたネイルアートが印象的。
振り返ると、もう、女性の姿は無かった。
「…!!」
あの女性は今、どこから来た?
あっち側には、病室は無い。
あるのは…
「おい、処置室だ、急げ!」
後ろから、当直医に追い越される。
後を追うと、
あの女性が出てきた部屋…
処置室についた。
「午前2時19分、死亡確認!」
そこには、
若い女性の遺体があった。
全身がズタズタだった。運ばれて間も無く、息を引き取ったのだろう。
その足は白く美しく、ネイルアートが印象的だった。
「…先輩いわく、酔っ払って道路で寝ちゃって、交通事故ってやつ。ベロベロで、自分が亡くなったことに気が付かなかったのかしらね?」
「山田さぁん…」
勘弁して、と言っても、彼女は聞いてくれないだろう。
「あとはね、こんな話もあるわよ。これは私の体験談でね…」
次々と、怪談を語る彼女は、
とても楽しそうだった。
清掃、記録、明日の朝の準備。
不穏も急変もなく、順調に日付が変わる。
「カルテの整理も終わったし、先に仮眠行ってきていいわよー。あ、3時には交代ね。起きてこなかったら耳元でお経唱えるから。」
「やだもー、寝付けなくなっちゃいますぅ!」
山田さんと2人のお盆夜勤。
ハラハラしたが、変なものが出なくて良かった。
怪談の内容を頭から追い出し、目を閉じると、
一瞬で、眠りに落ちてしまった。
耳元で、アラームとバイブレーション。
「う…ん…起きなきゃ…」
午前3時のアラームだ、と、慌ててスマホを手に取る。
「あれ…?」
それはアラームではなく、
着信だった。
「やだ、なに、怖い…」
画面には、師長さんの名前。
(うわ、やだ、おばけより怖い!)
「もしもし…」
「ちょっと!今夜の看護部あんたでしょ!急いでナースステーションに戻りなさい!急患来てるのに、ナースステーションが空っぽだって救急から電話が来たのよ!!」
「え…」
どういうこと、と、首をかしげる。
「え、あれ、すいません…山田さんがいるはずなのに……」
「その急患が、山田さんなのよ!!」
「!?」
飛び起きて、ナースステーションに戻る。
(まさか、私が寝てるうちに、山田さんが急病で…!?)
本当に、ナースステーションに彼女の姿は無かった。
「急げ!処置室だ!」
「はい!」
当直医に呼ばれる。
思いつく限りの準備を整え、処置室に走る。
処置室には、真っ白な女性が横たわっていた。
「山田さん!!」
駆け寄ろうとしたところを、救急隊員に制止される。
「…おそらく心臓突然死だろう。残念だけど…」
「そんな!山田さん、さっきまであんなに元気で……」
嘘だ、というショックと共に、涙が、嗚咽が、溢れる。
え、と、当直医と救急隊員が顔を見合わせる。
「さっき…?」
「私と、山田さん、今夜の夜勤、ペアで…さっきまで、怖い話とか、おしゃべりを……」
涙と共に、絞り出すように、
「私が仮眠に行かなければっ…手遅れには……っ」
吐き出した言葉。
「ちょっと待って!」
当直医が、私の肩を掴む。
「山田さんの死亡推定時刻、昨日なんだけど…」
「…え?」
救急隊員が、彼女の毛布を剥がす。
彼女は、部屋着のままだった。
「数時間前、夜勤に出勤してこない山田さんを心配して、師長さんが電話。連絡が取れず、近くに住む親類に連絡して、彼女のアパートを開けたんだって。そしたら…すでに、冷たくなってた……」
「そんな…」
「じゃあ、あの山田さんは…」
「化けて出てまで仕事か。真面目だな。あるいは、君1人の夜勤が心配だったのか…」
「うぅ…」
山田さんは、私が人一倍怖がりなのを、知っていた。
だから、怖い話を楽しく語って、私をイジるのが大好きだった。
そして、
お盆の夜勤を、私一人ぼっちに、したくなかった…?
「山田さぁん…っ」
腰が抜けて、崩れ落ちる。
涙は、もう自分では、止められなかった。
あれは、夢だったのだろうか?
いや、違う。
あの夜の手書きの記録は、ちゃんと山田さんの筆跡。文責を示すサインまである。
朝の申し送りのため。次のカンファレンスのため。丁寧な記録がつけてあった。
山田さんらしい、気遣いに溢れる記録だった。
「…っていうのが、この病院の怪談。」
「やだ先輩…それ怖いし、なんだか切ない…」
私は、夜勤のたびに、
後輩たちに、その出来事を語り継いでいた。
「まさか、先輩はちゃんと生きてますよね!?」
「ふふ、どうかしらね。さて、仮眠の時間よ。先に行ってらっしゃい。」
「はーい。」
後輩を見送り、書き留めた記録やカルテを片付ける。
「お盆の夜勤…何が起きても、何が出ても、おかしくない……か」
ナースステーションに、静寂が訪れた。