#008 異邦人の食卓
「むぅ、こちらの食べ物の匂いがするな。リッチー、何を持っているのだ?
待て。ふぅむ、これは……“ちくぜんに”だったか? 2丁目の一社家で、嫁と姑が具材と味付けを巡って毎度争っておったわ。
どちらが作っても子供からは評判が悪かったがな」
アパートに帰ると、以前より二回りくらい大きくなっていたドラコがチロチロと舌を空中に躍らせて匂いを確かめるとそう言った。常に住宅街のあたりで攻撃目標を探している彼は、人間の家庭事情に詳しかった。
「おお、リッチー、でかしたぞ! こちらの家庭料理か。いつも大体店屋物じゃからのう。一般家庭の味とは楽しみじゃな。
よし、早速試してみようぞ!」
魔王が目を輝かせた。
「地味、ですわねえ……」
対照的にハピィはつまらなそうだった。彼女の好物の所謂ジャンクフードからは程遠いので、無理もない。
「根菜が摂取できるのは健康的で良いぞ。見た目の面では全体的に茶色いが、ニンジンの赤と絹さやの緑は良いアクセントかのう。
ふぅむ……。鶏肉のコクとシイタケの旨味、それからベースの出汁もきっちり利いておる。じゃがちと甘いな。牛丼もそうであったが、この国は何故料理に砂糖をぶち込むのかのぅ」
魔王は若干文句を言いつつも、箸は止めなかった。
「あら、甘辛い味、ハピィは好きでしてよ。魔王様はお嫌い?
でもお砂糖なんて元の世界では高級品でしたのに、ここではふんだんに使えますのね。いい事ですわ」
何だかんだ言いながら、ハピィもきっちり食べていた。ただ嫌いなのか、こんにゃくだけを選り分けて、ドラコの皿にのせていたが。
「くっ、ハピィ! 何故こんにゃくだけ寄越すのだ! 我も人間共を苦しめるため、カロリーが必要なのだ! 鶏肉を寄越せ! 早く力を取り戻さねばっ!!」
「嫌ですわ! タンパク質は美容のために必要ですのよ!」
「貴様には食物繊維の方が必要だろうが!」
騒ぐ二人を横目に魔王が軽くため息をついた。
「リッチー、お主は食わぬのか? 貰ったのはお主であろう? このままではあの二人に食い尽くされるぞ?」
「結構です。必要な栄養ならば既に摂取しておりますので」
彼は人体を構成するのに必要な栄養素さえ摂取していれば良いと考えていた。幸い、この世界にはそんな需要を満たすサプリメントの類があふれていたから、彼は喜んだものだった。
屍術に没頭して以来味など感じなくなっていた彼にとって、料理を味わうなど無駄でしかなかったのだ。
「また熱量之友にサプリメントか? 良いから食うてみよ。栄養摂取だけが食事でもあるまい」
全く食べる気にはならなかったが、主君の命令とあれば背くわけにもいかない、とリッチーは渋々、筑前煮を口に運んだ。取り分が減るのに、と恨めし気にハピィとドラコが彼を睨んでいた。
「……変わった味付けですね。確かに甘さと塩辛さが同居している。これがこっちの味、ですか。
まあ、慣れられないこともないかと」
鶏肉、絹さや、人参、椎茸、牛蒡、蓮根、蒟蒻と具材を一通り食べる彼を、魔王は微笑ましく見つめていた。
「そういえば筑前煮のせいですっかり忘れておりましたが、今日、“勇者”と名乗る少年に会いました。奴は私を屍術士と知っていました。
勇者はどこからか精霊の加護を持つナイフを取り出していました。また、連れの少女はどうやら魔法使いのようです」
食事を終えて、ふとリッチーが思い出したように魔王に報告した。
「何ぃ!? あの憎き勇者がここにもいるだと!? まさか、奴は元々はここの住人だった、とでも言うのか!?」
「そういえば、こちらの人間の外見とあの時の勇者は似てますわねえ」
ドラコとハピィがざわついた。彼らを倒した相手がこの世界にまでいるのであれば、騒ぎたくもなるもの当然だ。
「……いや、説明不足ですまない。あの勇者とは別人だ。勇人、とか呼ばれていたな。恐らくこの世界にも勇者がいるのだろう。
私も万全ではなく、あの場で騒ぎを起こすのも得策ではないと判断し戦いはしなかったので、戦力は分からぬが」
リッチーは騒ぐ二人にスマホの画面を見せた。隠し撮りした勇者と少女が写っていた。魔王も加わり、三人でそれを覗き込んだ。
「ふぅむ……勇者か。リッチーを屍術士と見破るとはの。魔力検知の能力でもあるのかのぅ? いずれにしろ、警戒した方がよいの」
「魔王様、こちらから打って出るべきです! こんなガキごとき、我のブレスで!」
「ハピィが下僕たちに潰させますわ!」
思案する魔王に、ドラコとハピィが血気盛んに進言する。こちらに来てからというもの敵らしい敵はおらず、すっかり退屈していたのだ。勇者という明確な敵が現れたのは彼らにとってある意味では幸せだった。
「ならぬ。今はまだ、その時ではないわ」
「なぜです! 魔王様」
「どうしてですの! 魔王様」
首を横に振る魔王に、ドラコとハピィの二人が詰め寄った。魔王は一度深呼吸すると、
「勇者を倒すのは帝国を落してからじゃ。いざという時に備え、後顧の憂いは断っておくべきであろう?」
そう、あらん限りの威厳を持って答えた。
「なんと……!」
二人は別の国を攻める準備を着々としていた魔王の行動力に驚き、ますます彼女に心酔したのだった。
彼女の告げる帝国など、仮想世界にしか存在しなかったのだが。
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