#005 配下の確執
それからというもの、彼は連日忙しく働いた。システムの作成に、協業先の選定、商品のプレゼン等々、多くの人に見守りサービス――否、彼の徴兵システム――を届けるために尽力した。
彼は元々勤勉だった。それに、システム構築と屍術の研究はどこか似通ったところがあったことも手伝い、彼は見る間にのめりこんでいった。目的のためならば残業も休出も苦ではなかった。というよりも、彼は楽しんでいた。
この日も終電近くまで働き、終電に乗り遅れぬようにと、駅まで走る彼の耳に、
「あらぁ、リッチー。これがいわゆる社畜って奴ですの?」
と、辛辣な言葉を紡ぐ甘ったるい声が飛び込んできた。足を止め、振り返ると、ギリシャ神話を思わせるドレスからのぞく白い胸元をほんのりとピンク色に染めた女が翼をはためかせていた。ハピィだ。
「ハピィ、何故ここに? ……いや、お前の相手をしている暇はない。私は急いでいる」
「見れば分かりますわ。でも無駄でしてよ。今日は金曜ですけど祝日ですの。ダイヤが違いますから、終電ならもうなくてよ?」
ふふん、と得意げにハピィがリッチーに告げる。
(しまった……! 道理で会社に人がいなかったわけだ……‼)
ショックを受けるリッチーを、ハピィはくすりと嗤う。
「あら、貴方なら転移魔法で帰れば良いだけではなくて? ハピィも連れて行ってもよくてよ?」
「……いや。転移魔法は使わん方が良い。座標が狂う上に、誰かに監視されているような気配を感じるのだ」
以前満員電車を回避するべく、通勤で使った時に違和感を覚えて以来、彼は転移魔法を控えることにしたのだった。リッチーの答えに、ハピィはあからさまに落胆した。
「ちっ。仕方ありませんわ。じゃあタクシーを呼びましょう。リッチー、ハピィを送って行きなさい。か弱い女性を一人にするものではなくてよ?」
「か弱いだと? ハピィ、力というものは質量に比れ――痛っ!」
ハピィが思い切りリッチーを突き飛ばし、彼は横の壁に叩きつけられ、息を詰まらせる。涙目のリッチーに、
「理屈っぽい男は嫌われてよ、リッチー。下らないことを言ってないでとっとと帰りますわよ」
と辛辣な言葉を投げ、ハピィはタクシー乗り場の方に歩いて行った。仕方なく、リッチーも後を追う。
「タクシー代は折半だぞ」
「ケチ臭い男も嫌われてよ。まあ、ハピィはリッチーと違ってお金がありますもの、払ってもよくてよ」
ハピィは胸を張ってそう答えると、駅前に止まっていたタクシーに乗り込む。
「ん……?」
乗ろうとしたところで、リッチーが後ろを振り返った。
「どうしたんですの、リッチー?」
「いや、誰かが見ているような気がしたのだが……。気のせいだったようだ」
周りに誰もいないことを確認して、彼はタクシーに乗り込んだ。ハピィはその隣に座った。彼女は慣れた様子で、運転手に行き先を告げた。
どうやらいつも遅くまで飲んではタクシーで帰る生活をしているらしい。ファンとの交流という話だった。
タクシーが動き出して少しして、ハピィが隣に座るリッチーに顔を寄せた。
「で、貴方は毎日遅くまで何の悪巧みをしてるんですの? まさか本当に、社畜に成り下がったわけではありませんわよね?」
「答える義理は無い」
答えたくなかったことに加え、間近で嗅ぐアルコールの臭いに辟易したこともあり、リッチーは顔をそむけた。
ハピィは同僚が抜け駆けして力を取り戻すのを良く思っていなかった。リッチーに答える気がないと分かるや、彼女はぷいとそっぽを向き、それ以上話しかけることなく暫し眠りについた。
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「着きましたよ、お客さん。五千四百二十円です。……はい、まいど」
痛い出費に顔をしかめつつ、二人はタクシーを降りる。
「おいハピィ、ここはどこだ? 何故、こんな場所に降りる?」
見覚えのない大きな邸宅を眺めながらリッチーがイライラした様子で尋ねた。そこは彼らの家の前ではなかった。
「近くの高級住宅ゾーンですわよ。アイドルのハピィが、あんなボロアパートに住んでるなんて思われたくないんですの」
ハピィはなんら悪びれることなく答えた。その態度に、リッチーの額に青筋が立つ。
「下らん見栄だな。そんなことのためにこの私に寒空の下を歩けと言うのか?」
「文句の多い男は嫌われてよ。グダグダ言ってないで、早く帰りますわよ。寒いんですもの」
ハピィはさも当然、といった顔だった。怒りを通り越して呆れるリッチーを無視して、ハピィはスタスタと本来の家を目指して歩き始めた。
解消できぬ苛立ちを抱えたまま、リッチーは彼女の後を追うしかなかった。
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