#010 配下の選択
リッチーはいつものようにギリギリで終電に乗り、そして駅から20分歩いてアパートにたどりつく。玄関のドアをガチャリと開けると、ばたばたと足音がした。玄関で脱いだ靴を揃えようと屈んだリッチーに、魔王が飛びついてきた。
「リッチー! お主か。今日も遅いのだのぅ。ところでドラコとハピィは一緒ではないのか?」
「……? いえ、ご覧の通り一緒ではありませんよ」
リッチーを見上げる魔王の瞳には不安が影を差していたが、彼はそれに気づかなかった。
「そうか……」
魔王は肩を落とし、呟いた。
「帰ってきていないのですか? どうせハピィは下僕共と飲み歩いているのでしょう。ドラコは……よくわかりませんが。
いずれにせよまあ、そのうち帰ってきますよ」
そっと魔王を引きはがして立ち上がり、速足で居間に向かいながらリッチーは答えた。
「そう、かもしれんが……」
魔王は俯いてリッチーの後を追う。
「食い意地だけは張っている奴らのことです、明日の朝食には顔を出しましょう。
さあ、今日はもう遅いのですから、魔王様もお休みになられては?」
ハンガーに上着を掛けて形を整え、ネクタイの結び目を解きながらぞんざいに答えを返すと、彼はシャワーを浴びに行った。彼は早く休みたかったし、二人の事もどうせいつものこと、と気にもしなかった。
今週末は久しぶりに休もうと彼は決めていた。否、正確にはこれ以上は止めろと会社から止められたのだった。
「まさか……勇者に……」
魔王がそんな心配をしていることに、彼は全く気づきもしなかった。
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「おお、起きたかリッチー。目を覚まさぬかと思ったぞ。余に屍術は使えぬでな。焦ったぞ」
まだぼんやりしていたリッチーの耳に、魔王の笑えない冗談が飛び込んだ。もう少し注意深く見ていたら、ずっと枕元にいた彼女の心配加減が見て取れただろう。
だが自分が配下のゾンビを見ているのと同じ様に、自分が魔王に見られているのだと信じている彼には、それを感じることはできなかった。
「も……申し訳ございません。魔王様の前で、このような醜態を晒し……」
「よいよい。ま、お主にも休息が必要じゃった、ということじゃな。“ビジネスマン”というジョブに就いたところで24時間戦えるわけでは無いらしいの。
とはいえ、シャワーを浴びた方がよいぞ、リッチー。綺麗な顔が寝ぐせとよだれで台無しじゃ」
「……!」
くすりとどこか楽しそうに笑う主君に、リッチーはただ恥じ入るのみであった。
急いで身支度を整え狭い居間に戻る。もう昼近くだというのに、未だ二人の姿はなかった。魔王は、といえばビーズクッションの上でスマホを食い入るように見ていた。
「……のう、リッチー。この世界にもドラゴンがおるのじゃな。子供らしいが。
子供、とはいえドラコは今や力を失っておるからのう。もし戦いを挑めば、万一のことも……」
魔王はスマホでニュースサイトの画面をリッチーに見せた。彼は記事をさっと読む。
「『中学生お手柄! 子供達をコモドドラゴンから守る』?
……魔王様、恐れながら……コモドドラゴンです。オオトカゲであって、我らの世界のドラゴンとは異なります。もっとも、この世界での最強の一角ではあるようですが」
「そ……そうか。そうではないかと思っておったのじゃ。
して続きは」
魔王はリッチーの言葉に若干動揺したものの、すぐに威厳を取り戻し、彼に続きを促す。
「ええと……コモドドラゴンらしき爬虫類が住宅街に現れ子供を襲っていたが、居合わせた中学生の機転で子供たちに怪我はなく、爬虫類は無事警察に捕らえられた、ですか。おや、この付近ですね。
コモドドラゴン……? そういえば、最近のドラコはそれくらいの大きさに成長していましたね?
まさか。この記事、写真は?」
話しながらはたと気づき、リッチーは記事の詳細をタップする。掲載された写真を見て、彼は息を呑んだ。魔王はリッチーの手からスマホをひったくり、確認する。
「この黒光りした鱗、真っ赤な瞳……。間違いない。ドラコじゃな。ぬぅ、警察に捕まったとは!
今は保護されておるようじゃからひとまずは安心じゃが、今後の処遇は分からぬな。危険な外来生物として殺処分されるやも。
……まさか、ハピィも何かの事件に巻き込まれたのではあるまいな? あ奴、中々難儀な商売をしておったからのう……」
「……調べましょう」
事件に巻き込まれた可能性を疑い、二人はネットニュースを検索した。人気地下アイドルがファンに刺された、という記事はすぐに見つかった。
「……駆け付けた警察に逮捕された男は、自称アイドルのハピィさん(年齢不詳)が、ファンではない他の男と一緒にいたことに腹を立て、問い詰めたところから口論になり刺したと供述しているとのこと……」
「ハピィはどうなった!? 無事なのか!?」
記事を読むリッチーを、魔王が凄い剣幕で問い詰めた。
「ハピィさんには不法滞在の疑いがあるため、警察病院に搬送し回復次第取り調べの予定……と記事にありますね。ハピィも警察の手に落ちたようです」
「ならば、まだ生きているのじゃな」
魔王の口から安堵のため息が漏れた。
「恐らくは」
リッチーは頷くと、ふとあることを思い出した。
(あの時……終電を逃してハピィとタクシーに乗った時に感じた視線……。まさか!?)
「どうした、リッチー? 顔色がいつにも増して悪いぞ?」
「いえ……別に」
リッチーは力なく首を振る。
(私がハピィといたことが原因なのか? ドラコにしても、私が手勢を増やさなければ無理をしなかったのではないか?)
彼は俯いて、暫し考えを巡らせる。
(だからどうしたというのだ? 自業自得だ、私のせいではあるまい。その程度の事で躓く奴らが愚かなのだ。愚か者など魔王軍には不要だ。あの二人などおらずとも、私と私の兵で十分だ)
リッチーは湧いた自責の念を振り払うように首を振り、そう考えなおす。だがいくら考えてみたところで、彼の気分は晴れなかった。
なんとは無しに、彼は狭い部屋を見回す。二人がいなくなった部屋は、どこかガランとしていた。
(随分と広くなったものだ。思えばここに来てからこの部屋でずっと一緒に暮らしていたのか。右も左も分からぬ世界で、奴らに助けられた部分もあった、か……)
リッチーは昔を思い返す。
(いや、元の世界でも、結局のところ彼らだけだったか。競い合っていたとは言え私を認めていたのは。人間には異端者と追放された、この私を)
「で、リッチー。お主はどうするかの?」
想いに耽るリッチーを、魔王の声が現実に引き戻す。
「え? どういうことです? 私が……?」
「そうじゃ。お主が、じゃ。
余についていく、などとは申すなよ」
聞き返す彼に、魔王は大きく頷くと、そう釘を刺した。
彼女はすでに心を決めているようだが、それは彼には読めなかった。それでも答えなければならなかった。彼女がリッチーの答えを待っていることだけは確かなのだから。
彼は大きく息を吸った。
「二人を連れ戻します。
フン、全く、勇者も攻めて来ようという時に、官憲などに捕まっている暇はないというのに、あの馬鹿共は!」
窓の外を見ながらやれやれ、とため息を吐くリッチーに、魔王は満足気に微笑みかけた。
「ならば征くぞ、リッチー。余に妙案がある。お主にも協力してもらうぞ」
「喜んで。して、その案とは如何様なものでございますか?」
「これじゃ!」
神妙な面持ちで訪ねるリッチーに、魔王は動画配信サイトの画面を見せた。
「監獄破りシーズン1……? ええと……魔王様?」
彼女が得意げに見せたのは、弟が無実の罪で捕まった姉の凛華を救うため、妹の舞子と偽って敢えて罪を犯し女子刑務所に潜入し、脱獄しようと奔走する、という大人気のサスペンスアクションドラマだった。
リッチーは怪訝な顔で魔王を見る。いくらなんでもドラマのように刑務所に潜入して脱獄など無理な話だ。まず、どこに捕らえられているかも判明していなかった。
「冗談じゃ、リッチー。お主は生真面目すぎていかん。もっと余裕を持たねば、いざという時に力を出せんぞ」
そんな彼を見て魔王は笑った。リッチーは思わず苦笑するが、何とか気を取り直して魔王に問いかける。
「……して、作戦は」
「うむ。本当は飛行機がよかったのじゃがのう。航空券は高くて叶わぬ。二人分ともなればなおさらじゃ。仕方がないので安上がりに行くぞ。ターゲットはこのイベントじゃ。
まずは現地の見取り図を覚えて貰うところからじゃな。お主のゾンビ共をきっちり動かしてもらうためにも、な」
言って魔王はスマホに見取り図を表示する。
魔王とリッチーは作戦について話し合い、様々なケースを検討した後で、明日の決行に備え眠りについた。
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