#001 屍術士の憂鬱
「よくやったな、リッチー。昨夜の暴動、あれはお主のゾンビどもの仕業であろう?」
部屋の最奥部、中央に威厳を持って置かれた荘厳な玉座……ではなく大きなビーズクッションにふんぞり返った漆黒の髪の幼女が、畳の上に跪く男に満足気に笑いかけた。
小さな体とあどけない顔に似合わず彼女の瞳には威厳があり、笑顔にはどこか妖艶な輝きがある。そして頭には、人間の子供にはない、くるりと渦を巻いた角が生えている。
リッチーと呼ばれた男の端正な顔に一瞬、困惑が浮かぶ。
クッションの上の幼女、元の世界での魔王は、屍術士である彼がゾンビ達を操り暴動を起こしたと思っている。そして、そのことを甚く喜んでいる。
実際、その数のゾンビを操れる屍術士など元の世界では彼くらいのものだった。だから魔王がそう思うのも当然のことだ。その期待を裏切れば、どうなることか。
「なっ!? リッチー、貴様! このドラコを差し置いて勝手な真似を‼」
クッションの傍らに伏せていた、ドラコと名乗る漆黒のオオトカゲが後脚で立ち上がり憤りの声を上げた。
彼は先代の頃から魔王に仕える魔王軍三幹部の最古参であり、元の世界では古より最強と謳われ、様々な勇者達を屠ってきた巨大で凶悪な魔竜だ。だが、そんな彼も今や良く言ってオオトカゲ程度の大きさしかなくなっていた。
そんな彼にとって、新参者で格下のリッチーが手柄を立てるなど言語道断だった。憤るのも当然のことだ。
二人の様子に、リッチーは逡巡する。このまま自分の手柄としてしまえばいいのかと。だがそれも、すぐに甲高い女の声に打ち払われた。
「えー? だったら声を掛けてくれたらよかったのですわ! ハピィもあの時、下僕共とのミーティングで近くにいましてよ‼」
ハピィ、と自分を自分の名で呼ぶ女が、にやりと嗤って男にスマートフォンの画面を見せた。リッチーの青白い肌に、冷たい汗が流れる。
画面には、顔や体をべったりと血で汚し、生気のない目をした男達と、その中心で崇め奉られる、背中に白い翼を生やし、ウェーブのかかったピンクのロングヘアでマシュマロボディの女が写っていた。
彼女の髪も翼も仮装などではなく本物だ。彼女も同じく魔王軍三幹部の一人であり、元の世界ではその美貌と歌声で人々を狂わせ多くの国々を混乱の渦に叩き込んだハルピュイアであった。
だが彼女のその美貌も、この世界の食べ物の持つ抗しがたい魅力によって、すっかり縦横比を狂わされていた。
もっとも、それが魅力に映る人種もいるらしかったのだが。
彼が魔王に「はい」と答えるのを躊躇したのは、自分のやっていないことを手柄にする良心の呵責よりもむしろ彼女のためだった。
仮想世界の領土拡大に躍起になっており、むしろその世界が全ての魔王や、せいぜいこの近所の住宅街が行動範囲のドラコとは違い、地下アイドルとして彼ら四人の家計を支えているハピィはこの世界の事情に詳しいのだ。
だから首尾よく二人を欺き通せたとしても、彼女には見破られるに決まっていた。しかも抜け目ない彼女は、最悪の形でバラすに違い無かった。
ならばすぐにバレる嘘などつかず、素直に叱責を受けた方が彼には幾分マシに思われた。
「いえ……魔王様。恐れながら、それは……私ではありません」
灰色の瞳に掛かる長い銀色の前髪を、白く細い指でしきりにくるくるとねじりながらリッチーは答えた。
「何っ⁉ この世界にお主以上の屍術士がいるというのか‼」
魔王は驚愕して跳ね起きようとしたものの、ビーズクッションに捕らえられ中途半端な姿勢で叫んだ。
最初は彼もそう思い、未だ見ぬ、自分と同等かそれ以上の術士の存在に戦慄したものだった。だが現実は違う。リッチーは苦虫を噛み潰したような顔で、
「あれは……生者なのです。ハロウィンとかいう、悪霊の仮装をするこちらの人間共の祭りなのです……!」
そう、ようやく答えを絞り出したのだった。
「何じゃとぉおおおお⁉ ハロウィンとはカボチャを讃える祭りではないのか⁉ てっきりカボチャの面を被り、カボチャ味の何かを食べて体力を回復させつつ、カボチャ爆弾を投げ合うおちゃっぴいなイベントじゃとばかり! というかFXOではそんなイベントじゃったぞ⁉ 現実は恐ろしいものじゃな‼ 生者が死者のふりをして、秩序を無秩序に変える狂宴であったとは‼」
そう叫んで、魔王である幼女はがっくりとビーズクッションの上に崩れ落ちた。