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フェンリル

「アリシア!! っ……クイック!!」


俺は着地と同時に飛び出していた。まだクイックの効果はきれていないが、足りないと重ねがけをしていく。増加は最初より少ないが、それでもわかるくらいに速さは上がった。


「あ……ぶ…な……」


アリシアを抱き抱え、着地した時にアリシアから声が漏れた。背後を振り返ると、巨大な狼、フェンリルが口をこちらに向けて開いていた。


「ちっ!! シールド!!」


フェンリルに背を向けてローブをマントの様に広げる。フェンリルの口から氷のブレスが吐き出されたのは、広げたローブを型に弧を描く膜が展開したのとほぼ同時だった。背に強力な衝撃がぶつかったために僅かによろける。背でピシッとヒビが入る音がした。


「どうする……いや、まずは……ヒール」


俺は片手で抱えるアリシアに回復を施す。アリシアの背には深い傷が肩甲骨辺りから腰まで走っており、傷からはドクドクと血を吐き出している。傷の影響でか、アリシアは気を失ってガックリとしていた。


ピシッピシッ


さらに二つ亀裂が走る。フェンリルのブレスは威力が弱まっているが、こちらの防御膜とどちらが先に尽きるかは明白だった。


「ファイヤー」


防御膜の外側、ブレスとシールドがぶつかるギリギリの地面に火の玉を放つ。俺は一歩踏み込んで思いきり横に飛びのいた。直後、パキンッと音が鳴ってシールドが粉々に割れた。本来なら直ぐに襲ってくる氷のブレスは火の玉から発生した炎に当たり、僅かに隙を作ることになった。


「傷は……まだかかるか……」


アリシアを抱えたまま戦うのは得策ではない。しかし、背中の傷は深く、それを瞬時に治せるような力もない。魔法の並列行使は思った以上に負担が大きいようで、寒い洞窟内にも関わらず額からスーっと汗が流れていた。


「脱出も無理そう……っ!!」


降りてきた穴を見上げるがフェンリルから逃げながらでは到底無理だと思った。目を放した隙にフェンリルが至近距離まで迫っていて、俺はひどく焦った。バックステップでフェンリルの爪を辛うじて躱すが、靡いたローブの端がパサリと切れた。


「どうする……」


傷を塞ぐだけでもまだ時間はかかる。万全の状態でも勝てる見込みのほとんどない敵に、アリシアを抱えたままでは到底勝てるわけがない。


「ファイヤー!!」


俺はフェンリルに炎弾を飛ばし、走り始めた。止まっていてはただの的になりかねない。自分の魔力の底はわからないが、まだ切れないことはわかっている。ならば、まずアリシアの回復を優先する。そのためには僅かでも時間を稼ぐ事が最優先だった。


ブレスを止めたフェンリルはグルルと唸りながら視線でこちらを追う。そして、咆哮をあげた。


「っつ……!!」


元々大きいであろう咆哮が洞窟内で反響する。僅かに怯んだ俺だったが、その後の光景に目を疑った。フェンリルから幾筋かの雷が発せられ、そこにウルフと同サイズの氷を纏う狼が生まれた。


「これは無理だろ……」


小型狼、フロストウルフの総数はおよそ15体。フェンリルはその場でこちらを見ながらバチバチと体表に電気を走らせていた。ちらりとアリシアを見るが、治り始めてはいるが傷はまだ治らない。


「やるしかないか……ウインド!」


横凪ぎに風の刃を飛ばす。しかし、屈み、飛び越え、横に躱されて仕留めることは出来なかった。俺は迫るフロストウルフに焦りを覚えながらまた走り出す。


「何か……」


俺は打開策を考える。直接放っては避けられる可能性が高い。かといって、アリシアを抱えている今至近距離まで敵の侵略を許す選択肢もない。俺は走りながらアリシアジッと見た。怒りだしたアリシアの顔が浮かび、そこから脳裏を時間が遡る。


「やってみるか……」


二歩、三歩と力を込めて地面を踏む。体から力が抜ける感覚に耐えながらさらに走る。俺は背後をちらりと見て今だと声を出した。


「ファイヤー!!」


突然、フロストウルフの足下から三つの火柱があがり、6体を巻き込んだ。


原理自体はアリシアの説明にあった魔法陣を生成する魔法使用法である。魔法陣はアリシアが使った魔法陣を遠隔起動出来るように手を加えて地面に設置しただけだ。


「ウルフは霧になるのか……本体が動いていない今のうちに……ウインド、ファイヤー」


手を振って風の刃を飛ばし、返す手で火の玉を飛ばす。そして、また走り出して二つ地面に魔法陣を設置した。設置し終わった瞬間に膝から力が抜け、アリシアを抱えていない手を地面について耐え、クラウチングスタートの要領でフェンリルの周りを回るように走り出した。


「っ……あ゛ぐぅ……」


アリシアが目を覚ました。しかし、まだ傷は治りきっていない。やっと七割ほど傷が塞がった感じだ。


「もう少し耐えろ。」

「はぁ……はぁ…あんた……」

「トーヤだ」


俺は小脇に抱えられてこちらを見上げるアリシアにニッと笑ってやる。我ながら無理をしているのがわかるくらい無理な笑顔だっただろう。


「アリシア……さっきの風魔法まだ使えるか?」

「…はぁ……使え…るわ……」


俺は頭の中でアリシアを逃がす算段をたてていた。傷が治りさえすればアリシアは自力で脱出することが可能だろう。この場所からではなく、トロールがボスだったダンジョンからなら。しかし、それには一つ問題があり、先程見上げた穴を登らないといけない。


「っ!! ファイヤー」


足を止めて炎弾を飛ばし、地面の魔法陣を起動させる。フロストウルフは残り二体にまで減っていた。


「あいつ……たぶん、フェンリル……には……風は効かない…わよ」

「あぁ、わかってる。ウインド」


刀を抜いて一匹を切り捨て、返す刀で風の刃を飛ばした。アリシアの背を見る。傷はとりあえずほぼ塞がったが見かけだけだ。動けばまた開くだろ。


「……回復薬みたいな…ものがあるなら……飲んでおいてくれ。十全に動いて…もらいたい」

「わかった」


アリシアは俺の動きを阻害しないようにローブから小瓶を取り出して蓋を空けた。


「来るぞ!!」

「きゃっ……」


俺は思いきり横に跳び、さっきまでいた場所に氷のブレスが通りすぎる。俺は走り出して口を開いた。


「アリシア……お前をここから逃がす。お前はレオルにこいつのことを伝えろ。」

「……トーヤはどうするの」

「レオルが来るまでこいつと殺り合っておくさ……」

「無理よ!! あいつは昔、レオル様とグラド様がなんとか倒した化物なのよ。私も一緒に……」

「アリシア、お前を守りながらでは戦えない」


背後に迫るフェンリルから爪が振るわれたが、跳躍してギリギリで躱す。


「一度しか言わない。よく聞け」


アリシアは何も言わない。言葉は違うが、足手まといと言われたのがショックだったのかはわからないが、俺は説明を続けることにした。


「お前の風魔法に俺の風魔法をぶつけてお前をここから飛ばす。あのフェンリルとやらがブレスを放った隙にやるが、チャンスはそう多くない。一発で決めたい。」

「……わかった」


アリシアから沈んだ声が聞こえてきた。アリシアはごそごそと自分のローブの中を探り、何かを俺のズボンとローブのポケットに入れた。


「回復薬と魔力回復薬。絶対に戻るから、絶対に死なないで」


声が震えていた。自分の無力さ故か、この別れが今生の別れになりかねないからかはわからない。懐から先程オーク戦で見せた紙片を取り出して魔力を流していく。


「アリシア」


俺は静かにアリシアを呼んだ。アリシアは涙目になりながらこちらを見上げた。


「またな」


アリシアはグッと目を瞑って小さく詠唱を開始した。俺は刀を抜いて魔力を手に集めていく。フェンリルは口の端から冷気を漏らしながらこちらを見ていた。


「きたな……シールド!!シールド!!」


刀を地面に突き刺し、それを媒介にシールドを展開した。次に先程と同じように背を向けてもう一枚展開する。


「いくぞ!」


俺はアリシアを投げあげ、お互いに両手を向けた。


「ウインド!!」

「ストーム!!」


俺のウインドとアリシアのウインドがぶつかり合い、アリシアを穴の中へと押し上げていく。直後、フェンリルから氷のブレスが放たれ、刀を媒介にしたシールドにぶつかる。一瞬シールドにヒビが入り、亀裂が広がる。


「っ……絶対に戻るから!!」


アリシア泣きながらそう叫び、飛んでいった。シールドは割れ、背のシールドにブレスがぶつかる。


「あぁ……っぐ……待ってるよ」


俺は背に刺さった氷のトゲによろけながら魔法を放ち続けた。

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