今を生きることが精一杯
帰り道たまたま友達と別れてひとりになっている達也の彼女と一緒になった。どうやら彼女は森本麻友というらしい。思い出したわけではなく席順が書いてある紙に「森本麻友」と見ただけ。彼女の姿を見たら、ただ文字で彼女の名前が漢字で出てくるだけで、それ以上のことは何も思い出せない。
しかしそれは忘れてしまったのではなく、本当に名前しか知らないのかもしれない。
たまたま一緒になったわけではないだろう。ずっと前に友達二人と教室を出ていったのを見たから、きっと待っていたんじゃないの。
「達也君って、卒業したらどうするの?」
僕はどうして三人で歩いているか不思議だ。森本さんは達也にしか話さないし、達也もそれに答えて彼女としか話していない。
今の僕の状況はふたりが乗っていたエレベーターに乗り合わせたみたい。僕はただの部外者でふたりには見えていない。邪魔でも何でもない。だってここに居ないのと同じなんだから。
「ねえ、どうするの卒業したら、海斗君は?」
突然名前が呼ばれて森本さんの方を見た。僕は何が?という顔をしていたのか、彼女の声が間にいる達也を越えて僕の方へと投げかけられた。
「卒業したらどうするの?やっぱり大学に行くの?」
僕はどうやら勘違いをしていたらしい。エレベーターでたまたま乗り合わせたのではなく、レストランで相席になったようだ。
「わからない。」
ぼそっと呟いた。
「そうだよね。まだ分からないよね。」
彼女は明るく言った。社交辞令のようなその返事も彼女に言われると何だかうれしい。
「今生きることに精一杯だから。」
下を向いたままただの独り言だったが、隣の彼には聞こえていた。
「何かそれカッコ良くなえ。」
達也が笑いながら話を拾ってきた。
「今を生きているみたいね。過去も未来も気にしない。」
彼女が言った。
「そうだね。」と僕が頷いた。全くそうではなかったが、とりあえず頷いた。
違うんだよ。今を生きているんじゃなくて、今生きることがやっとなんだ。
ただ、ただ息をしているだけなんだ。息をすることが精一杯なだけなんだ。なんてことは決して言えない。将来に向かって明るい希望しか見ようとしていない彼らに、こんな冷めたことを言ったら嫌われてしまうに違いない。何もしていないだけそう自分でも思うから。
達也の斜め後ろを歩きながら、彼らの話をただ聞いていた。いつ話しかけてもいいように、だいたいの内容だけは確認していた。たぶんこれ以降僕に話しかけてくるとは思えないけれど一応。彼らの声は僕にとって、ただのBGMに過ぎなかったが、それでもさみしさを紛らわしてくれる。
ひとりではない。今はあいつみたいではない。今は。なぜだろう僕はいつの間にあいつと自分を比べるようになっていた。なぜだかは考えたくない。
「この子はね、あいかちゃん。確か六組だったかなあ。そう陸上部の。」
森本さんの携帯の画面には女の子六人が写っていた。制服姿で満開の桜の前でみんな肩を組んでいる。真ん中にいる森本さんの右にいる、肩に桜の薄いピンク色の花びらが付いている子。この六人の中で一番素敵な笑顔の子。黒髪のロングヘア―が似合う子。
僕の中では彼女は世界で一番美しいものだと変換されている。もちろんそれは頭の中の彼女に過ぎないのかもしれない。彼女よりも綺麗な人はたくさんいるだろう。
でも、あんなことがあったら彼女が唯一の存在だと思うしかない。ただ、それも僕の中の妄想に好きないのかもしれないが。
あの日は死にたくなるほど爽やかな春晴れだった。